峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

東京へ その3

2015年06月19日 | 夫婦

錦糸町駅から後楽園ホールのある水道橋駅までは総武線で5つ目、すぐである。
10分ほどで水道橋駅に着く。ホームの階段を下り、改札口あたりに来ると駅員がハンドスピーカーで何やら懸命に訴えていた。耳を澄ますと、今夜はコンサートがあり、 帰りが混雑すると思われるので、帰りの切符を購入しておくよう案内しているのだ。

改札口を出て驚いた。駅構内から「東京ドームシティー」の方へ向かう道路いっぱい、若い女の子で溢れているではないか。それは、赤信号のため途中横断歩道で途切れるものの、延々、東京ドームシティーの中まで続いていた。

若い警備員に誰のコンサートなのか聞くと、ジャニーズの「ニュース」というグループのコンサートだと教えてくれた。なるほど。ジャニーズの人気ぶりを実感する。開演は午後6時だというのに4時半でこのファンの群れは凄いというほかない。

ドームへ向かう人波から離れ、途中で左へ折れると目指す「ボクシングの聖地」後楽園ホールの建物はすぐそこだ。 

後楽園ホールビルに入り、エレベーターで5階へ上がる。エレベーターを降りると、左手で母校の学生がチケットを扱っていた。OBであることを告げ、ノートに名前を記すとチケットを渡してくれた。
ホールへ入り右へ曲がり、突き当りを左へ進む。左へ折れてすぐの壁面に、ボクシングの歴代の世界チャンピョンの名前がベルトを奪取した年と共に金色のプレートに記してある。
「1952  白井義男」「1962  ファイティング原田」「1963  海老原博幸」・・・。そうそうたる名ボクサーの名前が燦然と輝いている。
その東通路を奥へ進んでいくと喚声が聞こえてきた。事前の案内には母校の試合開始時刻は午後5時頃とあったが、時計を見ると午後4時半を過ぎたばかりだ。前の試合が延びているのだろう。

 

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町内会の旅行

2015年06月18日 | 町内会長

昨日は、町内会の「のんびり温泉・日帰りバスの旅」で、佐世保市「西海橋」近くの「西海橋コラソンホテル」へ18名の参加者をお連れした。
早いもので、この行事も10回目を数える。つまり、私が町内会長になったその年から始めたことになる。当町内会からバスで1時間前後で行ける温泉施設を訪ね、温泉と美味しい会席料理を楽しんでいただこうという趣旨で始めたものだ。

今回は、ひょんなご縁から営業担当の方とお近づきになり、初めて町内会でこのホテルを利用させていただくことになった。
午前9時に町内会を出発。先ず針尾の「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)」を訪れた。
案内によると、この施設は旧日本海軍によって1918年から1922年にかけて作られた送信施設で、日露戦争を契機に無線連絡体制の強化が必要となり、総工費155万円(現在の50億円相当)を費やして建設されたそうだ。
後の太平洋戦争の開戦を告げた「ニイタカヤマノボレ1208」は、ここから送信されたと伝えられている。

昨年、国の重要文化財の指定をうけたばかりだそうで、これまで手を入れられることもなく、3基の無線塔始め、その中心に位置するツタに覆われ立ち入り禁止となっている電信室など、いかにも負の遺産らしくひっそりとした佇まいだった。

11時にホテル到着。温泉を楽しんだ後、正午からはお待ちかねの昼食だ。往きの車中から続くお喋りはとどまるところを知らない。
午後1時半にはホテルを後にし、帰途につく前に西海橋そばの「魚魚(とと)市場」へ寄る。ここのたい焼きが評判ということで、みなさんお一人で10個、20個と買い求めておられた。

帰途につく頃には雨が落ちてきたが、車中は晴れ。西町に帰って来るまで賑やかな声が車中に響いていた。

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東京へ その2

2015年06月18日 | 夫婦

チェックインを済ませ、いったん部屋に入り荷物を置いた後、後楽園ホールへ向かうことにした。
女房どのが駅まで送ってくれるというので駅までの道を一緒に歩いた。ホテルから錦糸町駅までの2、3分の間に飲食店が数多く並んでいる。昼食をとっていなかったことから少し空腹を覚えてきている頃だった。時間が時間だっただけに夜の食事のことも考え、軽く麺類でもと女房どのと話しながら歩いているうち、いかにもといった雰囲気のラーメン屋を見つけ暖簾をくぐることにした。

空腹を満たし店を出て駅前の広場まで来ると、若いパフォーマーが数脚の椅子を組み合わせた上に倒立したり、空中高く放り上げた輪っかをロープで受け止めたりといった曲芸を披露していた。
このような場面に遭遇すると、よほど急ぎの用がない限り私の足は自然と止まる。この時も、数少ない観客の半円の輪に加わり彼のパフォーマンスを楽しんだ。

彼らのような路上パフォーマーに共通していて、それはやめておいた方がいいんじゃないかなと思うことが1つある。拍手の強要だ。彼らは、なんだかんだと言って拍手を求める。また、拍手の音が小さいと言っては、繰り返し強い拍手を要求する。そんなに求められなくともいい演技には自ずと手は打ち合わせられる。むしろ、強要されればされるほど高まった気分は急降下する。私が天の邪鬼なせいだからだろうか。
せっかくのパフォーマンスにも、やがていたたまれなくなり輪から離れた。

やがて、女房どのとは改札口で別れ、ひとりJR錦糸町駅から総武線の電車に乗った。

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東京へ

2015年06月16日 | 夫婦

大学時代、ボクシング部で大変お世話になった斎藤先輩が4年前にボクシング部OB会の会長になられたのを機に、年に1度のOB会総会に出席するようになった。

例年、母校の関東大学ボクシングリーグ戦3戦目の翌日に総会が組み込まれている。したがって、母校の応援のために後楽園ホールへ出向くところから上京のスケジュールが始まる。
先輩方と後楽園ホールにて合流し、学生諸君の健闘に拍手を送り、試合終了後は斎藤先輩と特に親しい皆さん方と共に行き付けの中華料理店でグラスを傾ける。
翌日は、午前中から東京在住の友人と会い、昼食をとる。その後、午後から開催されるOB会総会に出席し、懇親会・二次会と先輩方と過ごす。
そうして、翌日昼過ぎに羽田を発ち、夕方、佐々に戻って来る。これが毎年お定まりとなっていた。
昨年まで1人で上京していたのだが、女房どのが退職したことから今回初めて2人で出かけることにした。2日目の友人と会ってたところを女房どのとの東京見物に充てることにしたのだ。

13日土曜日午前7時20分、自宅からタクシーで「佐々バスターミナル」へ向かい、そこから7時49分発の高速バスで福岡空港へ向かう。
9時59分福岡空港着。その後、福岡空港発11時10分の全日空機で羽田へ飛ぶ。羽田到着12時50分。
空港からリムジンバスでホテルへ直行する。およそ1時間で「東武ホテルレバント東京」に到着。今回は東京の下町・浅草周辺を女房どのと散策する予定にして、宿を錦糸町にとった。
午後2時50分頃ホテル到着。ホテルの正面玄関からスカイツリーの異様な姿が迫って見える。

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住民本位の地域連携

2015年06月12日 | 佐々町町内会連合会長

今日の午後から開催される江迎署管内の「江迎地区暴力追放運動推進協議会」並びに「江迎地区防犯協会連合会」のそれぞれの総会を前に、総務課長と協議をするため昨日午前中役場を訪ねた。

両会とも「平成の大合併」以前は旧北松浦郡6か町による対等な関係で構成されていた。だが、合併以降は佐々町以外の町が佐世保市と合併したことにより、1町と佐世保市の一部地域からなる組織・内容に変更され今に至っている。
したがって矛盾があり、不公平なところがある。しかし、だからと言って佐々町のみの我を張ればいいというものではない。古くからのつながりのある地域全体の益を考えた上で、住民・行政が協調を図ることが肝要だ。

主に防犯協会連合会に関しての協議だったが、自主防災についても話が及び、彼の貴重な昼休みの時間を奪うことになってしまった。

 

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夏椿の頃

2015年06月11日 | 民生児童委員

昨日午後1時半から町の民生児童委員協議会の定例会が開かれ出席した。
会の規約変更に関して、また、各町内会での自主防災組織における民生児童委員の関わりについて、当協議会の主体的な運営についてなど協議した。
定例会終了後、いつものように「高齢者・在宅介護福祉部会」のメンバーで集まり、先の波佐見町民児協での研修について意見交換した。

いつの間にか、玄関横の夏椿が可憐な白い花をつけている。

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世代間交流

2015年06月10日 | 町内会長

7日・日曜日、午前7時から毎月定例の町内会清掃を行った。その後、子供会の子供たちと彼らのお父さん・お母さんにより資源回収が行われた。さらにその後、午前10時から国道沿いの花壇にて夏の花の苗の植え付け作業を行った。

この国道沿い花壇の維持・管理については、年間2度の花の苗の植え付け作業の他、古い株の撤去作業、土を耕す作業、さらに水やり作業などがある。作業にあたる者は、特に縛りを設けず、町内会のいわゆる有志と「子供会」が協力して行うことにしていた。しかし、10年経ち、次第に「有志」の数は減少し、「子供会」の参加も無くなってしまっていた。

私は、町内会の基本的な活動方針を「楽しく」としている。そのためには各自が主体的に活動に取り組む必要がある。自ら進んでやることだけが面白く、身にもつく。したがって、なるたけ縛りを設けない。子供も大人も、何をするにしたって強制されるのは嫌に決まっている。面白くないに決まっている。それ故だ。

ところが、私たちの社会には不思議なことにこの単純な理屈が浸透していない。
教育とは真に恐ろしいものである。幼い頃からの教育により、中学生にもなると先生や親に何か言われないと勉強できない、あるいは先生や親の目が光っていないと勉強できないように多くの子供たちが立派に育てられてしまっている。主体性の芽は見事に摘まれる。
ほとんどの子供が勉強は楽しくないものだと思い込んでいるのは無理からぬことではある。

それはさておき、町内会の活動や行事を通して、世代間の交流をもっと図る必要をこのところ強く感じていた。
そこで、過日、27年度の育成部長さんと子供会の会長さんにその意義を話し、具体的に花壇の花の苗の植え付け作業に加わってほしいこと。そして、敬老祝賀会で子供たちに歌を歌ってほしいことの2点を要望していた。

とりあえず、花の苗の植付け作業に関し、育成部長さんと子供会の会長さんに熱心に応じていただいた。
日曜日、実に久しぶりに花壇に子供たちの声が響いた。
大人と子供合わせて30名弱の参加があり、あっと言う間にサルビア100株、マリーゴールド100株を植え付けることができた。これから秋口まで道行く人たちの目を楽しませてくれることだろう。

 

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岡田甲子男記念奨学財団

2015年06月09日 | 家族

佐々町内に「アリアケジャパン」という企業の「九州第二工場」がある。
「アリアケ」は、一般の消費者にはほとんど知られていないが、天然調味料(インスタントラーメンのスープの元に入っている鶏や豚のエキスなど、味のベースになる調味料)業界のリーディングカンパニーとして国内はもとよりアメリカ・フランス・中国などに進出し、そこを拠点に国境を越えてブランドの確立を目指す成長企業だ。
この「アリアケジャパン」の創業者である長崎県出身の現会長・岡田甲子男(おかだきねお)さんにより、公益財団法人「岡田甲子男記念奨学財団」が平成9年に設立されている。

くるみさんは、大学院進学に際しこの奨学財団からの奨学金の貸与を受けることになった。おかげでアルバイトをせずに存分に研究に邁進できる環境が整った。
その「奨学生決定通知書授与式」が一昨々日の土曜日午前10時より我が家から車で数分の「九州第二工場」で行われ、女房どの共々参列した。

大島洋太郎理事長の式辞の後、採用された奨学生100名を代表する栄誉を担い、くるみさんが「決意の言葉」を述べた。

 この度は、岡田甲子男記念奨学財団の奨学生として採用していただき、ありがとうございました。奨学生を代表して感謝申し上げます。
 私は、現在、アルツハイマー型認知症についての記憶力の低下を改善するメカニズムの研究に取り組んでいます。
 近年、脳の研究は盛んに行われていますが、まだまだ未解明なことが多いのが現状です。
 私は、脳機能を研究することで精神神経疾患などの病態解明や治療法開発に貢献したいと考えています。
 自らが学びたいことを学べる環境に身を置けることは本当に幸せなことです。家族や岡田甲子男記念奨学財団様を始め、私たちを支えてくださる方々に感謝し、日々それぞれの道で精一杯努力していきたいと思います。この度は、本当にありがとうございました。

その後、理事長から一人ひとりに決定通知書が手渡された。
式後、希望者には工場見学が行われた。そして、一同揃っての会食。食事の後は、奨学生一人ひとりが順番に立ち(司会者の指名ではあったが)、それぞれが入学後からこの日までの心境であったり、院生から大学生への学生生活へのアドバイスであったり、これからの抱負であったりとかを語ってくれた。

独立行政法人「日本学生支援機構」の第二種奨学金は年利3%を上限とする利息付きだ。「奨学金」ではなく、単なる学生向けの貸付金に他ならない。

教育は国家の根幹をなす。安倍総理が進めるべきは、衆院憲法審査会に参考人として出席した憲法学者がこぞって「違憲」と明言した「他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認」、ひいては軍備拡張ではなく、一つは奨学金制度の充実であろう。

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日本版CCRC

2015年06月06日 | 佐々町町内会連合会長

昨日午後2時から4時まで第2回目の「佐々町まち・ひと・しごと総合戦略策定推進会議及び佐々町総合計画策定検討委員会」が開かれ委員の1人として出席した。

アメリカでは1960年代以降から高齢者が集まって住み、健康時から介護・医療が必要となる時期まで継続的なケアや生活支援サービス等を受けながら生涯学習や社会活動等に参加するような共同体(CCRC)が約2,000か所存在しているという。

さて、日本のことだが、少子化や都市部への人口流出に歯止めがかからず、将来、消滅する可能性のある自治体が、全国の自治体のおよそ半数に当たる896もあるといういささかショッキングな話が4月「日本創生会議」より発表されたのがまだ記憶に新しいところだ。
そこで政府は、このCCRCを真似、都市部の高齢者が健康なうちから地方に移住し、安心して老後を過ごすための「日本版CCRC」を広めるべく「地方創生」に引っ掛け推し進めようとしている。
それに勢いをつけるかのように、東京圏の介護需要が10年後45%増えて施設と人材の不足が深刻になるとして「日本創生会議」は高齢者の地方移住を提言していると5日付の新聞が一面トップで伝えた。

金融機関が主となり、あるいは地方自治体が主となり、はたまた大学が主となったりと、全国各地でさまざまな形の「日本版CCRC」が動き始めている。
長崎県でも今年度から官民で推進協議会を立ち上げ、都市部のシニア世代を県内に呼び込む「ながさき型CCRCモデル」の研究に着手し始めているようだ。

初回の会議で、資料の「日本版CCRC構想有識者会議資料」(内閣府資料)に触れて石原委員長が、委員である銀行の支店長さん2人に佐々町でどうだろうかと振られる場面があったが、この日の議論の中心はこの「日本版CCRC」となった。

詳細は、佐々町HP内の「佐々町の地方創生」をご覧ください。会議議事録が公開されています。

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公民館フェスティバル開催へ向けて

2015年06月05日 | 将棋

昨日午後1時半から「さざ公民館フェスティバル」に向けての第2回目の実行委員会を開いた。
同フェスティバルは、コーラスとかダンス等々のサークルからなる町の「公民館学習グループ」の年に1度の発表の場であり、今年度で21回目を迎える。
私は、「佐々町将棋同好会」の会長(名ばかりの)として代表者会や実行委員会に顔を出しているのだが、昨年度から1期2年の学習グループ連絡会長役を務めている。

学習グループの日頃の活動の一端を多くの方々にご覧いただき、お楽しみいただくと同時に、参加者1人ひとりが健康で楽しい人生を送るための生涯学習社会の実現を目指すという趣旨で(教育委員会)、今回は「であい・ふれあい・まなびあい」のテーマのもときたる6月21日(日)午前10時から午後3時まで佐々町民体育館にて盛大に開催する。

以下、当日参加の学習グループです。お近くにお住いの方は遊びに来てください。将棋同好会のブースでは、会員の皆さんがずっと将棋を指していますよ。また、会員による将棋の駒作りの実演もあります。

①演技発表の部(出演順)
「3B体操ひまわり」「童謡教室」「さわやかコーラス」「セラピーフラダンス」「民謡つくも会」「佐々大正琴クラブ」「アロハ・フラの会」「佐々手話サークル」「佐々箏曲グループ」「相撲甚句」「佐々町少年少女合唱団」「きらひめ新体操」「佐々太極拳かんわ会」

②展示発表・体験学習
「佐々書道教室」「水墨画クラブ」「絵手紙教室」「佐々七宝焼教室」「パッチワーククラブ」「佐々フラワー」「四季の茶花教室」「佐々手話サークル」「さざ薬草クラブ」「フォトクラブ・さざ川」「佐々町将棋同好会」「佐々町地域婦人会」

 

 

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