峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

思わぬ展開

2019年07月11日 | 移住
自然に寄り添った暮らしをしたいとの目標を立て、それに沿って備前市吉永町の古民家を探し出したいうのは、よくよく考えてみると思い違いだった。
あの古民家と出会ったことにより、心の中の此処かで望んでいたように思われる生き方がはっきりしてきたというのが正しい。

吉永町の古民家にたどり着くまで、都合5回に渡り、岡山県内の古民家十数件を見て回った。
事前に不動産屋のHPに掲載されている物件情報を閲覧し、気になるものを選び出し、不動産屋と連絡を取り、日時と待ち合わせ場所を決めるという手順を踏んで出かけていた。

実は、4回目まで同じ不動産屋の同じ営業の方にお世話になっていたのだが、いずれの物件も帯に短し襷に長しで、しっくりこないのだ。
4回目の最後の物件を見終わった時、その営業の方に峰野さんにご案内できる物件は、うちにはありませんと言われた。
こちらも相済まない気持ちになっていたので、もう次はないなと帰りの車中、女房どのと話したものだった。
だが、そこから新たな展開が待っていようとは、その時、知る由もなかった。

その最後に案内された物件は、古民家を全面的に改装したもので、最新の設備が導入されていた。心を動かされはしたが、ただいかんせん、いかにも狭かった。

この物件の売主は以前、案内してもらった不動産屋に勤めていた方だそうで、現在は他の不動産屋に勤めているとの話だった。
帰宅した後、その「他の不動産屋」のHPを訪ねてみると、魅力的な古民家がたくさん紹介されていた。

それから1か月半後の今年の3月中旬、三女・くるみさんが暮らす徳島に女房どのと2人で行った帰り、予定していたわけではなかったが、せっかく徳島まで来たのだから1軒だけでも見ていこうかと、くるみさん宅を発つ日の朝、急きょ「他の不動産屋」に電話を入れた。
そこから思わぬ展開が待っていた。
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生活と自然との一体化への憧憬

2019年07月10日 | 移住
古民家に興味を覚え、ネットで検索しているうちに、往時の人々の暮らし振りを思うに至った。

ネット上で見かける売り物件の古民家はかつて農家だったところが多い。
土地を耕し作物を栽培する農業は自然と共にある。特に、かつての農家の生活は自然と一体となってあったのだろう。
現地で物件を直接見て、確かめることを重ねるにつれ、自ずからそう思えるようになった。そうして、自然に寄り添い、生きるために一日を送る生活への憧れが次第に膨らんでいった。

食物を得るために土を耕し、作物を栽培し、果樹を育てる。
暖を取るため、また、一日の作業の疲れを癒すために薪割りを行い、お湯を沸かす。
炭を作り、蜜蜂を飼う。
気持ちよく暮らすために草狩りに励み、花を育てる。

そんな風に、暮らしを立てるために日中の活動のすべてがあるような生活をしたい。徐々にその思いは強くなっていった。

自然に寄り添った暮らしは、きっと人間を幸せにするだろう。そう思えてきた時、何のために移住するのかの目的・目標がようやくはっきりとしてきたのだった。
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古民家に魅せられて

2019年07月09日 | 移住
振り返れば、彷徨うのが当然の5年間だった。目標を見失いそうになるのも無理なかった。いや、そもそも明確な目標など無かったのだ。

佐々町で十二分に一つの人生を演じ切ったと感じた時、その先に待ち構えている残りの人生がつまらなく思えた。
そこで、住み替えを考えるようになったのだが、とにかく、此処ではない所で新たな暮らしを一から始めたいという一心からだったように思う。

そんなことから、当初は海が見える場所を求めて、川棚町から大村市にかけて、大村湾沿いにずいぶんと車を走らせた。
やがて、無垢材や漆喰など自然素材からなる家屋に惹かれるようになり、各地で催されるオープンハウスによく出かけた。

そんな中、古民家をリノベーションしたと或る物件のオープンハウスで古民家の佇まいに魅せられることとなった。
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たどり着く

2019年07月05日 | 移住
何処かに住み替えることを考え始めてからおよそ5年、先々月の20日に不動産売買の契約を交わし、先月28日に決済。無事、家屋の受け渡しを完了した。

移住先は岡山県備前市吉永町の山手で、およそ千坪の敷地に建つフルリノベーションされ、きれいに使われている古民家と、よく手入れされた庭とが女房どのと私の新しい舞台となる。

ここにたどり着くのは定まっていたのが今となっては分かるが、約5年間、ずいぶんと彷徨った。
結局、新しい舞台を見つけられないままずるずる佐々で過ごすのだろうな等と諦めかけた時もあった。
一体、何をやっているのか目標を見失いそうになる時もあった。
そんな中「晴れの国おかやま」と出会ったのは、たまたま女房どのがネットで古民家を検索したことからだった。

岡山県の不動産情報サイトには古民家物件が数多く掲載されており、立派な蔵が付いていたり、農地が付いていたりと興味深い物件が目白押しだった。
また、空き家バンクや各種補助金制度等、県内各自治体の移住施策も充実している。

古民家の素晴らしさと土地柄、気候風土の良さを感じた私たちは、昨年の10月から今年の4月まで都合5回に渡り岡山へ出かけた挙句、遂に、ここしかない・これしかないという物件に出会ったのだった。
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移住 プロローグ

2019年07月03日 | 移住
女房どのと結婚してこの町で暮らし始めた。
間もなくこの地に家を建て、子供たちの赤ん坊から中学生までの時期、妻や子供たちと共に営む家族のダイナミズムと醍醐味を満喫した。

やがて子供たちは育ち、高校入学と共に3人は次々と家を出て行った。
その後、彼女たちは大学・大学院へと進学、そして就職。
ほどなく、長女と次女は結婚をし、幸いにも子宝に恵まれた。

2人は、私たち夫婦の下を巣立ち、新たにそれぞれの家族を持った。三女もいつの日かそうなるだろう。

私たち夫婦は、力を合わせ、子供たちの自立への手伝いをしながら、女房どのは小学校の教員を務めあげ、私は私塾を営みながら地域社会で応分の役割を務めあげた。

この町を舞台にして、やり残したことは一つもないと言えるほど、私たち夫婦は十二分に一つの人生を演じきった。
そう感じた時、自然と住み替えることを考えるようになった。
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