雨音が強くなった。低気圧の通過の影響だろうか。久しぶりの雨音だ。昨日は18時間は眠っただろうか。ただ眠かった。身体が要求しているのだと素直に従った。やはりめまいは軽くても恐い。どこかで倒れたら と思う。今日ものんびり始まった。2時半頃までぼちぼちと仕事をしていると電話がなった。滋賀のNPOの関係からだ。どうも登記が滋賀に移っているらしいという電話だ。えっ!という感じだ。あれだけごたごたしたのだから登記完了のお知らせというものはくると勘違いしていた。たしかに登記は大事なものだから書類の審査は厳しい。そのあとは、証明を取るには意外に緩やかだ。長浜の法務局や滋賀のNPO法人の担当はやさしくてていねいなので助かる。こういうときは「お年寄り」というのはいい。わからないので で済まされる。(笑い)
今朝のTVで「働けるまで働いて、そのあと安心して暮らせる社会」が理想だ という話があった。そうだと思う。この「安心」が貧しいと特に無い。お金があれば施設にはって手厚い介護のもと過ごせるだろうが、そうでないと「姥捨て山」を考える。捨ててくれる人がいないので、なんとか独りで山へ行かなくてはならない。などと体調がよくないときは特に考える。老後の不安はだれもが持って生きている。健康への不安も大きい。
その昔はなにかでありたくて生きた。Y氏に会ったときに恥ずかしくない自分でいたいと。結婚して塾の仕事をがんばった。それなりに人生に形が付いた。でも、あっけなく崩れた。Y氏も消えていった。今は、何もない。ただ健康で穏やかで過ごしていたいと思う。なにかである必要がなくなった。初めからそれで生きていればよかったのに・・・。親に期待、失敗への後悔、そんなことで頑張りすぎた。
法務局の帰りに八幡さまの茅の輪くぐりを正しくしてきた。(3回正しく回った)災難や病難が免れてこの夏を越すという。何であれ、健康でありたい、あってほしいと思う。
母の分 も一つくぐる 茅の輪かな 一茶