からりと晴れていると風の道ができて部屋が涼しい。明日は天気が崩れるらしいので、「女房、元気で留守がいい」で出かけることにした。期限を切られて仕事はないので、いくらか気分が楽だ。
出かけるときは、お店の無い道を通って駅に向う。帰りは、商店街を抜けて、大通寺の参道を通る。この風情が好きだ。昨日、帰りに、カン、カン、カンとこの参道で音がした。ああ、鼻緒を絎けている音だ!なんとも懐かしい。こんなお店がまだあるのだ!昔住んでいた千駄木の団子坂の登りきったところに下駄屋さんがあった。祖母のものか私のものか記憶は定かでないが、ここで鼻緒を絎けてもらった。急に下駄が欲しくなった。かわいい鼻緒がある。
人はどこにある郷愁を求めているのだろうか?「もしかしたら、あの人はさびしいのかもしれない?」と思った。うまくいえないが、「悲哀」というのか。不幸とかではないが、男の人の持つ『うれい』を含むさびしさというのか。女性にはないなぁ。動物の雄の持つ性のようなものだろうか。ドアを出れば社会があって、社会とドアの間で感じるような、帰巣本能と野生の間のような・・・。それは『今夜のおかずはあれがあるからいいわ・・・』の働く女性にはない。空間を漂うさびしさというのか。生きることの根本的なさびしさかもしれない。
「さびしくっていけないかい?」の神父様のことば。そんなことを感じる(感じさせる)人のほうが人間らしいのだろう。今日は米原市の醒井駅から歩いて『梅花藻』を見てきた。きれいな水に浮かぶ可憐な白い花は、うつくしさははかなさを思わせた。でも、だからいいのだろう。帰りに梅花藻ソフトクリームを食べた。暑い日にはさっぱりしておいしい。パワーアップ!『まちよ、まずは口を拭きなさい』の声がした。