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丸顔の信長

2021-02-09 17:34:20 | 日記

今朝は雪が積もっていた。春に向かう積もらないゆきだった。それでもやはり寒いが。だいぶ歩けるようになったので、それを止めるかの如く雪が降る。

ネット上でも「麒麟が来る」の結末に様々な意見はあるが、あれでOKという意見が多いようだ。光秀の菩提寺の西教寺を訪れたが、手厚く葬られている。光秀と熙子の墓は少し離れていたが、一族の墓として一角を占めていた。脚本の池端俊策氏が考えた最後は希望につながった。観た人の心に「麒麟」が来たのではないだろうか。役者ぞろいのNHKならではドラマだった。あまり話題にならないが、本能寺の信長の殺陣は見事だった。信長、こんなに強かったんだ などと思った。かなりの稽古をしたらしい。教科書とは違う丸顔の信長もよかったかな。

池端氏の書いた「夏目漱石の妻」もそうだったが、悪妻と言われて漱石の妻鏡子との会話がいい。大吐血をして、死にかけた漱石が回復して長野へ講演に出かける。講演が終わって、二人が緑うつくしい高原で会話する。「あの坊ちゃんの清のモデルは私でしょ」と鏡子が言う。鏡子は、本名が「鏡」で「きよ」という。そして、坊ちゃんは清が大好きだったと。漱石は苦笑いをして「まぁ、そういうことでもいいが、君はどこまでも君らしいね」と言う。長い戦いの末の夫婦のハッピーエンドを感じた。長谷川博己と尾野真千子のコンビだ。

「麒麟が来る」を見終えて、この「漱石の妻」を思い出した。池端氏のドラマ感だろうか。人のこころに「希望」と「あたたかさ」を残す。光秀と信長にしても、漱石と鏡子にしても、そこには深い愛情があるような気がする。それが男と男でも、男と女でも、二人の力量のように思った。ハッピーエンドになるかならないは二人の力量だね。

コメント
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