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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

どこにでもある甘い誘惑

2022-08-25 19:08:38 | 日記

まだまだ暑さが続きますね。昨日は、スマホのフォトに1年前に亡くなられたS氏をしのんで、比叡方面に出かけた時の写真がありました。そうだ、とあまり暑くないので比叡の横川に出かけることにしました。東塔や西塔は行きやすいのですが、なかなか横川までは足が延びませんでした。平日なので、観光客も少なく、うつくしい比叡の緑の世界を存分に味わいました。ああ、祇王寺の苔もきれいだろうな・・・。

昨日はスマホがつながりにくく、今日はパソコンがつながりにくく、つながってもコーヒーが飲めるくらい(オーバー)遅いです。ということで、午前中はの~んびりでした。それにしても次から次から旧統一教会系の組織と政治家の方のつながりが多いのにびっくりです。奈良の事件がなければ、一部の人しか知らずに済んでいたと思うと怖いですね。

昔、ある野党の代議士秘書をされていた友達は、ともかく誰が事務所に来るかわからないと言っていました。ですから、金庫番ならぬ人間番必要だと。もちろん一番肝心なのはその代議士さんの姿勢だと。誰しもここで会費などを払えば、どこかで票につながるものだと考えるだろうと。どこかで票がいつも頭にはあるようです。結局は、その人の政治に対する姿勢なのでしょうね。

15年前くらいでしょうか、印鑑と壺を売られそうになったのは。引っ越す方向でも見てももらおうかと気軽に1000円でできたデパートの占いコーナーで見てもらったのがきっかけでした。まぁ、この人は不動産もないし、財産もなさそうとあきらめたのでしょうが、今思うと怖いことです。悩んだりしているときは要注意ですね。

信じられる自分と信頼できる友を作っていくことは大事だと思いました。

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青春は密なので

2022-08-23 20:28:11 | 日記

エアコンのはいっていないところにいると汗が噴き出てきます。体力が消耗する感じです。お盆休みの後にお休みするお店もあって町は静かです。

「青春って密なので・・」もう流行語大賞に上がっている仙台育英高校の須坂監督の言葉ですね。監督の言葉や選手の表情を見ながら、はるか遠い自分の高校時代を思い出していました。「密」・・・。3年間クラス替えがないこと、クラスは、男子が35人、女子が15人という構成なので確かに密で「逃げ場」のない感じでした。そういう意味では馴染めない3年間だったのだろうと思うのですが、今思うとクラスにいなかったような気もします。

進学校ではないのですが、さすがに高3の秋になると部活も引退して大学受験体制に入ります。そして、1月からは、登校することがなくなりました。それぞれが自宅で勉強して、大学受験をしました。今のようにスマホもありませんから、自宅の固定電話だけが連絡の手段でした。それは「疎」な時間でした。誰がどこの大学を受けるかもわかりません。大学受験に父兄がついていくなどということもなく、願書を自分で出して、一人会場に行くという孤独の戦いでした。そして、3月の15日ごろが卒業式でした。進路の決まらない人もいました。ですから、全員出席の卒業式ではなく、ただ、式をおこなったという感じでした。みんなと別れるという感じはありませんでした。ですから、3月末にクラスで集まる感じでした。浪人覚悟の人も当時は多く、どこになった?というのは予備校のことでした。

あの3か月のような時間を今年の高校3年生は高1から過ごしたのですね・・・。掴るとことのない、どこにいたらいいのかわからない青春・・・。私たちの大声で泣いたり、箸が落ちてもおかしかった高校時代。あれは「密」だったのですね・・・。

「青春は密なので・・・」深い言葉です。あなたの青春はいかがでしたか?

 

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こころのゆがみ

2022-08-22 20:22:25 | 日記

そろそろ夏休みも終わりですね。子供の頃は、宿題の追い込みでした。あのぎりぎりで間に合うスリルは最近はなくなりました。

痛ましい事件が渋谷で起きました。昔、お友達が住んでいた近くなのでびっくりしました。15歳の女子中学生・・・。こころにかなり重い傷があるような気がします。普通の精神状態でなく、混乱した状態なのでしょうね。ある所から、人のこころは大きく普通の軌道を外れてしまうのではないでしょうか。ゆがめられていくのだと思います。歪みは成育過程の中でできてしまうことが多いように思います。

もと夫は私のこころのゆがみを治してあげたかったのに・・・できなかったと話しました。「どうせ私なんか・・・」とか「私はいいのよ・・・」というような素直でない心のことでしょうか。それは子どものころ、「お姉さんだから・・・」と我慢することが多かったからのような気がします。(実際はそうでなくても)弟が身体が弱く、皆がそれにかまっていたからかもしれません。そして、「私は橋の下で拾われてきた子なんだ」というようになりました。その時に、だれも「そんなことはないよ!」抱きしめてはくれませんでした。それを自分の心の歪みにするのは卑怯かもしれません。いじめられてきてもだれもかまってくれない、何も聞いてくれない・・・。それはやはり心の傷のような気がいます。

いじめにしても家族間の問題にしても(虐待とか)、だれかが「抱きしめて」あげないと傷は大きくなります。そして、傷ついた心は治るのに、傷ついて年月の倍かかると言います。

いのちがあるうちに治ることができて良かったと思います。それくらい心の問題は難しく、これからますますもっと多くの救済できる施設なりが必要だと思うのです。

 

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「希望」は生きる力に

2022-08-21 19:29:12 | 日記

今日はS氏の命日です。昨年、出張先の北海道でくも膜下出血で天に召された。元気そのもののようなバイタリティーあふれる彼の姿を思い浮かべると「なんで!??」と今でも涙が出てきます。頼りにしていたサッカー友の突然の死は、ショッキングな出来事でした。でも、1年経って考えると、彼は病気のことを隠していた気がします。それは、高校の教師を辞めて、フリーになって自由にサッカーの指導に専念して、街づくりの行事にも盛んに取り組みだしたことでした。経理のことを相談に来た時に、何となく感じた退職の理由・・・。どこかで自分の寿命を意識していたようにも思えるのです。今日は、好きな酎ハイと柿の種を供えました。

ジュニアやシニアサッカーのボランティアで知り合うことができた人たち。かけがえのない絆を得ることができました。ありがたいことです。考えれば、塾の仕事を辞めてから、たくさんの方たちに出会うことができました。母が作ってくれた「いのち」というボランティアの冊子をお送りしていた方の住所録があります。お一人お一人をなつかしく思い出します。そして、草の根サッカーのボランティアでお会いした方たちの名簿。多くの方たちに育てていただきました!

眠り姫(ばば)のように、今日はよく眠りました。いつもなら秋口に来る夏の暑さの疲れのつけなのですが、今年は早いようです。あと少しまで家の片付けも終わりました。「希望」もなく、なにか悲しい気持ちでもいました。全部キレイになったら・・・。

「晩年はとても運勢が言いそうよ」と母は昔、私に言いました。そのころは、晩年っていくつからなのかしら?と思いました。そうかもしれないです。貧乏だけど、これだけ多くの人と知り合うことができ、支えられながら生きているということは。

大切なあなたからいただいた「希望」、大事にして生きていきます。

 

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近江高校のドラマ!

2022-08-20 17:38:18 | 日記

カキーンという金属バットの音とブラスバンドの演奏がまだ耳に残ります。ザーザーと激しい雨が降り出し、あっといまに止みました。近江高校の健闘を惜しむように。

高校野球はもともとファンでしたが、今年は特に地元の近江高校を応援していました。それは地元ということだけでなく、このチームが魅力あるということではないかと思います。昨年より、本当によく勝ち上がってきているという感じです。4試合目あたりから山田投手の顔の表情が険しくなり、今日は完全に疲れているとわかる様子でした。

「山田で始まり山田で終わったドラマだった」という言葉がネット上にありました。ですから、悔しさよりもよくやってくれたという感じなのです。「負けることは成長することなのだ」と高校野球を見ていて強く思います。それは一生に一回しか流せないような涙なのかもしれません。

近江高校の多賀監督は、山田選手を信頼しきって、彼に任せて今日は投げさせたのだと思います。それは、優勝を狙う以上に勇気のいる選手を思う采配の気がします。

応援し続けて「頑張ったね!」と心から思える今日の試合でした。成長することは「耐えること」でもあると思いました。

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