ナチスドイツによってユダヤ人の莫大な財産が没収されたことは有名だが、この映画もその事実に基づいている。
ナチスドイツに併合されたオーストリアで暮らしていたユダヤ人一家は財産を没収され収容所送りが間近に迫っていたが、両親を残し娘マリアはアメリカに逃れる。その後時が経ちマリアの姉が死亡し、マリアがその意思を継ぎ没収された絵画をとり戻そうとする話。
その絵は当時一家と親交のあった画家クリムトが姉をモデルにして描いて父親が所有していたものだが、当時ドイツに併合されたオーストリア政府の所有のままになっていた。
その返還をめぐっての審問会がウィーンで開かれるがオーストリアは自分たちの所有権を主張、返還を拒否、マリアの要求は聞き入れられなかった。その後裁判があってこの手続きの途中、マリアの方から所有権は移すが絵はそのままオーストリアの美術館に置くという提案もされたがオーストリア政府はこれも拒否。そのことがマリアの気持ちも硬化させ、結局最後は調停によりマリアの元に戻されニューヨークの画廊で展示されることになる。
これまでのことは水に流してこのままでいいではないかといえるのはあくまで被害者側で、加害者側がこれをいうのはやはりおかしい。
恥ずかしながらこれまでオーストリアについてはドイツによる被害国という認識しかなかったが、ドイツに同調してユダヤ人を迫害した歴史もあるということに今頃気づかされた。
しかし確かにナチスドイツに迫害され虐げられたユダヤ人だが、その後中東でのパレスチナとの対立を考えると、かって虐げられたからこその慮りで対立を乗り越えることはできないのかと思ってしまうのだ。