東北に2週間ほど行っていた。震災後新聞やテレビでいろいろなボランティア活動を目にする度なん
となく気持ちが落ち着かず、連休前からあるボランティア団体に登録して要請を待っていたがなかなか
お呼びがかからなかった。連休後さすがに人手が減ったようで要請が入った。当初のテンションは少し
下がっていたが、出かけることにした。まずは仙台に夜行バスで向かう。途中なにか地震の痕跡がある
ものと思っていたが拍子抜けするほど見えない。ひとくちに仙台市内といっても中央部と津波があった若
林、宮城野区などの沿岸部では全く被害の状況が違うようだ。
JR仙台駅はかなり被害があったようだが一部を除いて復旧、街も人やものが溢れ、見た目は通常と変わらない。
仙台から1時間半、高速バスで登米市役所に入る。その後市バスに乗り継ぐのだが、本数が少ない
のでタクシーで、団体の本部のある廃校になった小学校に行く。その道中も特に地震の痕跡は見当たら
ず、ほんとうに地震があったのかと思うほどだった。タクシーの運転手さんに聞くと、登米では人的な被
害はなくいくつか建物に損害があったもののそれほどひどい被害ではなかったとのこと。ただ地震直後
停電してしまったので、周りの状況がよくわからず翌日ラジオで「仙台の浜に何百体も遺体が」というニ
ュースを聞いて初めてその被害の甚大さを知ったとのこと。関西など遠くで津波の生中継を見ていた
我々の方が状況を把握していたことになる。情報の伝わり方は距離とは関係ないということをあらため
て実感する。
廃校になった小学校の校舎は南三陸町からの被災者の避難所になっている。
隣の体育館がボランティア団体の拠点
中は救援物資の置き場とボランティアの生活空間になっている
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