のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

幸福な遊戯

2005年10月25日 23時12分04秒 | 読書歴
■ストーリ
 ハルオと立人と私。恋人でもなく家族でもない三人が
 始めた共同生活。この生活の唯一の禁止事項は「同居人
 同士の不純異性行為」―本当の家族が壊れてしまった
 私にとって、ここでの生活は奇妙に温かくて幸せなもの
 だった。いつまでも、この居心地いい空間に浸っていたかったのに…。
 表題作「幸福な遊戯」他「無愁天使」「銭湯」全三篇。

■感想 ☆☆
 私は幸せな家庭で愛されて育った。
 平凡だけれども満たされた毎日を送っている。
 幸せをわざわざ実感することもないほど、幸せに囲まれて
 日々の生活を送っている。そういったことを目の前に
 突きつけられるような作品。

 作品の中で、主人公たちは自分の居場所を探してもがき
 あがいている。今とは違うところを求めて、平穏を求めて
 じたばたしているのに、一生懸命進んだ場所はやはり
 沼地で身動きがとれないでいる。
 その痛々しさに私まで窒息しそうになる。もがいてもがいて
 それでも彼女たちは、人に助けを求めようとしない。
 自分ひとりで現実を受け止める。

 いや、違う。彼女たちはもがいて苦しんではいるけれども
 それは「現実を乗り越えるため」ではなく「現実から
 逃避するため」のもがきなのだ。だからもがいても
 もがいても、次にたどり着く場所は今までとたいして
 変わらない場所なのだろう。どの作品も、彼女たちが
 ようやく現実を真正面から受け止めるところで終わりを迎える。
 圧倒的な痛々しさとほんの少しの希望。
 甘えを許さない姿勢に息苦しくてたまらない時間を味わった。

春の雪

2005年10月25日 23時09分23秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 大正初期。幼なじみの二人、侯爵家の子息・松枝清顕(きよあき)
 と伯爵家の令嬢・綾倉聡子。いつからか聡子は、清顕を恋い慕う
 ようになっていた。そんな聡子の気持ちに気づきながらも、
 不器用な愛情表現でしか想いを伝えられない清顕。だが、綾倉家では、
 宮家の王子と聡子の縁談が進められていた…。

■感想 ☆(ただし、映画としてはすばらしいと思います。
      三島作品の優美な世界が再現されてました。
      そういう意味では☆☆☆☆)

 試写会があたり鑑賞。
 「春の雪」は以前お勧めされて読んだのですが、主人公の
 おろかさにはらわたが煮えくり返るような想いを抱いた覚えが。
 「ロミオとジュリエット」を読んだときと同じ類の怒りが
 こみあげてきました。もっとちゃんと考えて行動しようよ!
 感情と勢いだけで周囲を振り回すのはやめようよ!

 とは言え、さすが三島様。美しい日本語に酔いしれることが
 できました。のりぞうの中では、谷崎様と並んで優美かつ
 エロティックな文章を書く尊敬の的の作家先生です。

 さて、映画。
 というわけで、たいして期待していませんでした。
 試写会を申し込んだのもお金払ってみたくないなぁ、
 と思ったからでして。大体、「文芸作品の映画化」って
 微妙なものが多いですし。重厚な世界が5割程度軽くなって
 しまう割合高し。

 しかし、この作品は美しい映像で見事に原作世界の
 優美で愚かな貴族社会を、そして苦しく痛く切ないふたりの
 恋を、美しく再現していました。珍しく原作との違和感を
 感じることなく映画に没頭できた作品。

 が。
 没頭できたからこそ怒りと腹立ちで拳が震えた二時間半。
 さきほど「恋」と書いたものの、清顕の聡子に対する想いは
 「恋」ではないのではない、という想いがぬぐえない。
 「愛」も「恋」も相手への思いやりの上に成り立つ感情。
 彼の感情には「執着」という言葉が一番似合う。

 ただ、小さい頃からすべてを与えられ、上流社会の虚実混じった
 世界を見て育ち、「跡継ぎ」としてのプライドと責任を
 求められ続けた彼は幸せに対して鈍感に育ってしまった
 のだろうとも思う。
 自分が誰を思っているのか、何を欲しているのか
 彼自身も失った後でしか気づくことができなかったのだろう。

 そもそも虚実交わる人々のお世辞や追従の世界で育った
 彼は人の愛し方を知らなかったのかもしれない。
 そして、落ちぶれた伯爵家であるがゆえに、表舞台に
 出てこれず人間の醜い部分は見ずに、しかし伯爵家令嬢として
 優美なものには触れて育った聡子だけが、彼のプライドや
 倦怠感の底に隠れているものに気づき、惹かれた。
 だからこそ、聡子は慈しみにも似た感情で彼のすべてを
 受け入れることができたのだろうか。

 とは言え、見終わった後に残るのはやはり「腹立ち」なのだ。