■ひとがた流し/北村薫
■ストーリ
アナウンサーの千波、作家の牧子、元編集者で写真家の妻となった
美々は、高校からの友人。牧子と美々は離婚を経験し、それぞれ
一人娘を持つ身だ。ある日、ニュース番組のメーンキャスターに
抜擢され、順風万般だった千波が不治の病を宣告される。
それを契機に、三人それぞれの思いや願い、そして、ささやかな記憶の
断片が想い起こされてゆく。
■感想 ☆☆☆☆
高校時代の友人とは今も交流が途絶えることなく、関係を築けている。
高校を卒業して10年以上がたち、みんなそれぞれの道を歩んでいる。
頻繁に会っているわけではない。しばらく会っていなくても、
会った瞬間に、前回別れた瞬間から時を再開できる関係だ。
「久しぶり!」と近況報告をすることもあれば、
まるでつい2、3日前に別れたばかりのように、会話を始めることもある。
別れた後に「あれ。一年ぶりぐらいだったのに、結局、たいしたこと
話してないね。」と思うこともしばしばだ。そんな関係が心地いい
大切な関係だ。
この物語のヒロイン達はおそらく30代後半。
みんな自分の足でしっかりと立って生活している大人の女性だ。
そんな彼女達を自分と重ねるのはおこがましいかもしれない。
けれど、行動も考えもそして、何より友人と築いている距離感に
共感できるところが多く、ついつい自分と重ねて読み始めてしまった。
その結果、後半はほとんどしゃくりあげるように泣きながら読む羽目に
なった。
物語は全六章からなる。三人称で書かれているが、その視点は
各章ごとに千波から牧子の娘、さきへ、そして美々の夫、類へ
というふうに受け継がれていく。視点が変わるたびに、高校時代の
同級生、三人と、その周囲の人たち、牧子と美々の娘、さきと玲
そして、美々の夫、類がこれまでに築いてきた関係や、お互いへの
想いが少しずつ伝わってくる。
そこには全ての北村作品の根底に流れている暖かさ、そして優しさが
存在している。そして、人が生きていくうえで感じる寂しさや厳しさも
同様に描かれている。
人はひとりでは生きていけない。
これはきっと誰もが感じていることだと思う。
誰かの支えがあるから生きていける。「生きていて」と心から願って
くれる人がいるから、生きなければ、と思える。
不治の病にかかった千波は思う。両親を亡くし、兄弟もいない自分を
切実に「生きていて欲しい」と願ってくれる人はいないのではないか。
友人たちも同僚達も自分が死んだら悲しんでくれる。泣いてくれる。
けれど、わが子や自分の親のようには、切実に「絶対に死なないで」と
願ってはくれないだろう。
この厳しさ、寂しさはなんだろう。
かつてに比べて、人の生き方は多種多様だ。女性だから、などという
足かせがなくなって、どんな生き方もみとめられるようになった。
けれど、自由に生きられるようになればなるほど、人は孤独や寂しさと
今まで以上にひとりで対峙しなければいけなくなったんだと思う。
もっとも、北村さんは、最後に暖かい結末を用意してくれている。
読む人によってはこの物語を「甘すぎる」と思うかもしれない。
けれども、このお話は作者の願いなのだと思う。
亡くなった後も、人は必ず誰かの中で生き続けるという願い。
そして、人には必ず出逢うべき人が存在しているという願い。
そういった作者の暖かい願いに思いを重ねながら本を閉じた。
■ストーリ
アナウンサーの千波、作家の牧子、元編集者で写真家の妻となった
美々は、高校からの友人。牧子と美々は離婚を経験し、それぞれ
一人娘を持つ身だ。ある日、ニュース番組のメーンキャスターに
抜擢され、順風万般だった千波が不治の病を宣告される。
それを契機に、三人それぞれの思いや願い、そして、ささやかな記憶の
断片が想い起こされてゆく。
■感想 ☆☆☆☆
高校時代の友人とは今も交流が途絶えることなく、関係を築けている。
高校を卒業して10年以上がたち、みんなそれぞれの道を歩んでいる。
頻繁に会っているわけではない。しばらく会っていなくても、
会った瞬間に、前回別れた瞬間から時を再開できる関係だ。
「久しぶり!」と近況報告をすることもあれば、
まるでつい2、3日前に別れたばかりのように、会話を始めることもある。
別れた後に「あれ。一年ぶりぐらいだったのに、結局、たいしたこと
話してないね。」と思うこともしばしばだ。そんな関係が心地いい
大切な関係だ。
この物語のヒロイン達はおそらく30代後半。
みんな自分の足でしっかりと立って生活している大人の女性だ。
そんな彼女達を自分と重ねるのはおこがましいかもしれない。
けれど、行動も考えもそして、何より友人と築いている距離感に
共感できるところが多く、ついつい自分と重ねて読み始めてしまった。
その結果、後半はほとんどしゃくりあげるように泣きながら読む羽目に
なった。
物語は全六章からなる。三人称で書かれているが、その視点は
各章ごとに千波から牧子の娘、さきへ、そして美々の夫、類へ
というふうに受け継がれていく。視点が変わるたびに、高校時代の
同級生、三人と、その周囲の人たち、牧子と美々の娘、さきと玲
そして、美々の夫、類がこれまでに築いてきた関係や、お互いへの
想いが少しずつ伝わってくる。
そこには全ての北村作品の根底に流れている暖かさ、そして優しさが
存在している。そして、人が生きていくうえで感じる寂しさや厳しさも
同様に描かれている。
人はひとりでは生きていけない。
これはきっと誰もが感じていることだと思う。
誰かの支えがあるから生きていける。「生きていて」と心から願って
くれる人がいるから、生きなければ、と思える。
不治の病にかかった千波は思う。両親を亡くし、兄弟もいない自分を
切実に「生きていて欲しい」と願ってくれる人はいないのではないか。
友人たちも同僚達も自分が死んだら悲しんでくれる。泣いてくれる。
けれど、わが子や自分の親のようには、切実に「絶対に死なないで」と
願ってはくれないだろう。
この厳しさ、寂しさはなんだろう。
かつてに比べて、人の生き方は多種多様だ。女性だから、などという
足かせがなくなって、どんな生き方もみとめられるようになった。
けれど、自由に生きられるようになればなるほど、人は孤独や寂しさと
今まで以上にひとりで対峙しなければいけなくなったんだと思う。
もっとも、北村さんは、最後に暖かい結末を用意してくれている。
読む人によってはこの物語を「甘すぎる」と思うかもしれない。
けれども、このお話は作者の願いなのだと思う。
亡くなった後も、人は必ず誰かの中で生き続けるという願い。
そして、人には必ず出逢うべき人が存在しているという願い。
そういった作者の暖かい願いに思いを重ねながら本を閉じた。