のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

クリスマスプレゼント

2007年11月21日 00時35分01秒 | 日常生活
珍しく、夜に母親からの電話。
家族そろって、滅法、夜に弱いため、電話は朝か昼にしかかけない。
それなのに夜の電話。
これは何かあると思い、慌てて掛けなおしたところ
興奮気味の母親から私が小学校六年から大学半ばまで
お世話になっていたピーター先生が日本にいることを聞いた。

私とキリスト教との出会いは幼稚園の頃。
教会付属の幼稚園に通ったことがきっかけだ。
私はその幼稚園が大好きで、卒園後も教会に通っていた。
けれど、家族でただひとり、日曜日に教会に向かうのが面倒になって、
小学校二年ごろには、いつしか教会から離れていた。

それから数年経って、父親の仕事の都合で福岡市に引越し
そこで再び、キリスト教と再会を果たす。
小学校の校門前でもらった一枚の紙に書いてあった
「教会に遊びに来ませんか?」という言葉。
その言葉を見て、私は学校から帰ってすぐ、母親に
次の日曜日に教会へ行きたい、行ってもいいかとお願いした。

あの頃、いや、あの頃に限らず、今も
私は宗教に頼りたくなるほど、深刻な悩みを感じたことがない。
宗教と劇的な出会いを果たしたわけでもない。
衝撃的なきっかけがあったわけでもない。
あったのは、楽しくて大好きだった幼稚園の頃の思い出と
その幼稚園の思い出とセットで蘇る教会学校の記憶。
小学校の前で配られていたちらしを見て
ふと、その記憶が蘇って、懐かしくなっただけなんだと思う。

そんな軽い気持ちで再び通い始めた教会は小さな小さな教会で、
子どもも大人も少なかったため、私も妹も関わったみんなに
思う存分、かわいがってもらった。
家族でも親戚でもないのに、思う存分かわいがってくれ
自分の全てを好意的に受け止めてくれる大人の存在が
あの頃の私にとって、どれだけ嬉しく、頼もしいものだったか。
毎週日曜日に聞くお話や歌がどれだけ楽しかったか。

そして、私はそこで、ピーター先生とマリア先生という
カナダ人宣教師夫妻と出逢った。
いつも笑顔で穏やかなピーター先生と
ちょっぴり厳しくて、明るくて、声の美しいマリア先生。
ピーター先生の深みのある声で聞く優しく穏やかな説教は
「楽しい」だけで通っていた私に、確実に変化を与えたし
マリア先生の伴奏で賛美歌を歌う時間は
礼拝の中で最も好き時間だった。

中学校2年から3年にかけては週に一度
ピーター先生とふたりで聖書を読む時間を持ち
ふたりで聖書のこと、信仰のことについて語り合った。
その頃の私は「神様はいるな」と信じていたし、
「いつかはクリスチャンになりたい」とも思っていた。
けれども自分の信仰にはまったく自信がなく
「今はまだそのときではないな」とも思っていた。
そんな曖昧な気持ちで、でも教会と離れることなく過ごしていた私に
業を煮やすことなく、そしてバプテスマを強制することもなく
ただ、一緒に祈り、一緒に聖書を読み、一緒に話してくださった先生。
それがピーター先生とマリア先生だった。

いつかはバプテスマを受けたい。
そして、そのときはピーター先生に立ち会ってもらいたい。
できれば、結婚式もピーター先生にお願いしたい。
あの頃の私は漠然とそんなことを思っていた。
結局、どちらもかなわなかったけれど。

私がクリスチャンになる前に、ピーター先生とマリア先生は
数十年を過ごした日本を離れ、故郷カナダに戻ってしまわれた。
私にとって、特別な思い入れと大切な思い出がある人たち。
私の部屋にまるで自分の祖父母のように何枚も写真を飾っている
大好きな人たち。その人たちが日本にいるという。
私たちのことを忘れず、電話をくれたという。

喜び勇んで、電話をかけなおし、数年ぶりに聞いた大好きな声は
全く変わっていなかった。
声を聞いただけで、おふたりの姿がまざまざと瞼に思い浮かんだ。
相も変わらず、あったかくて深みがあって、凛とした響きで
私がバプテスマを受けたことを話すと、すぐに
「ハレルヤ!」と喜んでくれた。

今回の来日期間は短く、どうにも直接会う時間は取れそうにないけれど
でも、こうやって声が聞けて、私は幸せでした。

神様、ありがとう。ありがとう。感謝します。
お二人と出会えたことを。
声だけではあるけれども、再会も果たせたことを。
今年一番のクリスマスプレゼントでした。