のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

夜景デートで未来を儚む

2007年11月27日 23時21分16秒 | 日常生活
本日は、クリスマスイルミネーションで輝く福岡タワーにて
眼下に夜景を楽しみながらおしゃれに夕食でした。
恋人達のための季節に会社の1階で待ち合わせ
一緒に福岡タワーに向かった相手は、勿論、部長です。

・・・・ひねりがなくてすみません。

福岡タワーさんから
「お世話になっている企業の方々を招いて懇親会をしたい」
というお誘いをいただけたのです。
わーい☆お招きだー!お招きだー!ご飯だ!ご飯だ!

いただいたFAXには懇親会会場が「4階のレストラン」
と掲載されておりました。
「ぶちょー。懇親会会場は4階だそうですよ?
 あんなに高いのに4階だなんて、ケチですねぇ。
 やっぱり上に上れるのはお金を払った人だけなんでしょうか?」
と、言いたい放題にぶつぶつ文句を言いながら
福岡タワーに向かったところ、


福岡タワー5階の展望台に案内されました。


・・・・知らなかった。
福岡タワーの展望台って「5階」っていう位置づけなのね。
ということは、4階のレストランはこのすぐ下?
美しい夜景を眺めながらご飯が可能な場所ってこと?


・・・・ごめんなさいっ。
もう、無知を振りかざして文句なんか言いません。
いついかなるときも人の好意や善意を信じますとも。

というわけで、福岡タワー様の善意に感謝しつつ
上空123メートルからの美しい夜景を部長と共に堪能し
部長から「次はもっと違う人と来なさいね。」と諭されながら
一緒に「恋みくじ」なるものをひいて、
きゃっきゃ言いながらタワーデートを楽しみました。

・・・部長と楽しみすぎ?

ちなみに部長が買ってくださった恋みくじは
のりぞうも部長も「中吉」でした。
自分のおみくじの文章をじっと読みふけっていた部長。
何か思うところがあったらしく、
「この言葉はのりぞうくんにあげます。」
とおっしゃいながら、読み終わったおみくじを渡してくださいました。

いただいたおみくじには
 「ほのぼのと心に燃える恋心に応えてくれる人に巡り会えるでしょう
  でも迷ってはいけません  暖かく誠実な人を選びなさい」
と書いてありました。


・・・・部長。
いつもいつも心配してくださって、ありがとうございます。

でもですね・・・・。
その下の結婚欄には「望みが高すぎる」って書いてあるんですけど?
ここまで読みました?読んだ上でワタクシに渡してくださいました?

力なく指摘してみたところ
「やっぱり。」と力強く頷かれました。


頷くなー!!納得するなー!!!


ユタと不思議な仲間たち/劇団四季

2007年11月27日 22時56分57秒 | 舞台(キャラメルボックス)
■ユタと不思議な仲間たち/劇団四季
■11月23日NHKにて朝、放送
■ストーリ
 東北ののどかな村に、東京からの転校生「勇太(ユタ)」がやって来る。
 新しい環境になじめず、大作を始めとする村の子供達からいじめられる
 ユタに寅吉爺さんが村に伝わる「座敷わらし」の話をする。
 言い伝え通りに、満月の夜に大黒柱のある古い家に一人で泊まった
 ユタは現れた座敷わらしと友達になり、時間を共有するようになる。
 生きたくても生きられなかった座敷わらし達の思いに触れ、少しずつ
 たくましくなっていくユタ。身体も鍛え、村の子供達に受け入れられた
 ユタに別れの時がやって来た。

■感想 ☆☆☆
 ミュージカルが大好きだ。人の声によるハーモニーがたまらなく好きだ。
 場面展開が少々不自然だろうが、話の流れがもたつこうが
 音楽によって、人の声によって、伝えられる思いはストレートプレイより
 迫力があって、より一層、胸に迫ってくる。

 このミュージカルは昭和初期の東北を舞台にしており、座敷わらしの
 姿がどこか歌舞伎を思わせたり、音楽は演歌っぽくこぶしが入っていたり
 「和」を意識したものになっている。東北なまりの科白と
 こぶしを効かせた力強い歌声が私の心にぐいっと響いた。
 この迫力がミュージカルの魅力なのだ。

 伝えられるメッセージはどれもとてもシンプル。
 生まれてすぐに間引かれたり捨てられたりした座敷わらしたちは
 生きたくても生きられずに訴える。
 「生きてると辛いこともたくさんある。だから、生きてるってことは
  ただそれだけですばらしいことなんだ。尊いことなんだ。
  何かをするために生きるんじゃない。生きるために生きるんだ。」

 けれども、やはりそれだけでは物足りない。
 人は「ただ生きる」だけでなく「何かをしたい」「認められたい」
 「誰かと思いを共有したい」と願ってしまう欲張りな生き物だから。
 でも、何かを得るためには自分から行動しなければいけない。
 待っているだけでは何も変わらない。
 「生きて何をするかは自分次第。自分の心も身体も自分で磨いて
  鍛えてやるしかないんだ。自分が何をするか、なんだ。」

 父親が亡くなって寂しくてたまらなかったユタ、新しい土地に
 全くなじめずにいたユタは「座敷わらし」という不思議な仲間を
 得て、心も身体も変わっていく。変わったユタが新たに得たものは
 「人間」の仲間。ユタが最初から最後まで求め続けたもの
 そして、ラストでみんなが高らかに歌い上げるのは「ともだち」。
 そのメロディの美しさがシンプルなテーマを一層ひきたたせている。

 喝舌の良すぎる「いかにも舞台」の話し方には、ちょっぴり違和感を
 覚えるが、流れる歌はどれも耳なじみがよく、アルバムを購入したい
 と思うほどだった。

おもしろ荘の子どもたち/A・リンドグレーン

2007年11月27日 22時55分35秒 | 読書歴
■おもしろ荘の子どもたち/アルスレッド・リンドグレーン
■ストーリ
 おもしろ荘に住む幼い姉妹マディケンとリサベットにとって、
 毎日の生活は冒険の連続です。山登りのつもりで屋根に上ったり、
 川を流れてみたり、すぐに面白いことを思いついてしまう
 マディケンのおかげで、二人の毎日は楽しい冒険とちょっぴりの危険
 がたくさん。子どもの日常をいきいきと描いた物語。

■感想 ☆☆☆☆
 リンドグレーンの作品は、どれも子どもたちが生き生きと笑っている。
 スウェーデンでものどかな地方の子どもたちを題材に選んでいる
 ことが多く、リンドグレーンの作品には子どもたちが大勢、
 登場することがほとんどない。「おもしろ荘の子どもたち」でも
 マディケンとリサベットはいつもふたりで遊んでいる。
 隣の家に住んでいる男の子も登場するが、彼はかなり年が離れており
 一緒に遊ぶ場面はほとんどない。マディケンは学校に通っているが
 描かれるのは家庭でのふたり。姉妹ふたりが日々を楽しく
 笑ったり怒ったり泣いたりする姿が描かれている。
 読んでいると、「そうだった。」と思うことにたくさん遭遇する。
 小さい頃、周囲のオトナや妹に対してこんなふうに怒ったり
 我慢したりしたことがたくさんあった。
 些細なことが楽しくて楽しくて仕方がなくて、空想の世界に没頭して
 過ごした。暗くなるまで夢中になって、外で遊んでいたけれど
 帰り道からみえる家の明りや「お帰り」と迎えてくれる家族の声が
 何より好きだった。そういう小さな頃の気持ちが具体的に蘇ってきて
 胸がほのぼのとしたものでいっぱいになる。そんな物語だ。

 勿論、スウェーデンと日本では文化が全く違うため、読んでいて
 異文化を感じる箇所も多い。その最たる部分がクリスマスを迎える
 家族の様子だろう。クリスマスを迎える準備に追われる母親たち。
 「クリスマスがきちゃった」と残念がるマディケン。
 クリスマスへの期待、クリスマスを迎える喜びの大きさが
 日本とは全く違うのだ。家族全員でクリスマスを迎える姿は
 「家族がいることの幸せ」を象徴的に表していて、読んでいるだけで
 幸せが伝わってきた。

ミッシング―森に消えたジョナ/アレックス シアラー

2007年11月27日 22時54分07秒 | 読書歴
■ミッシング―森に消えたジョナ/アレックス シアラー
■ストーリ
 ジョナは、消防車のサイレンを追いかけた。そして行方不明になった。
 ぼくは、あいつを取り戻す。ふたりの少年の友情と喪失と希望の物語。

■感想 ☆☆*
 新しい作品を読む度に、それまでとは全く異なる世界観を
 打ち出してくれるアレックス・シアラー。今回の作品では、友人を失い
 孤独を抱えている少年の繊細な心をシリアスに丁寧に描き出している。
 前半は特に主人公ジョーのジョナを思う気持ち、ジョナを忘れたくないと
 願う気持ちに徹底的に寄り添うため、話の展開が全くない。作品中でも
 何の展開もないまま、ジョーは孤独を抱え込んだまま、2年が経過する。

 そして2年後。
 ジョーが孤独に慣れ、ひとりでジョナの姿を求めて、自転車で町の外に
 出て行くあたりから、物語は怒涛の展開を迎える。
 それまでにちりばめられたエピソードや時折挿入される行方不明当日
 のジョナの心の動きから、物語は「ファンタジー」として、
 展開されるのかと思いきや、それまでの伏線を活かして、全てが
 とても現実的に収束を向かえる。その様子がとても見事だ。

 周囲の人たちがジョナを忘れてしまっても決して諦めずに、ジョナを
 思い続け、探し続けるジョーの姿に、女の子たちの友情の姿とは
 全く違う男の子たちの友情の無骨な強さを感じた。
 急速に話が展開し始め、緊張感漂うまま迎えるクライマックスでは
 どんな状況でも決してあきらめず、希望を失わないジョーを
 手に汗握りながら、必死で応援した。

 女の子はいつだって現実的だ。消防車が通ったからといって追いかけない。
 けれど、現実的なことばかり考える男の子、現実を見てすぐに
 妥協点を見つける男の子なんて詰まらない。
 男の子にはいつだって、未来を見つめててほしい。
 周囲の人のことなど気にせず、全速力で走ってほしい。
 それこそが「男の子」のときに味わえる特権であり、「男の子」のとき
 特有の魅力だと思うのだ。