のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

ギフト

2007年11月17日 20時50分44秒 | 日常生活
昨日は会社の先輩と、会社の先輩を通じて知り合ったわくさん(仮名)と
三人でお食事会でした。
久々の再会だったわくさんと手を取り合って再会を喜び合いました。
わくさんとは、会社の先輩を通じて知り合ったものの
三人でお食事するのは今回が初めて。お互いにお互いの結びつきが
よく分かっておらず、前半はわくさんものりぞうも質問しっぱなしでした。

わくさん「会社ではおふたりは同じ部署なの?」
のりぞう「違います。会社では関わりあうことがないんです。
     仕事で会話したこともありません。」
先  輩「いや、確かに関わりはほとんどないけど、
     仕事の会話をしたことも何度かあるよ。」
のりぞう「え?ありましたっけ?ないですよー!!」
先  輩「いや、あるって!ほら、一緒に試験受けたやん。」
のりぞう「・・・試験?はて・・・・?


     あ!!ありましたね!そんなことも。
     ありました、ありました。仕事で会話したことありました。」

わくさん「部署の飲みも一緒に行ったことあるの?」
先  輩「いや、部署が違うけんねー。
     一緒に飲むなんてことがほとんどないんよ。
     でも、一回だけ、のりぞうの部署と俺の部署とで
     飲みに行ったことがあるっちゃんね。」
のりぞう「そんなこと、ありましたっけ?ないですよ!
     部署で一緒に飲みに行った記憶なんてまったくないんですけど。」
先  輩「いや、飲みに行ったことあるって。」
のりぞう「えー?ないと思うんですけど。
     ちっとも覚えてないんですけど。」

・・・のりぞうが記憶からいろんなことを消去して
生きていることがよく分かりました。

「忘れる」ことは、人間に与えられた大切な能力のひとつです。
でも、のりぞうに与えられた「忘れる」能力は強大で
自分でコントロールすることすらできません。

玻璃の天/北村薫

2007年11月17日 20時01分54秒 | 読書歴
■玻璃の天/北村薫
■ストーリ
 昭和8年東京。経済界の一翼を担う良家に生まれた少女・花村英子と
 その家のおかかえ運転手・ベッキーさんこと別宮。日常に潜む謎に
 心を痛めた英子がベッキーさんにアドバイスを求めるミステリ短編集。
 「街の灯」の続編。

■感想 ☆☆☆☆
 戦争の影が色濃くなってきている日本で、凛としたたたずまいで
 国の行く末を見つめ、自分の信念を持ち続けるふたりの女性の姿が
 大変印象的な作品。
 ジャンルを問われると「推理小説」だが、推理小説が苦手な人にも
 ぜひ勧めたい。

 作者、北村さんが、今、この時代に、書かなければ、と思って
 書いた作品なのではないかと思う。
 昭和8年の東京を舞台に選び、ヒロイン達に日本が選んだ道を
 しっかりと見届けさせる。自分の信念と向き合い、言葉にすることで
 国が進んでいっているであろう道と、自分が進みたい道との違いを
 真摯に考え抜くヒロイン。
 彼女のまっすぐな瞳が、思慮深い表情がまぶしい。

 三篇通してのテーマは「公」と「私」の関係。
 私達は「自分だけ」で生きているわけではない。
 日本という国に守られて生きている。
 だから、私達には日本の未来について、将来について、真剣に考える
 義務がある。しかし、それと同時に、私達には「自分の幸せ」を
 追求する権利もある。国には国民ひとりひとりを幸せにする義務がある。
 ひとりを幸せにできずに、多くの人を幸せにできるはずがないと思うのだ。

 あの時代。急速に何かが変わっていったあの時代も、きっと 
 みんなは自分の幸せだけではなく、自分達の子供達の幸せを願っていた。
 自分の幸せよりも国の将来を優先させた志の高い人もたくさんいた。
 それなのに、よくわからない何かに巻き込まれてしまったあの時代。
 私には結局、「公」と「私」の関係はよくわからない。
 あの時代を俯瞰的に捉えることもできないでいる。

 しかし、英子は時代に対する違和感を放置しない。
 どこに違和感があるのかを見据え続け、考え続ける。
 その強さは、北村作品のヒロインが共通で持っている魅力であり
 私はその強さに背筋を正してもらうため、北村作品を読むのだと思う。

デッドエンドの思い出/吉本ばなな

2007年11月17日 19時27分24秒 | 日常生活
■デッドエンドの思い出/吉本ばなな
■ストーリ
 つらくて、どれほど切なくても、幸せはふいに訪れる。
 かけがえのない祝福の瞬間を鮮やかに描き、心の中の宝物を
 蘇らせてくれる短篇集。

■感想 ☆☆☆
 短編集が苦手だ。
 本を読むとき、登場人物のひとりに想いを重ね、作品世界の中に
 入り込んで読む癖がある。しかし、短編集はどうしても短いが故に
 作品世界に入り込む前に終わってしまうことが多い。
 そのため、読み終わったときに消化不良を感じてしまうのだ。
 だから、好きな作家さんの作品でさえ、あまり短編集は読まない。

 しかし、ばななさんの作品に関しては、いつも、
 誰かに想いを重ねるのではなく、「自分」のまま、客観的に
 登場人物たちが織り成す関係やそこで発生する感情を
 時に冷静に、時に心を痛めながら、それでも「第三者」のまま
 読んでいる。
 それは、私が彼女作品に求めるものがストーリではなく
 彼女独特の言葉の使い方、気持ちの表し方だからだろう。
 曖昧で表現が難しい気持ちを、具体的に
 「そうそう!そういうこと!」
 と手を取ってぶんぶんと振り回したくなるぐらい
 ぴったりとした表現で言い表してくれる彼女の表現力はこの作品でも健在。

 特にドラえもんとのび太の関係を繰り返し例に出して述べた
 理想の愛の形は印象的。日の当たる縁側でどこにでも手に入るような
 高級ではないドラ焼きをふたりで頬張って、昼寝をする二人。
 会話がなくても笑顔で横になっている二人。
 安心して、関係を築きあっているドラえもんとのび太の姿は
 確かに私達の世代にとっては「小さい頃から今まで見慣れてきた姿」で
 「日常の幸せ」をもっとも具体的にビジュアル化したものとして
 提示しやすいんだろうな、「永遠」を彷彿とさせるんだろうなと共感した。

 黄金に輝く秋の風景が美しい表紙といい、
 静かに穏やかに続いていく人間関係への憧れを書いた作品たちといい
 秋の切ない季節にぴったりのお話だと思う。

斬られ権佐/宇江佐真理

2007年11月17日 18時57分09秒 | 読書歴
■斬られ権佐/宇江佐真理
■ストーリ
 惚れた女を救うため、負った八十八の刀傷。
 江戸・呉服町で仕立て屋を営む男は、その傷から「斬られ権佐」と
 呼ばれていた。権佐は、救った女と結ばれ、兄貴分で八丁堀の与力
 数馬の捕り物を手伝うようになる。押し込み、付け火、人殺し。
 権佐は下手人が持つ弱さと、その哀しみに触れていく。
 だが、権佐の体は不穏な兆しを見せ始めていた。

■感想 ☆☆☆*
 江戸時代を舞台に、ただひとりの女を愛し続けた無骨な男と
 そんな男の気持ちに揺さぶられた女の胸に迫る愛の話。

 自分より年上で、美人、学があり、「医者」という生涯をかけて
 全うしたいと決めている職業があるあさみ。
 だから彼女は数多くの縁談話も全て断り続ける。
 そんな彼女を小さい頃からずっと「ただひとりの女」として
 憧れ続けてきた権佐。
 彼は自分ごときが彼女に釣り合うわけもない、と
 思いを口にすることもなかったが、命がけで彼女を守った縁で
 添い遂げられることになる。

 所帯を持っても、妻を「ただひとりの人」として、見つめ続け
 どこかで「自分がこんな体になったから、一緒にいてくれるのではないか」
 と妻に対して引け目を感じ続ける権佐の想いが切ない。
 また、普段は理知的で、少々冷淡に感じることもあるあさみが
 そんな夫の想いにちゃんと気付いていて、何度も何度も
 「私はあの人におっこっちれたんですよ。」と言葉を尽くす姿も切ない。

 夫婦なのに、添い遂げているのに、それでもお互いの気持ちを
 伝え合えない二人。どこかに遠慮がある二人。
 そして、強く強く想いあっている二人。
  
 先日の新聞に「結婚を漢字一文字で表すと?」というアンケートで、
 60代の男女が一番多く回答した漢字は「忍」だという記事が掲載されていた。
 日本人はどこか照れ屋だ。年を重ねれば重ねるほど、
 こういったアンケートに「愛」とか「美」とか美しい漢字を答えることは
 できないだろうな、とは思う。

 けれども、照れることなく「絆」とか「縁」、「情」といった
 永い深い想いを表す意味のある漢字を思いつけるような人に
 出逢いたい。この作品を読んでそう思った。

ガーフィールド/2004年アメリカ

2007年11月17日 18時30分07秒 | 映画鑑賞
■ガーフィールド/2004年アメリカ
■ストーリ
 ちょっと太めなグウタラ猫、ガーフィールドの毎日はお気楽。
 飼い主のジョンにイタズラし、朝食はいつでも過剰摂取。
 ギャル猫探して外をフラつきながら、盗み食いのチャンスも逃さない。
 ところがそんなある日、飼い主のジョンが子犬のオーディを
 連れて帰ってきた!今までジョンの愛情を独り占めしてきた
 ガーフィールドにとって、オーディは正に天敵そのもの。
 オーディに対するジェラシーが爆発し、毎日イジワルに
 明け暮れていると、オーディが行方不明になってしまった!
 さすがに責任を感じたガーフィールドは、オーディ探しの冒険に出かける。

■感想 ☆☆☆☆
 自分ひとりだったら、まず選ばないだろう作品です。
 が、これが予想外に面白かった!!
 ものすごーく不細工で生意気な猫、ガーフィールドが
 飼い主の愛情を独り占めしたくて、孤軍奮闘する様も
 オーディがいなくなった後に、思いがけず感じる寂しさも
 オーディを救うために振り絞る勇気も、どれも心から共感でき
 思わず、手に汗握りながら、作品世界に入り込んでしまいました。

 生意気なガーフィールドの吹き替えは藤井隆さん。
 小憎たらしいキャラクターと声がものの見事にあっていて
 全く違和感がありません。見ているうちに、ヒネクレ者で
 自分の感情をうまく表現できないガーフィールドがどんどん
 可愛く見えてきます。
 都会で出逢った動物達と力をあわせてオーディを救い出す様子に
 胸が熱くなり、爽快な気持ちを味あわせてくれます。

 期待していなかっただけに、ものすごーく得した気分。

その日のまえに/重松清

2007年11月17日 18時24分46秒 | 読書歴
■その日のまえに/重松清
■ストーリ
 昨日までの暮らしが明日からも続くはずだった。それを不意に
 断ち切る愛するひとの死。僕たちは「その日」に向かって生きてきた。
 生と死と、幸せの意味を見つめる連作短編集。

■感想 ☆☆☆*
 身近な人の「死」までの時間を描いた連作短編集。
 みんなから苦手だと思われていた小学校時代の同級生のお見舞いと
 その後を描いた「ひこうき雲」、数年前に亡くなった夫への思いを綴る
 「朝日の当たる家」、余命を宣告されたサラリーマンが小さい頃に
 幼馴染を亡くした海を訪れる「潮騒」、女手ひとつで育てた高校生の
 息子に自分の病気を伝える「ヒア・カムズ・ザ・サン」、
 そして妻を亡くした家族を描く「その日」三部作。

 どの作品もすぐ傍に空気のように存在していた人や
 いつまでも続くと思っていた未来が「当たり前」ではないこと
 限りあるものなのだということに気付かせてくれる作品だ。
 それは「大切な人」に対しての感覚だけではない。
 普段、「ちょっと鬱陶しい」とか「うるさいヤツ」と疎んじている人も、
 生きていてくれている、ただそれだけのことが愛しいのだと思う。
 この感覚は偽善なのかもしれない。
 キレイゴトと言われても仕方がない感覚だとも思う。
 それでもやはり思う。
 「死んでほしい」人なんて、この世には存在しない。
 
 大切な人に「死」が迫ったとき、できることなんてあるのだろうか。
 「死」が迫ったとき、人はどんなことをしてほしいと願うのだろう。
 私は何をしてあげたいと思うのだろう。
 色々なことを考えて、頭がパンクしそうになった。
 胸が張り裂けそうになった。

 連作短編集のラストで、身近な人たちの死を経験したそれまでの作品の
 登場人物たちが「その日」の後を迎えた人たちとして、登場する。
 どんなに悲しくて泣き叫んでも、忘れられない痛みを経験しても
 残っている人たちに「明日」は来るし、いつかは笑うようになる。
 けれども「忘れてもいいよ」と言った奥さんの言葉を忘れられずにいる
 夫のように、亡くなった人たちは、必ずどこかに痕跡を残す。
 命はなくなっても、存在はなくならない。
 そのことが残される人にとっての救いなんだろうな、と思った。