博多と小倉をうろうろして育ったため
いろんな方言が混在しているのりぞうです。
ホンモノの博多弁がどんなものなのかも
今ひとつ把握できてないんですけどね。
おそらくのりぞうの身に染み付いているのは福岡弁です。
生粋の博多っ子が聞くと、博多弁と福岡弁もかなり違うようです。
・・・ま、普段はそんなこと全く意識せずしゃべってます。
好きな言葉を好きなように。
最近、言葉がやさぐれがちなので
若干、美し目の言葉を選んで優しげに。
本日、教会のちびっ子礼拝で
ちびっ子ちゃんたちを迎えていると
浦和出身の教会員の方がのりぞうに話しかけてきました。
「のりぞうちゃんってずっと福岡?」
ええ。のりぞうは福岡県を出たことはありません。
今後も福岡県を出るつもりはさらさらありません。
「やっぱり。言葉がね、福岡弁よね。
かわいいわね。」
・・・・?福岡弁?
おや?今、ちびっこを迎えたばかりですが
何か福岡弁を使ってました?
「うんうん。「着ときー」「脱いどきー。」って。
あと、「前5分よー。」って。」
そんな細かいところに違和感を感じるんですね?!
普段、標準語気分で使ってるだけに
指摘されたのりぞうもびっくりです。
着ときぃ。 →(寒いならコートは)着てなさい。
脱いどきぃ。 →(寒くないなら)脱いでなさい。
9時25分よ。→(9時)半前5分よ。
着りぃ。 →(コートを)着なさい。
ちなみに小倉弁でちびっ子に言い聞かせるときは
これらの言葉の語尾に「ちゃ」が付きます。
着ときっちゃ。 →着てなさい。
脱いどきっちゃ。→脱いでなさい。
言葉って面白い。方言って面白い。
なのに、しみついた言葉っていうのは
余所から来た方に指摘されないと分からないのです。
いろんな地域の方と触れ合うのも素敵なもんだと
しみじみ思いました。
地域に限らず、いろんな職業の方
いろんな家族環境の方、いろんな異なる体験をしている方と
触れ合って、お話して、考えや体験を聞くのは面白い。
だから、私はいろんな方が集う教会という場所が
好きなんだなと思うのです。
いろんな方言が混在しているのりぞうです。
ホンモノの博多弁がどんなものなのかも
今ひとつ把握できてないんですけどね。
おそらくのりぞうの身に染み付いているのは福岡弁です。
生粋の博多っ子が聞くと、博多弁と福岡弁もかなり違うようです。
・・・ま、普段はそんなこと全く意識せずしゃべってます。
好きな言葉を好きなように。
最近、言葉がやさぐれがちなので
若干、美し目の言葉を選んで優しげに。
本日、教会のちびっ子礼拝で
ちびっ子ちゃんたちを迎えていると
浦和出身の教会員の方がのりぞうに話しかけてきました。
「のりぞうちゃんってずっと福岡?」
ええ。のりぞうは福岡県を出たことはありません。
今後も福岡県を出るつもりはさらさらありません。
「やっぱり。言葉がね、福岡弁よね。
かわいいわね。」
・・・・?福岡弁?
おや?今、ちびっこを迎えたばかりですが
何か福岡弁を使ってました?
「うんうん。「着ときー」「脱いどきー。」って。
あと、「前5分よー。」って。」
そんな細かいところに違和感を感じるんですね?!
普段、標準語気分で使ってるだけに
指摘されたのりぞうもびっくりです。
着ときぃ。 →(寒いならコートは)着てなさい。
脱いどきぃ。 →(寒くないなら)脱いでなさい。
9時25分よ。→(9時)半前5分よ。
着りぃ。 →(コートを)着なさい。
ちなみに小倉弁でちびっ子に言い聞かせるときは
これらの言葉の語尾に「ちゃ」が付きます。
着ときっちゃ。 →着てなさい。
脱いどきっちゃ。→脱いでなさい。
言葉って面白い。方言って面白い。
なのに、しみついた言葉っていうのは
余所から来た方に指摘されないと分からないのです。
いろんな地域の方と触れ合うのも素敵なもんだと
しみじみ思いました。
地域に限らず、いろんな職業の方
いろんな家族環境の方、いろんな異なる体験をしている方と
触れ合って、お話して、考えや体験を聞くのは面白い。
だから、私はいろんな方が集う教会という場所が
好きなんだなと思うのです。