旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

富士と桜エビと磯自慢と 御殿場線を完乗!

2022-01-08 | 呑み鉄放浪記

 小田急線に乗り入れて新宿へ向かう “特急ふじさん2号” がなだらかな裾野を滑り降りていく。
澄んだ冬の青空を背景に富士の高嶺が姿を見せてくれた。これを見たくて年末年始2度目の御殿場線だ。

午前7時の国府津駅、日の出直後の足柄山はまだ茜に染まっている。
御殿場線はここ国府津を起点に東海道本線から分岐して、富士山に向かって2両編成が登っていく。

ところで一旦改札口を出て目の前の無粋な高架道路を潜ると、蒼い湘南の海岸線が目の前に広がっている。
白い波打ち際が煌めきながら真鶴半島へと緩いカーブを描き、沖には初島と大島が浮かんでいるね。

山際の町々にも朝のラッシュはある。コートの襟を合わせた通勤客が待つ中、対向の313系が山を降りてきた。
各駅のホーム有効長は長い。昭和9年の丹那トンネル開通まで、御殿場線は東海道本線の一部だったからだ。
確かに鉄道唱歌には、山北・小山・御殿場が謳われていて熱海は登場しないのだ。

酒匂川・鮎沢川と絡みながら、連続する急カーブで25‰の急勾配を登ってきた御殿場線の車窓は、
足柄駅を出て3〜4分、ほとんど唐突に視界が開ける。仰ぎ見るばかりの富士山が飛び込んでくるのだ。

 富士を背負ったような御殿場駅、箱根乙女口にはプレミアムアウトレット行きのシャトルバスが待つ。

富寿司さんは典型的な駅前食堂の趣き、暖簾には「御食事処」と染め抜いてある。
っで、握ってもらわずに “カツ重” を択ぶ。お酒が新潟・魚沼の “緑川” なのが拘りを感じるね。

駅前食堂の前には黒々と重量感を感じさせるテンダー機関車 D52-72号機 が静態保存されている。
著名なD51の後継機は1,000tの貨車を牽引できる強力な機関車で、1968年の電化までこの線区を走っていた。
真っ白な雪を被った富士を背景に、黒い煙をたなびかせて走る姿は絵になったことだろう。

富士山御殿場口開山式が行われる新橋浅間神社は縁結びのパワースポットで「恋人の聖地」でもある。
女神様=木之花咲耶毘売命(このはなさくやひめのみこと)を主祭神とするだけあって極彩色の社殿だ。

 さて、御殿場の町をぶらりとしたら旅の後半、なだらかな裾野を駿河湾を目指して滑り降りるのだ。

JR東海系のコンビニエンスストアBellmartで富士宮の酒 “富士山” を見つけて仕込んでおいた。
折角の転換クロスシートだから開けちゃおう。ワンカップを開けるときの パコッ♪ が旅情をそそるね。

本醸造を舐めながら、沼津までの30分はアッという間。オレンジのラインは快調に下り勾配を滑ってきた。
左手から東海道本線の複線が近づいてきて、御殿場線は60キロの距離を経て元の鞘に収まるのだ。

向かい側の6番ホームでは、熱海行きが絶妙のタイミングで乗り継ぎを図っている。がっボクは乗らない。
久しぶりの沼津だから港まで足を延ばして、水揚げされたばかりの魚介を肴にさらにもう一杯と行きたい。

 観光客を意識した沼津港魚河岸にあって、比較的ゆるり飲める店と評判の「かもめ丸」をめざす。
っと言うか、ボクが探し当てる前にやり手のオバチャンに袖を引かれたってのが本当のところだ。

先ずは生ビール(ジョッキは冷やしておいてね!)にごくりと喉を鳴らす。お通しは “シラス” だね。
肴は “アジの南蛮漬け”、いやいや一切手を抜いていない中々の美味。それにアジが大ぶりなのだ。
地酒は焼津の “磯自慢” をいただく。“いくらしょうゆ漬け” を抓みながら淡麗辛口の酒を愉しむのです。

〆は “ぬまづ丼” なる海鮮三色丼を。駿河さばの出汁の炊き込みご飯に生シラスと生桜エビと鯵のたたき、
生姜と刻みネギを溶いた薬味醤油を垂らしながら、贅沢に味わう駿河湾の幸が美味しい。

海へ山へそしてまた海へ、御殿場線の旅はここに終わる。それにしても今日は飲み過ぎただろうか。

御殿場線 国府津〜沼津 60.2km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
雨のリグレット / 稲垣潤一 1982