旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

春色の汽車に乗って いすみ鉄道を完乗!

2022-04-02 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

桜と菜の花とディーゼルカーと。見たかった情景が目の前に、旧国鉄の急行型ディーゼルカーが往く。

春色の汽車に乗って 海に連れて行ってよ ♪、40年という時間を超えても色褪せない名曲だと思う。
呑み人が「春色の汽車」で思い浮かべるのは、この菜の花色のディーゼルカーなのだ。

小湊鐵道に揺られ房総半島の背骨を越えると上総中野、菜の花色のディーゼルカーが迎えに来ている。
今回はいすみ鉄道(旧国鉄木原線)に乗って、外房の港町・大原まで抜けるつもりだ。

とは言っても寄り道の多い呑み鉄旅、早速っとふた駅目の菜の花が咲き誇る総元(ふさもと)に途中下車する。
菜の花に埋もれ、ソメイヨシノに包まれた上に鯉のぼりまで泳いで、地元の方々の優しさに触れた気がするね。

プァーンと春風に乗って、ずいぶん遠くから警笛が流れて来る。
高価なカメラを三脚に据えたアマチュアカメラマン達がざわめくと、あっと言う間に迎え撃つ砲列が並ぶ。
クルマ1台がやっと渡れる小さな踏切の警報機が鳴り出すと、彼らの緊張感は高みに達するのだ。

急行のヘッドマークも誇らしげに、上総中野行きの57Dが車体を大げさに揺らして石積みのホームに停車。
キハ28はJR西日本の高山本線を走っていたと言う。このノスタルジックな情景には言葉も出ないのだ。

40分後、折り返してきたキハ28のボックスシートに腰掛けると、子どもの頃の祖母を訪ねる旅を思い出す。
東総元〜小谷松間では、桜の淡いピンク色が車内まで飛び込んできそうな桜並木の中を走り抜ける。

ノスタルジックなディーゼルカーに揺られること10分少々、静かな城下町・大多喜に到着する。
キハ28とバディーを組むのはキハ52、1950年代から日本中に散らばって活躍した形式だと言う。

大多喜は天正18年(1590年)に上総国が徳川家康に与えられ、その勇将本多忠勝が拝領し3層4階の天守を築いた。
呑み人的には大河ドラマ「真田丸」で藤岡弘さんが演じた武骨ぶりをイメージする。
町はずれの行徳橋には、床几に腰掛ける甲冑姿の本多忠勝像が、外敵を追い散らすかのように睨みをきかす。

大多喜城は城下町の西側、夷隅川の河岸段丘上に築かれた平山城で、蛇行する川と城下町を見下ろしている。
二の丸御殿薬医門を残す大多喜高校から仰ぎみると、桜に包まれてなかなか美しいと思う。

大多喜城本丸跡に建設された天守閣づくりの建物は歴史博物館、現在は改修工事のため休館になっている。
それでも桜色に包まれた白壁の城郭様式を見ようと、多くの人たちが坂を上ってくる。

下城したら土蔵造りの商家・釜屋(旧江澤邸)など、風情ある城下町通りを歩いてみる。
“最中十万石” の津知家、“大多喜城” を醸す豊乃鶴酒造(国登録有形文化財)が並ぶ酒蔵小路も雰囲気がある。

ランチは釜屋正面の「とんかつ亭有家」を訪ねた。小さな観光地のハイシーズン、ランチ事情は厳しい。
席を待つこと数十分、座ってからも長そうだから “スーパードライ” を呷ってじっと待つ。
でも、お通しに出てきた “豚と大根の甘辛煮”、これが美味かった。んっ日本酒でもよかったかなぁ。

     

択んだのは変わり種の “梅とんかつ”、ロースと一緒に梅肉と大葉つけて揚げている。
房州豚はことのほかジューシーで甘みもあっていい、さらに梅の酸味を添えてなかなか美味しかった。

ランチ難民となった関係で、予定より遅い15:47発の66Dを待つ。この列車は立錐の余地もない混雑ぶりだった。
先ほど仕込んだ “大多喜城特別純米吟醸” は出る幕を失い土産となり、リュックの中のMyちょこが泣いている。

終点大原駅には16:20着、菜の花色のディーゼルカー2両編成は定員150%の乗客を送り届けて2番ホームに佇む。
陽はすでに西に傾いて、知り合って半年になる彼女を海に連れていくことなく、いすみ鉄道の旅は終わるのだ。

いすみ鉄道 上総中野〜大原 26.8km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
赤いスイートピー / 松田聖子 1982