旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

白鳳城と忍者電車と伊賀牛うどんと 伊賀鉄道を完乗!

2022-12-10 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 カンカン、カンカンとレトロな警報音が鳴動する。大袈裟に車体を揺らして “ふくにん電車” がやって来た。
フクロウで忍者ってことか?何れにしても伊賀鉄道のマスコットキャラクターだ。今回は忍びの国伊賀を往く。

伊賀上野を発った2両編成が大きく左にカーブしてゴトゴトと服部川を渡る。車窓いっぱいに秋の空が広がる。
やがて左手の高台に伊賀上野城が見えてくる。電車は城の東郭から南郭を舐めるように90度急カーブするのだ。

フクロウ・忍者・城・花火・サクラ・星空、ちょっと欲張り気味に描いた電車はさながら伊賀上野市の広告塔か。
よく見ると田園都市線を走っていた車両だね。転換クロスシートは京阪電車のものらしい。近鉄系なのになぜ?

伊賀軌道の開業に伴なって建てられた駅舎は、洋風の腰折屋根を十字方向に重ねて縦長窓を並べる。
モルタル塗の白い外壁に、朱い屋根を載せた姿は市のランドマーク的な建物になっている。

関ヶ原の戦い後、大坂に対峙するために藤堂高虎が改修する城は、普請中の五層の天守閣が大暴風で倒壊した。
まもなく大坂の陣で豊臣氏が滅亡すると、伊賀上野城は天守閣を持たないまま伊賀国の城となったようだ。

水色に澄んだ秋の空に映える白亜の三層大天守は、戦前、代議士が私財を投じて建てた木造の模擬天守だ。
ところで生涯を旅に生きた松尾芭蕉はここ伊賀に生まれた。城内には翁の生誕300年を記念した俳聖殿がある。

城を巡って少々汗ばんだら冷たいビールが飲みたい。っで駅前のニカク食堂のカラクリ扉を押してみる。
この日の上野市(忍者市)駅付近はマルシエが開かれ、食事処はどこも空席待ち。まぁ気長に待つとしよう。

焼けた味噌だれが香ばしい “豆腐田楽” をアテに、陶のジョッキに泡立ちよく生ビールが効くね。
人心地ついた頃に “伊賀牛うどん” が着丼。甘い伊賀牛をたっぷりのせて、ちょっと贅沢なうどんが美味しい。

うどんを掻き込んだら、車中で飲みたい地酒を物色する間も無く、伊賀神戸(かんべ)行きに飛び乗る。
なんだかこの電車、塗装も東急を走っていた頃のまんまだろうか?まるで池上線にでも乗るようなのだ。

建て込んだ市街地の風景は、市役所と大型SCに最寄りの四十九駅を過ぎると一転、長閑な田園風景が広がる。
やがて右手にが木津川が近づいてくる。傾きかけた午後の陽を浴びて、車中酒がなくてもうとうとしてしまう。

上り列車と交換する丸山駅、やっと会えた “忍者列車” は2009年の登場以来、伊賀鉄道の名物となっている。
なぜだか懐かしい気持ちにさせるラッピング、あとで調べたらこれ松本零士氏のデザインなのだ。なるほどね。

大きく右にカーブを描いて木津川を渡ると終点の伊賀神戸駅、小さな上野盆地を縦断して伊賀鉄道の旅は終わる。
ゴーっと音を立てて、真紅の “特急ひのとり” が駆け抜けていった。伊賀神戸は近鉄大阪線との連絡駅なのだ。

秋の乗り放題パス(連続する3日間)を握りしめて呑み鉄の旅、最終日は伊賀鉄道にちょっと寄り道してみた。
近鉄線で津まで出たら、再びJR線で延々と東京をめざす各駅停車の旅になる、まだまだここからが長いのだ。

伊賀鉄道 伊賀上野〜伊賀神戸 16.6km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
琥珀色の想い出 / あみん 1982