太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

うらない鮨屋

2013-01-08 09:53:08 | 不思議なはなし
私は三姉妹の真ん中で、東京の美大を出たあと地元に戻り、就職した。

4つ違いの姉は、短大を出てそのまま東京で就職していて、私が地元に戻った時、妹はまだ高校1年だった。

父は、ささやかな事業を営んでいたから、

誰かが婿をもらって家業を継いでほしい、という親の希望は、言葉にこそしないものの、私たちの心の底に常にひっかかっていた。

でも姉妹でそれを話題にすることがなかったのは、互いにけん制し合っていたのか。

婿取りが嫌だとか、親に反発しているとかいうんじゃなくて、違う名前にもなってみたかったし、なにより大恋愛をしてヨメに行く、という夢があった。



或る時、帰省してきた姉が、「うらない鮨屋に行ってきた」という。

「売らない鮨屋?」

「違う違う、 占い鮨屋だってば」

なんでもそこは、鮨を握りながら、占いをしてくれるらしい。

姉はその鮨屋に、私たち姉妹の行く末を聞いたのだそうだ。

「そうしたらね、アンタが一番親の近くにいるんだってさ~」

と嬉しそうに鼻を膨らませて言うではないか。



「ぬわぁにを見てきたようなことをぬかしおってッ!!」


どんなに当たる占いであっても、占いは所詮占いであって、その通りになるもならぬも自分次第なのは承知なのだが、

言われたことは瞬時にインプットされてしまうのは私だけだろうか?

それも信じたくないことに限って、ずっと心の中の、けっこう邪魔なところに放置されたまま離れない。

だから一応憤慨したものの、「なんで私が・・」という失望は隠せなかった。

それでも、いつまでも上の二人が結婚しないので、短大を出たばかりの妹が婿を取って家業を継ぐことでおさまったはずだった。




そして私たちがどうなったかといえば。




今でこそ、結婚適齢期という言葉すら消えたけれど、当時は25歳は立派な「売れ残り」といわれた時代。

その「売れ残り」をとっくに過ぎても、まったく姉も私も結婚する気配もなく、親は焦りに焦りまくった。

「金は出す。頼むから出雲大社で縁結びを頼んできてちょうだい」

とまで言い出す始末。おかげで三姉妹で出雲大社に小旅行したのは良い思い出になった。



しかし、すぐにご利益があったのは妹で、

【妹を父の会社に入れて婿を取る】という私たちの青写真もむなしく、妹は和菓子屋の跡取りと大恋愛し、

さっさと会社を辞めて結婚してしまったのだった。




これで「はては占い鮨屋 大当たりか!」と思ったものの、

すったーもんだの挙句、私は今ハワイに住み、鼻の穴を膨らませていた姉が、実家を二世帯住宅に建て替えて

両親と同居している。

人生とはそう単純にはいかないものなのだ。






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