太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

「運命が見える女たち」

2013-01-20 08:56:07 | 本とか
昔、姉が占い鮨屋に行った話を書いたが(参照記事「うらない鮨屋」)、占いとは不思議なものだ。


この本は、著者が知人から、占いブームをさぐる目的で依頼された仕事として、3人の占い師に潜入取材するというもの。

依頼した知人は行方をくらまし、取材目的で始めたはずの仕事は、いつしか彼女にとってなくてはならぬものとなり、

それは2年以上も続く。



大昔、私は1度だけ、人の紹介ではるばる大阪まで占い師を訪ねたことがある。

どうしていいのかわからなくて、もし未来が見えたなら、すぐに決断できるのにと思った。

こぎれいな雑居ビルの狭い階段をあがってゆくと、何の変哲もない茶色いドアがあった。

政治家や芸能人も顧客にいると聞いていたから、細木和子さんのような風貌を想像していたが、迎えてくれたのは

垢抜けた感じのにこやかな女性だった。

私は聞きたいことをズバリを聞き、彼女はズバリと答えた。

それを聞いた時に、私は初めて自分が、「期待している答えがあった」ことに気づいた。

悩みつくしたはずなのに、やっぱりこうなってほしいという気持ちが、まだ私にはあったのだ。



彼女は私が期待した答えとは裏腹なことを言った。

彼女が会ったこともない人々の心情を、ありありと語り、それはまるで舞台の袖から自分の人生劇をみているようだった。

ショックだったけれど、それでも私は、私が望んでいないほうの決断をした。

彼女を信じたからというよりも、悩むことに疲れ、なんでもいいから決断をする大きなキッカケが欲しかった。



現実は、彼女の言ったとおりにならなかった。

しかし、望まないほうの決断をしたはずが、結果的には私が望む結果になった。


「あの占い師は当たらなかった」とも言えるし、

「ああ言ってくれたからこそ、今がある」とも言える。

なぜなら、私があそこで別の決断をしていたなら、きっと望む結果にはならなかったと思うからだ。


まあ、その「望む結果」が、私の人生を大きくメンドクサクしたというのはまた別の話・・・・・




この本の中で、一人の占い師が言う台詞がある。

「人間はね、考え抜いた結論を持って事に当たっても、ろくなことはできないものなのよ。仕事も恋も何も考えないほうがうまくいくケースが圧倒的に多い。

必死で先を読んでそうならないように立ち回ることは、時には状況を悪くする。もしあなたが運命を変えることができるとするなら、それは何も考えないで、ただあなたが無心に動く、そんな瞬間を積み重ねるしかないの」



これは真実だろうと思う。

こうならないように、と思って動く時よりも

こうなろう、と思って動く時のほうがずっとスムーズに行くのは確かなことだ。



出版社を経営している著者は、先回りして人の心を読むことで、さまざまなことに対処してきたと思っていた。

だから、占い師なしではいられなくなる。

だけどそれは本当に自分にとって良いことなんだろうか。



自分がこの先どうなるかがわかったら、望まないことは避けて、楽しいことだけ体験できるんだろうか。

人の心が読めたら、人に嫌われることもなく、人の態度に悩むこともなく満足だろうか。

もしそうだとすれば、楽しいことだけ、すてきな人ばかりの毎日は、それはそれでやっぱりつまらないと感じたりしないだろうか。

美味しいものだけを食べていたら飽きるように。

毎日が休みだったら、休みのありがたさがなくなるように。




私はこういう特殊な能力をもった人たちを、まったく否定しない。

いかにも怪しい占いとか、威圧的にコントロールしようとするのとはかかわりたくはないけれど。

人の心や、私の未来を見ようとしたのは、後にも先にもこれ1度きりで、

15年あまり後、私は今度は自分自身をみつけるために、特殊な能力を持った人と出会うことになる。

その話はまたいつか。





「運命が見える女たち」

井形慶子  ポプラ文庫







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