太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

ラッキョウ

2013-01-25 07:43:37 | 食べ物とか
大人になってから食べられるようになったものはいくつかあるが、

ラッキョウもその一つだ。


子供の頃、歩いて10歩ぐらいのところに幼馴染の家があった。

男の子と女の子がいて、二人とも姉と私と年が近かったから、毎日のように遊んだ。

幼馴染の家で、時間を忘れて遊びほうけていて夕飯時になり、

時に晩御飯をよばれていくことがあった。



その家族は私のことを「くうくたん」と呼んだ。

私の名は ヒロコ で、どこをどうしたら「くうくたん」になるのかわからないのだが、

とにかくその家族だけが私をそう呼んだ。



おばちゃんが、「くうくたん、ご飯食べていきな」と言う時は、きまってカレーライスだった。

子供ならみんなカレーライスが好きなものだし、私たちが夢中で遊んでいるのをみて、カレーライスにしてくれたのかもしれない。

その家には、まだ土間があって、カマドもあった。

そこで、漬物樽と同じ匂いのするおばあちゃんが、分厚い木の蓋が乗ったお釜でご飯を炊く。

そうして炊いたご飯は、艶々として、甘みが強くて、カレーライスがいくらでも食べられた。



私の家ではテーブルに椅子でご飯を食べるのに、その家ではちゃぶ台があって、みんなで畳に座って食べた。

夏には、お風呂までよばれていくこともあった。

その家のお風呂は木でできていて、外から火を燃してお湯を温める。

土間もカマドも、ちゃぶ台も木のお風呂も、何もかもが珍しく、まるで遊園地にいるようだった。



ただ一つ、嫌だったのは、カレーライスにおばちゃんがラッキョウを乗っけてくれることだ。

幼馴染のきょうだいは、ラッキョウが好きだったから、私も好きだと思ったのだろう。

でも私は、福神漬けのように甘くないラッキョウの味も、歯ごたえも好きになれなかった。

かといって、出されたものを残すこともできず、

それは好きじゃないと言って、おばちゃんをガッカリさせる勇気もなかった私は、

ラッキョウをカレーの中に埋めるようにして、できるだけ噛む回数を減らして飲み込んだものだ。



がんばってラッキョウを食べてしまうと、

「ほら、くうくたん、まだラッキョウあるだからね」

と言って、新たなラッキョウをお皿に乗せられると、涙目になりそうになった。




ラッキョウがおいしいと思うようになったのは、ここ数年のことだ。

夫はガイジンのくせに、ラッキョウが好きで、カレーのお供に欠かせない。

マウイオニオンのピクルスに、味が似ていなくもない。




そしてラッキョウを食べるたび、幼馴染の家で食べた、じゃがいもがゴロゴロ入ったカレーライスを思い出す。

「くうくたん」の理由を聞きそびれたまま、数年前におばちゃんは帰らぬ人となってしまった。

会おうと思えば会えるところにずっといたのに、

どうしてそうしなかったのだろう。

誰かと会えなくなったとき、きまってバカみたいに同じ後悔を繰り返すのである、。










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