大人になってから食べられるようになったものはいくつかあるが、
ラッキョウもその一つだ。
子供の頃、歩いて10歩ぐらいのところに幼馴染の家があった。
男の子と女の子がいて、二人とも姉と私と年が近かったから、毎日のように遊んだ。
幼馴染の家で、時間を忘れて遊びほうけていて夕飯時になり、
時に晩御飯をよばれていくことがあった。
その家族は私のことを「くうくたん」と呼んだ。
私の名は ヒロコ で、どこをどうしたら「くうくたん」になるのかわからないのだが、
とにかくその家族だけが私をそう呼んだ。
おばちゃんが、「くうくたん、ご飯食べていきな」と言う時は、きまってカレーライスだった。
子供ならみんなカレーライスが好きなものだし、私たちが夢中で遊んでいるのをみて、カレーライスにしてくれたのかもしれない。
その家には、まだ土間があって、カマドもあった。
そこで、漬物樽と同じ匂いのするおばあちゃんが、分厚い木の蓋が乗ったお釜でご飯を炊く。
そうして炊いたご飯は、艶々として、甘みが強くて、カレーライスがいくらでも食べられた。
私の家ではテーブルに椅子でご飯を食べるのに、その家ではちゃぶ台があって、みんなで畳に座って食べた。
夏には、お風呂までよばれていくこともあった。
その家のお風呂は木でできていて、外から火を燃してお湯を温める。
土間もカマドも、ちゃぶ台も木のお風呂も、何もかもが珍しく、まるで遊園地にいるようだった。
ただ一つ、嫌だったのは、カレーライスにおばちゃんがラッキョウを乗っけてくれることだ。
幼馴染のきょうだいは、ラッキョウが好きだったから、私も好きだと思ったのだろう。
でも私は、福神漬けのように甘くないラッキョウの味も、歯ごたえも好きになれなかった。
かといって、出されたものを残すこともできず、
それは好きじゃないと言って、おばちゃんをガッカリさせる勇気もなかった私は、
ラッキョウをカレーの中に埋めるようにして、できるだけ噛む回数を減らして飲み込んだものだ。
がんばってラッキョウを食べてしまうと、
「ほら、くうくたん、まだラッキョウあるだからね」
と言って、新たなラッキョウをお皿に乗せられると、涙目になりそうになった。
ラッキョウがおいしいと思うようになったのは、ここ数年のことだ。
夫はガイジンのくせに、ラッキョウが好きで、カレーのお供に欠かせない。
マウイオニオンのピクルスに、味が似ていなくもない。
そしてラッキョウを食べるたび、幼馴染の家で食べた、じゃがいもがゴロゴロ入ったカレーライスを思い出す。
「くうくたん」の理由を聞きそびれたまま、数年前におばちゃんは帰らぬ人となってしまった。
会おうと思えば会えるところにずっといたのに、
どうしてそうしなかったのだろう。
誰かと会えなくなったとき、きまってバカみたいに同じ後悔を繰り返すのである、。
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ラッキョウもその一つだ。
子供の頃、歩いて10歩ぐらいのところに幼馴染の家があった。
男の子と女の子がいて、二人とも姉と私と年が近かったから、毎日のように遊んだ。
幼馴染の家で、時間を忘れて遊びほうけていて夕飯時になり、
時に晩御飯をよばれていくことがあった。
その家族は私のことを「くうくたん」と呼んだ。
私の名は ヒロコ で、どこをどうしたら「くうくたん」になるのかわからないのだが、
とにかくその家族だけが私をそう呼んだ。
おばちゃんが、「くうくたん、ご飯食べていきな」と言う時は、きまってカレーライスだった。
子供ならみんなカレーライスが好きなものだし、私たちが夢中で遊んでいるのをみて、カレーライスにしてくれたのかもしれない。
その家には、まだ土間があって、カマドもあった。
そこで、漬物樽と同じ匂いのするおばあちゃんが、分厚い木の蓋が乗ったお釜でご飯を炊く。
そうして炊いたご飯は、艶々として、甘みが強くて、カレーライスがいくらでも食べられた。
私の家ではテーブルに椅子でご飯を食べるのに、その家ではちゃぶ台があって、みんなで畳に座って食べた。
夏には、お風呂までよばれていくこともあった。
その家のお風呂は木でできていて、外から火を燃してお湯を温める。
土間もカマドも、ちゃぶ台も木のお風呂も、何もかもが珍しく、まるで遊園地にいるようだった。
ただ一つ、嫌だったのは、カレーライスにおばちゃんがラッキョウを乗っけてくれることだ。
幼馴染のきょうだいは、ラッキョウが好きだったから、私も好きだと思ったのだろう。
でも私は、福神漬けのように甘くないラッキョウの味も、歯ごたえも好きになれなかった。
かといって、出されたものを残すこともできず、
それは好きじゃないと言って、おばちゃんをガッカリさせる勇気もなかった私は、
ラッキョウをカレーの中に埋めるようにして、できるだけ噛む回数を減らして飲み込んだものだ。
がんばってラッキョウを食べてしまうと、
「ほら、くうくたん、まだラッキョウあるだからね」
と言って、新たなラッキョウをお皿に乗せられると、涙目になりそうになった。
ラッキョウがおいしいと思うようになったのは、ここ数年のことだ。
夫はガイジンのくせに、ラッキョウが好きで、カレーのお供に欠かせない。
マウイオニオンのピクルスに、味が似ていなくもない。
そしてラッキョウを食べるたび、幼馴染の家で食べた、じゃがいもがゴロゴロ入ったカレーライスを思い出す。
「くうくたん」の理由を聞きそびれたまま、数年前におばちゃんは帰らぬ人となってしまった。
会おうと思えば会えるところにずっといたのに、
どうしてそうしなかったのだろう。
誰かと会えなくなったとき、きまってバカみたいに同じ後悔を繰り返すのである、。
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