太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

「中濱万次郎」

2014-10-04 22:40:03 | 本とか
ション万次郎の名前は、多くの人が知っているだろう。

その万次郎の半生を、万次郎のひ孫さんが書いた本である。



ジョン万次郎の乗った船が漂流しているときに、アメリカの船に救助され、

そのままアメリカに渡り、開国の頃に日本に戻ってきた。

ということぐらいしか、私は知らなかった。

この本を見つけたときに、思い出した。

私は忘れていたが、私は万次郎のことをずっと知りたいと思っていたのだった。

すぐに買い求め、むざぼるように読んだ。



万次郎は裕福とはいえない家の、たくさんのきょうだいの一人として生まれ、

船に乗ったときにはわずか14歳であったこと。

それも、みずからすすんで船に乗ったこと。

学問を学ぶ余裕がなかったから無学だったけれど、万次郎は生来賢い人で

アメリカの捕鯨船に救助されて、ハワイに寄港する間に基本的な英語を覚えてしまったこと。

万次郎を見込んだ船長が、アメリカ本土で彼に教育を受けさせたいと願い、

万次郎自身も強くそれを願って、彼だけが本土に行ったこと。


私が知らなかった万次郎の、いきいきとその人生を波乗りしてゆくさまが、

そこには詳しく書かれていた。



一緒に救助された、他の乗組員たちの数人は、ハワイに残ることを選び、定住した。

彼らの墓が、私が住む地域のすぐ近くにあることもわかった。

この著者も、その墓参りに行っている。



大統領であったフランクリン ルーズベルトの祖父の家の向かい側が、

万次郎の住んでいた家で、ルーズベルトはよく祖父から「賢い日本のBOY」のことを聞かされていた。

ルーズベルトが万次郎に宛てた手紙が残っており(写真も掲載されていた)

自分がどんなにその「BOY」に親しみをもっていたか、家族でアメリカに来ることがあれば

ぜひホワイトハウスに連絡してほしい、と書かれている。




当時の日本人にとって、日本を離れて外国に行くことは、

今でなら、宇宙に行くにも似たことではなかったろうか。

運命の波に勇んで乗り、

日本に戻ってきて晩年をすごした万次郎や、

ハワイに残ることを選び、残る生涯を外国で過ごした乗組員たちのことを思う時

胸が躍るような気持ちがするのである。



今度の休みに、その墓所へ行ってみる。




「中濱万次郎 ~『アメリカ」を初めて伝えた日本人~ 』 中濱 博   冨山房インターナショナル









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