太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

世間知らず

2014-10-29 09:45:25 | 日記
ピンクのペンで履歴書を書いた記事で、思い出したことがある。



あれは私がローカルのテレビ局に入社してまもなくの頃。

休みの日に街を歩いていたら、社長を見かけた。

「社長ーーーーーーーッ」

私は大きく手を振りながら、社長めがけて走って行った。

社長はキョトンとした顔で私を見つめた。


「あ、おわかりにならない?美術部に入った、○○です!」


社長は「ほぅ!」と言って笑ってくれたけれど、

零細企業の社長とは違い、数多くの社員の中の、これまた数多くの新入社員の顔など

覚えているはずがないのだ。

それに社長は、地元でも名士であって(これはあとから知ったんだけど)

エラーーイ人なのである。

社長と話をしたことがない社員がほとんどだというのに

私はまるで友達のように馴れ馴れしく呼び止め、話しかけたのだ。


社長は、そんな私を軽く扱うこともなく、

知人の結婚式があって出てきたんだよ、と言った。

私と社長はしばらく肩を並べて歩き、「じゃ、さよならー」と言って別れた。



翌日、職場でその話をすると、美術部のチーフが

「うへぇーー!!なにやってんだ、おまえ」

と目を剥いて驚いていた。



そのチーフとも、喧嘩をした。

とんでもない人を入れてしまったと思ったチーフが、私の両親に直訴しようかと思ったというぐらい、

私はとんでもないハタチであった。

美大時代の感覚そのままで社会に入った私は、ずるずると長ったらしいスカートで局内の床を掃除して歩き

チーフは社長から

「あいつのスカートを何とかしろ」

と言われたらしい。

当時、私はまともな服を一着も持っていなかったし、まともな靴もなかった。

「それはどこが袖で、どうやって着るの?」

と母が真顔で聞くような服を平気で着ていた。



半年もしないうちに、美術部の先輩が病を得て、

彼女の分も私がカバーしなくてはならなくなり、私は俄然変わった。

「あの時はサー、ほんと驚いたよ、同じ人間かと思った」

私がやめるとき、チーフはビールを飲み干しながらそう言って笑った。





だから私は、今職場に入ってくる若者達を見て、なんとまあシッカリしているものだと驚嘆を隠せない。

私が彼らの年の頃は、箸にも棒にもかからない世間知らずだった。

高校生のバイトの子が、シフトが入っている日に

「今日は宿題がたくさんあるから仕事に行けません」と電話をしてきたとき

みんなは、なんて甘いことを言っているかと非難したけれど、

私だけは彼女を笑えなかったのも、こんな過去があるからである。







にほんブログ村 海外生活ブログ 海外移住へにほんブログ村