昔、ハワイアンミュージックは嫌いだった。
ハワイそのものは好きでも嫌いでもなかったが、ハワイアンミュージックは苦手だった。
私にとってハワイアンミュージックというのは、
場末の、うらぶれた遊園地のスピーカーから流れている、
ものすごく浮きまくった音楽でしかなかった。
そして、夫に出会った。
2回目に会ったとき、夫が1枚のCDを貸してくれた。
帰りの車の中でそれを聞いてみた。
ケオラ ビーマーという人のスラッキーギターのCDで、
1番最初の、 ピン という静かな弦の音を聞いたとき、
背骨の下のほうから上にむけて、電流が走るような衝撃があった。
数え切れないほど、そのCDを聞いた。
聞くたび、私の心の奥のドアが1枚ずつ開かれていくようだった。
夫に初めて会ったときに、私は直感でこの人と結婚するのだと確信したけれど、
私のエゴが、この人と結婚しても大丈夫な証拠を出せとうるさい。
言葉がうまく通じないじゃないか、いつまでも英会話の教師をしているつもりか、
ハワイに住むにしても仕事はあるのか、そもそも相手のことをまったく知らないじゃないか。
エゴの声はとどまることを知らない。
そのCDを聞いているうちに、なんだかとっても大丈夫なような気がしてきた。
大丈夫な理由はわからない。
でも、ほんとうに大丈夫なような気がした。
ハワイアンミュージックは、今、私が1番好きな音楽になった。
場末のうらぶれた遊園地でかかっていた、やたら場ちがいな音楽も、
ハワイで聞くと、のびのびと楽しい気分になるから不思議である。
青い空と、海と、風と、短パンと、Tシャツと、ビーチサンダルがあればいい。
実際には、それだけじゃ生きていけないんだけれども、
でもやっぱり大丈夫なような気がしてくるのである。
にほんブログ村
ハワイそのものは好きでも嫌いでもなかったが、ハワイアンミュージックは苦手だった。
私にとってハワイアンミュージックというのは、
場末の、うらぶれた遊園地のスピーカーから流れている、
ものすごく浮きまくった音楽でしかなかった。
そして、夫に出会った。
2回目に会ったとき、夫が1枚のCDを貸してくれた。
帰りの車の中でそれを聞いてみた。
ケオラ ビーマーという人のスラッキーギターのCDで、
1番最初の、 ピン という静かな弦の音を聞いたとき、
背骨の下のほうから上にむけて、電流が走るような衝撃があった。
数え切れないほど、そのCDを聞いた。
聞くたび、私の心の奥のドアが1枚ずつ開かれていくようだった。
夫に初めて会ったときに、私は直感でこの人と結婚するのだと確信したけれど、
私のエゴが、この人と結婚しても大丈夫な証拠を出せとうるさい。
言葉がうまく通じないじゃないか、いつまでも英会話の教師をしているつもりか、
ハワイに住むにしても仕事はあるのか、そもそも相手のことをまったく知らないじゃないか。
エゴの声はとどまることを知らない。
そのCDを聞いているうちに、なんだかとっても大丈夫なような気がしてきた。
大丈夫な理由はわからない。
でも、ほんとうに大丈夫なような気がした。
ハワイアンミュージックは、今、私が1番好きな音楽になった。
場末のうらぶれた遊園地でかかっていた、やたら場ちがいな音楽も、
ハワイで聞くと、のびのびと楽しい気分になるから不思議である。
青い空と、海と、風と、短パンと、Tシャツと、ビーチサンダルがあればいい。
実際には、それだけじゃ生きていけないんだけれども、
でもやっぱり大丈夫なような気がしてくるのである。
にほんブログ村