日本人の同僚のMさんは、とても良い人だ。
ほがらかで、ほんわり・のんびりしていて、誰に対しても感じが良い。
彼女が怒ったところなど想像できない。
「あまり怒ることがないんだよねー」と本人も言っていたことがある。
好き嫌いがはっきりしていて、不平不満も言うし、
すぐに怒る私には、Mさんは羨ましい性格なのだ。
時々、お店にみえるお客様が、私をみつけて駆け寄ってきた。
「あなた久しぶりねー!なぜかあなたがいないときばかり来てしまうみたいで」
そして、Mさんについて、
「私、あの人大嫌いなの。いちいち意地悪なことばかり言うんだもの」
と言うのだ。
人違いだと思い、何度確認しても、それはMさんのことだった。
「とてもいい人ですよ?」
と私が言うと、
「じゃあきっと私と合わないのね」
と言った。
何年も彼女をみてきたけれど、断じて意地悪を言うような人ではない。
でも、そのお客様が嘘を言っているのでもないだろう。
人は、自分が持っているスクリーンを通してしか、ものごとを見ない。
誰かが言った言葉や態度を、どう受け取るかはその人次第だ。
同じ言葉や態度を、「傷ついた」と思う人もいれば、
「ばかにされた」と思う人もいる一方で、まったく何も感じない人もいる。
何かの本に、興味深いたとえ話があった。
村を通りかかった男が、年老いた男性に尋ねた。
「この村に住もうと思うのですが、ここにはどんな人達が住んでいますか」
「おまえさんが今まで住んでいたところはどうだったかね」
「意地悪で人の中傷が好きな人ばかりでした」
「ここも同じじゃよ」
また別の男が、その年寄りに同じことを尋ねた。
「おまえさんが住んでいたところはどうだったかね」
「それはもう、親切で思いやりがある人ばかりでした」
「ここも同じじゃよ」
結局、人は自分が見たいものしか見ない。
このたとえ話は、職場の人間関係が嫌で転職しても、
またそこでも人間関係でつまづくのと同じだ。
自分が変わらない限り、つまり、自分の持っているスクリーンを取り替えない限り、
どこへいっても同じ景色を映し出すだけということだ。
今、自分がどんなスクリーンを持っているかは、
どんな人に囲まれているか、どんな現実が展開しているかを見ればわかる。
自分が外にみる景色が、そのまま自分の持っているものということになる。
人は変えられない。でも、自分は変えられる。
そして自分が変われば、現実は簡単に変わってゆく。
嫌な人が自分の世界から消えたり、自分が去ったり、
その人との間にあったわだかまりが溶けたりする。
そのお客様と私は、それほど話をする機会がなかったから
私には何も感じないだけだろう。
それが良いものであれ、そうでないものであれ、
人から受け取る言葉や態度から、自由になるのはなかなか難しいことには違いない。
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ほがらかで、ほんわり・のんびりしていて、誰に対しても感じが良い。
彼女が怒ったところなど想像できない。
「あまり怒ることがないんだよねー」と本人も言っていたことがある。
好き嫌いがはっきりしていて、不平不満も言うし、
すぐに怒る私には、Mさんは羨ましい性格なのだ。
時々、お店にみえるお客様が、私をみつけて駆け寄ってきた。
「あなた久しぶりねー!なぜかあなたがいないときばかり来てしまうみたいで」
そして、Mさんについて、
「私、あの人大嫌いなの。いちいち意地悪なことばかり言うんだもの」
と言うのだ。
人違いだと思い、何度確認しても、それはMさんのことだった。
「とてもいい人ですよ?」
と私が言うと、
「じゃあきっと私と合わないのね」
と言った。
何年も彼女をみてきたけれど、断じて意地悪を言うような人ではない。
でも、そのお客様が嘘を言っているのでもないだろう。
人は、自分が持っているスクリーンを通してしか、ものごとを見ない。
誰かが言った言葉や態度を、どう受け取るかはその人次第だ。
同じ言葉や態度を、「傷ついた」と思う人もいれば、
「ばかにされた」と思う人もいる一方で、まったく何も感じない人もいる。
何かの本に、興味深いたとえ話があった。
村を通りかかった男が、年老いた男性に尋ねた。
「この村に住もうと思うのですが、ここにはどんな人達が住んでいますか」
「おまえさんが今まで住んでいたところはどうだったかね」
「意地悪で人の中傷が好きな人ばかりでした」
「ここも同じじゃよ」
また別の男が、その年寄りに同じことを尋ねた。
「おまえさんが住んでいたところはどうだったかね」
「それはもう、親切で思いやりがある人ばかりでした」
「ここも同じじゃよ」
結局、人は自分が見たいものしか見ない。
このたとえ話は、職場の人間関係が嫌で転職しても、
またそこでも人間関係でつまづくのと同じだ。
自分が変わらない限り、つまり、自分の持っているスクリーンを取り替えない限り、
どこへいっても同じ景色を映し出すだけということだ。
今、自分がどんなスクリーンを持っているかは、
どんな人に囲まれているか、どんな現実が展開しているかを見ればわかる。
自分が外にみる景色が、そのまま自分の持っているものということになる。
人は変えられない。でも、自分は変えられる。
そして自分が変われば、現実は簡単に変わってゆく。
嫌な人が自分の世界から消えたり、自分が去ったり、
その人との間にあったわだかまりが溶けたりする。
そのお客様と私は、それほど話をする機会がなかったから
私には何も感じないだけだろう。
それが良いものであれ、そうでないものであれ、
人から受け取る言葉や態度から、自由になるのはなかなか難しいことには違いない。
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