太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

2016-03-06 15:13:35 | 日記
職場の、日本人の同僚が、昨年8月に手術のために休みをとった。

1ヶ月もすれば復帰するはずが、先週、亡くなってしまった。

亡くなったことはわかるが、実感として受け入れられるものでもなく、

その日は、気が緩むと泣けてきて、仕事にならなかった。



その夜のことだ。

サプリメントを飲もうとして、錠剤が喉に詰まった。

完全に喉をふさいでいるために、水も入らない。

咳をしようにも、咳をするための空気が入っていかない。

咳をするには、空気が必要なのだということを意識したことはなかった。

息をしようとすると、喉からは「キューッッ」という音しか出てこない。

夫が、私のみぞおちのあたりを何度もコブシで強打する。

私は空気なしの咳を何度も繰り返し、ようやく錠剤が外に飛び出た。



その間、数十秒だったと思うが、

私の一部はやけに冷静で、いろんなことを考えていた。


明日、職場のみんなは私の死を知って、さぞや驚くんだろうとか、

人生のシナリオを、私たちは前もって書いてくるとしたら、

今ここでこんなふうに死ぬというオチを、本当に私は書いたんだろうかとか、

シベリアで抑留されても生き延びた人や、戦後何十年も密林で一人で生きてきたとか、

人の生命力はすごいけれど、意外とあっけなく人は死んでしまうものなんだな、とか。



今、死ぬときじゃないなら、誰でもいいから助けてよ!!



心の中でそう叫んだとき、錠剤が飛び出した。



「あした死んでしまうとしたら」

なにかに迷った時、私はいつもそう自分に問いかけてきたけれど、

それは理屈の上だけのことで、本当に死ぬなんて露ほども思ってはいない。

死にかけてみて、初めて、私も必ず死ぬのだということを思い知った。

肉体は滅びても、私の 意識 は永遠になくなることはないと知っているけれど、

今、私が私だと思っている、この肉体でもって体験している人生が

どれほど大切なものか、こんなに切に思ったことはなかった。



なにごともなかったように、今私は生きている。

私の呼吸が、息が、私の肉体を生かしている。

心の準備もなく、1分でも息ができなかったら、体は機能を停止して

「わたし」はそこを離れなくてはならないだろう。

あのまま窒息していたら、私は何ひとつ持っていくことはできなかった、という

当たり前のことに気づくとき、恐ろしいような気持ちになる。







興味深い体験ができるが、きつくて安い仕事。

暇でやりがいはないかもしれないが、高収入の仕事。


ひらたく言えば、そんなことで揺れていた。

私の稼ぎに生活がかかっていたなら、間違いなく後者だろうが、

そういうわけでもないのに、揺れていた。


髪の毛1本、死んだ後に持ち出せないというのに、

唯一私がもってゆけるものは、どんな気持ちで何をしたかという

経験しかないというのに。



吸って、吐いて。

自分の呼吸を、意識することが増えた。









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