太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

お別れがいえるしあわせ

2019-09-16 16:36:48 | 日記
日本の暑さを覚悟していったのだけれど、それほどでもなくて幸いだった。
私たちが行く前日まではそうとう暑かったらしい。

父は、これ以上痩せられないというぐらい痩せて横たわっていた。
自分の世界に入っていることもあるが、
私と夫が行くと、なんとなくわかっているような気がした。
ゆっくりと枯れてゆくだけで、痛いところもなく、にこにこしている。
実家から徒歩2分のグループホームにいるので、
1日に何度も会いに行った。

薬で延命するか自然に任せるか、家族で決めなくてはならない。
父に会うまで、苦しくもなんともないなら、1日でも長く生きてほしいと思っていたけれど、
これからまた歩いたり、おいしいものを食べたりできるわけでなし、
(食事はゼリー状のものだけ)
ベッドの上でぼんやりと過ごす時間が長くなるだけなのは、父にとって幸せなんだろうかと今は思う。

痩せた手首を握って
「おとうさん、ありがとう」
と何度も言った。
すると父は、嬉しそうにうなづく。
「おとうさんのこと、大好きだよ」
そういうと、「ありがとう」とかすれた声で言う。
泣けて、困る。

どんなに言葉を尽くしても、伝えきれるものではないのだ。
それでも、言うしか術がない。
私の思い出の中の父が、あふれてくる。
こうして、伝えることができる猶予をくれた父に、また感謝。

ハワイに戻らねばならない最後の日の朝、
父に会いに行ったら、不思議なことがあった。
父があらぬ宙を見つめて、嬉しそうに笑って右手を差し伸べた。
「誰かいる?」と聞くと、祖父が来ている、という。
父はしばらくその場所を見つめていた。
父の幻覚でもなんでもなく、ほんとうに祖父がいたんだと私は信じる。

そして、ふわふわとつじつまが合わない会話の中で父がふと、
「何かあったら知らせるよ」
と、かすれてはいるが、はっきり言った。

「オトウサン アリガトウ オツカレサマデシタ」
夫がそう日本語で言い、父の手を握った。
父は夫のことが大好きで、夫もまた父のことを慕ってくれた。
別れ際、父の頬に私の頬をつけた。
「ひゃぁ」
父は嬉しそうにそう言って笑った。

しっとりとした父の肌の感触を、
目を見開いて驚いて見せる、ひょうきんな顔を、
目の色を、
私の心に焼き付けたいのに、涙でにじんでしまう。


「何かあったら知らせるよ」
父は知らせにきてくれるのだろうか。