太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

父の手紙

2023-04-29 09:38:17 | 日記
古い写真などが入っている箱を整理していたら、父からの手紙が出てきた。
父はとてもきれいな字を書く人で、便箋に縦に流れるように書かれた文字は女性のようでもある。
『私は今年八十二歳、数へでは八十三歳となりました』
とあるから、亡くなる5年前に書かれたものか。
というのも、最後に書いてある日付が、

1954年4月

になっているからで、姉すら生まれていない。
父は入院したときに、せん妄状態にはなったけれど、最後まであまりボケなかったので、これはこの時どこかに心がさまよっていたか、ウッカリなのだと思う。

もう会えない人の手紙は、写真よりも辛いと感じるのは私だけだろうか。
その人がそれを書いているペンの走りや、書くのに費やしている時間や、その時の思いが、想像を超えて胸に迫ってくるからである。
また会える人であっても、贈り物に添えられたカードの言葉に心を打たれることがある。
日本にいる友人が送ってくれた荷物の中に、手のひらに収まるほどのバラの花のカードがあって、こう書かれていた。

『しろちゃん、ハートの箱に入ってるこのカード、覚えてます?しろちゃんからもらったの。ずっと大切にしていて、時々ながめてる。』

まったく覚えてない。20年以上昔のことだと思う。
彼女は、誰が何をくれたのかをしっかり覚えている、こまやかな人で、どんどん忘れ去り、ものを大切に使えない私はいつも感心し、憧れてもいる。
私はそのカードを、名刺立てに差してデスクの前に置いている。

手描きの文字が私の心に響くのか、それはわからないのだけれど。



その父の手紙は、父からもらった最後の手紙になった。
このしばらくあと、父は会社の相談役を降りて完全に隠居の身となり、二世帯で同居している姉ともめたり、車で出かけて、どこにいるか混乱したことをきっかけに車の免許を返納させるのに親族会議になったりして、ゆっくりと人生の幕引きに向かっていくのである。

日付はトンチンカンでも、この手紙には、元気で明るくておしゃべりでひょうきんな父がいる。
納棺では泣いたけれど、お通夜でも葬儀でも泣かなかった私が、父が他界して3年半たった今、父の手紙に涙する。