太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

おかあさんと呼ぶな

2016-02-20 22:26:42 | 日記
日本のテレビ番組で、通りがかりの人にインタビューする時に

リポーターが、「チョットおとうさん、いいですか?」とか

「おばあちゃん、なにを買いました?」などと呼びかけるのをみて、

私は一人で憤慨していた。

呼ばれた方も呼ばれた方で、ハイハイ、と返事をしているのもまた、腹が立つ。

なぜ怒らぬか、と思う。



あれは最初の結婚時代で、私が30代前半だった。

町内の消防訓練に参加せねばならず、

町内の人たちが、消防士を囲むようにして立って、説明を聞いていた。

消防士が、誰かの手を借りるために、ぐるりと人々を見回していて、

私のところで視線が止まった。

そして言った。

「おかあさん、おかあさん、チョット手を借りていいですか?」

私は、まさか私ではないだろうと思ったから、黙っていた。

すると、その足の臭そうな消防士は、私から目を離さずに言った。

「おかあさん、あなたですよ」

信じられなかった。

「私はあなたのおかあさんじゃありません」

足も頭も臭そうな消防士は(だんだん悪意に満ちてくる)、困ったように笑った。

「いやー、だからそういう意味じゃなくて…」

何がおかしい。何もおかしかない。全くもって不愉快である。

そういう意味じゃないことぐらいわかってる。

「私は誰のおかあさんでもありません」

わかっているが、私はこの不愉快さを隠せなかった。いや、隠さなかった。

別にそんなことどうでもいいじゃないの、ここは穏便に、という

周りの人の雰囲気も伝わってくる。

誰にどう思われても構わない。とまあ、私も若かった。




「主婦のためのナントカ」というのも嫌いだし、

「老人クラブ」とか、「老人憩いの家」とか、たとえ私があきらかに

老いぼれ婆さんであっても、絶対に行きたくない。

自分で年寄りと言うのも嫌だし、年寄りばかり集まるところなんか行きたくもない。

こんな年寄りに限って(つまり未来の私だ)

自分が若い人達に相手にしてもらえるかどうかは考えていない。




私は、かわいい年寄りには到底なれそうもない。

うっかり「おばあちゃん」と呼んだら、日傘で刺しかねない私が

アメリカに住んでいるのは、平和なことかもしれない。




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タグ

2016-02-19 17:20:47 | 日記
タグはタグでも、スキンタグじゃない。

洋服のタグ。

あれがチクチクと肌を刺して、いらいらすることこの上ない。

首の後ろに付いているのもあるし、脇腹にあるのもある。

チクチクしないタグもあって、でも何が違うのかはわからない。


こんなに気になりだしたのは、ここ数年だ。

昔はタグのことなど、考えたこともなかった。

微妙なお年ごろになって、肌も微妙になってきたのだろうか。


このタグの面倒くささは、

はさみで切るだけでは解決しないところにある。

はさみでタグを切ると、タグが縫い付けられていたところが残る。

そこに残った、ほんの少しの、ミリ単位の布が、

いやみったらしく肌を刺す。


そこで、その縫い付け部分も取ることになるのだが、

これはかなり慎重さを要求される。

まず、リーディンググラスをかけ、

家の中の一番明るい場所に座り、

飲み物などを傍らに置き、軽く音楽を流し、

両肩をぐるぐるまわしてから、取り掛かる。


日本式の握りバサミ(これが1番いい)の先で、上手にきっかけを作り、

縫い目を針で緩めてゆく。

細かい作業をするとき、私は無意識に息を止めていることがあって、

途中で苦しくなって、「はあ、はあ」と呼吸をしなくてはならない。

ちょっとした力の加減で、服の布地に穴があく。

それで着られなくなったものもあるのだ。



最近は、洋服を買うときに、入念にタグを見る。

それを見た人は、私が素材やお手入れの仕方を確認していると思うかもしれないが、

そんなことはどうでもよくて、

そのタグが、ちくちくするかどうか、簡単に取れるかどうかを

チェックしているのである。







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食パン

2016-02-17 21:37:18 | 日記
ハワイで、普通のパンというと、

日本でいうところの食パンよりも、かなり小さ目だ。

8cm四方ぐらいだろうか。

何でもボリュームがあるアメリカで、これは意外だ。

種類はたくさんある。

ライ麦、シナモンレーズン、グルテンフリー、ナッツ入り、

マカダミアナッツとジンジャー、クランベリーとクルミ、サワードウ(少し酸味がある)などなど。



日本食スーパーに行くと、日本の食パンも売っている。

改めて、日本の食パンを眺めると、大きいなあと思う。

小学校の給食では、食パンかコッペパンが交互で出てきた。

私の時代は、まだ米飯は年に1度ぐらいしかなかった。

1、2年生が、1枚。

3年生が2枚。

4年生が、2枚半。

5、6年生が、3枚。

という記憶があるのだが、今、食パンをシゲシゲと眺め、

子供が、この食パンを3枚も食べられるものだろうかと疑問に思えてくる。

給食のパンは、給食のパン独特の匂いがあって、美味しいとはいえなかった。

残すと叱られるので、パンを指で潰してぺたんこにして、無理やり食べる男子もいたし、

私は牛乳で流し込んでいた。


それにしてもだ。

これを3枚?

確かに、2枚半の時、食パンを半分に切った記憶があるのだけれど

育ち盛りとはいえ、それは食べ過ぎじゃないか。

小学校からの友達とは、もう連絡をとっておらず、

本当に3枚も食べていたのか、確かめるすべはないのである。


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スクリーン

2016-02-16 21:38:00 | 日記
日本人の同僚のMさんは、とても良い人だ。

ほがらかで、ほんわり・のんびりしていて、誰に対しても感じが良い。

彼女が怒ったところなど想像できない。

「あまり怒ることがないんだよねー」と本人も言っていたことがある。

好き嫌いがはっきりしていて、不平不満も言うし、

すぐに怒る私には、Mさんは羨ましい性格なのだ。



時々、お店にみえるお客様が、私をみつけて駆け寄ってきた。

「あなた久しぶりねー!なぜかあなたがいないときばかり来てしまうみたいで」

そして、Mさんについて、

「私、あの人大嫌いなの。いちいち意地悪なことばかり言うんだもの」

と言うのだ。

人違いだと思い、何度確認しても、それはMさんのことだった。

「とてもいい人ですよ?」

と私が言うと、

「じゃあきっと私と合わないのね」

と言った。



何年も彼女をみてきたけれど、断じて意地悪を言うような人ではない。

でも、そのお客様が嘘を言っているのでもないだろう。





人は、自分が持っているスクリーンを通してしか、ものごとを見ない。

誰かが言った言葉や態度を、どう受け取るかはその人次第だ。

同じ言葉や態度を、「傷ついた」と思う人もいれば、

「ばかにされた」と思う人もいる一方で、まったく何も感じない人もいる。



何かの本に、興味深いたとえ話があった。

村を通りかかった男が、年老いた男性に尋ねた。

「この村に住もうと思うのですが、ここにはどんな人達が住んでいますか」

「おまえさんが今まで住んでいたところはどうだったかね」

「意地悪で人の中傷が好きな人ばかりでした」

「ここも同じじゃよ」

また別の男が、その年寄りに同じことを尋ねた。

「おまえさんが住んでいたところはどうだったかね」

「それはもう、親切で思いやりがある人ばかりでした」

「ここも同じじゃよ」





結局、人は自分が見たいものしか見ない。

このたとえ話は、職場の人間関係が嫌で転職しても、

またそこでも人間関係でつまづくのと同じだ。

自分が変わらない限り、つまり、自分の持っているスクリーンを取り替えない限り、

どこへいっても同じ景色を映し出すだけということだ。



今、自分がどんなスクリーンを持っているかは、

どんな人に囲まれているか、どんな現実が展開しているかを見ればわかる。

自分が外にみる景色が、そのまま自分の持っているものということになる。


人は変えられない。でも、自分は変えられる。

そして自分が変われば、現実は簡単に変わってゆく。

嫌な人が自分の世界から消えたり、自分が去ったり、

その人との間にあったわだかまりが溶けたりする。



そのお客様と私は、それほど話をする機会がなかったから

私には何も感じないだけだろう。



それが良いものであれ、そうでないものであれ、

人から受け取る言葉や態度から、自由になるのはなかなか難しいことには違いない。









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2016-02-15 20:54:50 | 日記
お昼にランチバッグをあけたら、小さなアリが一匹出てきた。

キッチンのシンクのまわりで、最近よくアリを見かける。

食べカスや、湿ったフキンなど放っておくと、いつのまにか群がっているので

こまめにきれいにしているのだけれど。





離婚したあとで2年ほど付き合っていた人は、かなり複雑な家庭で育った。

明るくてひょうきんな表面の奥底に、深い深い闇を抱えた人だった。

彼が、ある時、出先まで車の中にくっついてきたアリを見つけて言った。

「群からはぐれて、こいつはこの先どうすンだろ…

きっとどこの群もよそ者を受け入れちゃくれないだろうに」




ランチバッグから出てきたアリを眺めながら、

私はその時のことを思い出していた。



その人の誕生日も忘れたけれど、

そのことを思い出す時は、胸のどこかが少しだけ痛くなる。



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