太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

追試

2016-03-14 08:11:01 | 日記
数年前に、一緒にいてとても嫌な思いをした人と、

再び近しくつきあわねばならない状況になった。

自分にとって都合のいい人ばかりに出会い、都合のいいことばかりが起きたら、

どんなにか楽しいだろうと思うけれど、実際には、

都合の悪いことたちのおかげで、人生の楽しさが増すのである。

ただ、そのことが、あとになってからわかる、というだけだ。


私たちは、いろんな宿題をこなしながら生きていく。

それが宿題とは気づかず、単なる災難だとか、

運の悪さだということにしている人もいるだろう。かつての私のように。



2+3=?という問題が出たとする。

「4」と書く。

すると、正しい答えが書けるまで繰り返し、同じ問題がついてまわる。

正しい答えが書けるようになると、10÷2=? という、同じ答えでも

アレンジされた問題が出てくることもある。

同じ状況が繰り返す理由は、答えが書けていないから、

あるいは、以前とは違う解き方を求められているのだと思う。





その人と、以前にかかわったとき、私は友人らの力も借りて必死に取り組んだ。

一方で、その人と過ごす時間のいたたまれなさに、へつらってみたり、気にしない努力をした挙句、

もうどうにでもなれと開き直ったとたん、

その人は、現実に私の世界から出て行くことになり、私は正しい答えを書けたのだと思った。


そうしたら、また出会ってしまったのである。


これは追試か。



私は、人を嫌ってはいけない、

嫌な仕打ちをした相手にも、砂をかけるようなことをしてはいけないと言われて育った。

誰かを嫌いな自分を認めるのがいやだったから、「好きじゃない」という言葉を使った。

嫌なことをした相手に、嫌な態度で返す自分も、許せなかった。

そうしない自分に誇りをもっていたけれど、本当の私は地団太を踏んでいた。



再びその人とかかわることになったときに、

「その人のことが好きじゃない」と言った私に、友人が言った。

「嫌い、でいいじゃん?」

そのとき、胸にあった栓が、ぽっこりと外れて、

「嫌いでいいんだ!」感情があふれだした。

嫌いなままでいい、好きになれなくてもいい。良い人にならなくてもいい。

私は、その人が嫌い、と思う自分の気持ちが嫌だったことに気づく。

そして、私は今現在のその人の上に、昔のその人を重ねていたことにも。



この追試の、正しい答えが書けるだろうか。







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猫に小判

2016-03-12 08:30:56 | 日記
夫が、ミシンを買ってきた。

Singerの素晴らしいやつで、箱に入って堂々としている。

「…いくら、した?」

「370ドル。セールだったから。もっと安いのはマニュアルだけど、

これは全部コンピュータなんだよ」

「よ、四万円?」

「デモンストレーションもしてくれてさ、すごいんだよ、これが」

シュートメの歴史的なミシンが壊れて、私が何でもかんでも手縫いしているのをみて、

ミシンがあれば楽だろうと思ったのだろう。

しかし、夫は知らないのだ。

私がどんなに不器用で、裁縫といったことに向いていないかということを……

私が縫えるのは、直線のものだけだ。

しかも三角でもなく、丸くもない、ボタンもない、ひたすらまっすぐ縫えるもの。

つまり、袋物か、平面の四角いものしかできない。

縫い物は過去に何度も挑戦し、すべて完敗してきた。

まともなものができたことなど、一度もなかった。

そんな人間に、コンピュータ内蔵の素晴らしいミシンなど、

猫に小判、豚に真珠、私にミシン。

その安い、マニュアルで充分だった。

むしろ、足踏みミシンがあれば、その方がいいぐらいだ。



しかし、性能のすばらしさを滔々と述べる夫に、

どうしてそんなことが言えようか。

まだ箱に入ったままのミシンを前に、気持ちが塞いでくるのである。



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まぶた専門医

2016-03-11 21:20:39 | 日記
瞼の裏のデキモノに、かれこれ昨年5月から翻弄されている。

10月に手術をして、これでスッキリするかと思いきや、まさかの復活。

手術をした眼科医が、瞼の専門医を紹介してくれた。


行ってみると、どうやらそこは、眼科医でもあり、

瞼の美容整形外科でもあるようだ。

診察を受けたあとの女性が、受付の人に

「聞くの忘れちゃったんだけど、二重まぶたはいくらでできるんだったかしら」

と聞いていた。

どこの病院でも、初診のときに書類に記入する作業がある。

細かい文字で書かれた紙が4枚ぐらいあり、

まして私は、単語を調べたり、書き込む英語のスペルを確認しながらなので、

全部記入するのに10分以上かかる。



さて、ティモシー先生の見立てはどうだろう。

ティモシー先生はたくさん目の写真を撮り、

なぜか知らないが、普段はサンスクリーンを付けているかと聞いた。

そして過去に日焼けをしたことがあるかを聞き、

しばらく日焼け話に花が咲いた。

いまだに、なぜ日焼けの話題だったのかわからん。



肝心の目は、脂が詰まっているのであって、大豆より大きくなることもある。

私のソレは、言われなければわからないほどの小さなものだけれど、

大きくなる前になんとかしよう、と言う。

なにか決定的な対策があるのかと喜んだ。

が、

やっぱりウォームコンプレス(患部を温める)と、ステアロイド。

一日二回、10分以上温めて、朝晩ステアロイドを塗る。

それを2週間やって、消えなかったら、切る。



どこへ行ってもおんなじ。

小指より小さいステアロイドのチューブの処方箋をもらい、3500円も出して買い、

朝晩塗っている。

今のところ、何の変化もなし。

もう8ヶ月も、ビューラーもだめ、マスカラもアイシャドウも付けていない。

メイクで何が一番変わるといって、目ほど変わるものはない。

年とともに、顔のパーツがなんとなくボンヤリしてきて、

今こそ目ヂカラが必要なのに、まったく腹立たしいことである。




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わかったつもり

2016-03-09 16:01:49 | 日記
「嫌われる勇気」を読んだあと、手に取った本に

私のことが書いてあった。

「嫌われる勇気」の記事はコチラ



夫の態度に対して、私が頭にきた。

私は、私が傷ついて頭にきていることを夫にわからせ、

謝ったうえで反省し、私に嫌な思いをさせたことを後悔させてやりたい、と思っている。

だから、夫がそうするまでずーっと不機嫌なままでいる。

私はずっとそうしてきた。

最初の結婚時代の私は、怒らないことが私のプライドにもなっていて、

相手に怒りをぶつけることは殆どなかった。

でも結局、10年たっても互いをわかりあえず、

それは私が全ての臭いものに蓋をし続けてきたからだと思った。

だから今の夫には、嫌なことも、怒っていることも、ちゃんと伝えてきたし、

夫もそうしてほしいと言うし、これで分かり合えてる気がしてた。



だけど、それって、もしかして、違うんじゃ………ないの???




今一度、今日の私を整理してみる。

夫の態度で嫌な思いをして怒っている。

夫がそのことに気づかないから、怒り続けている。

謝って反省したら怒りは収まる。私は嫌な思いをさせられた被害者だ。



いっけん正しく見えたこの図式が、実は自分の幸せを他人に依存していることになる。

これでは相手が謝るまで怒り続けなければならない。

今の夫はすぐに謝るけれど、前の相手は絶対に謝らない人であったから、

怒り続けることに疲れて、怒らないようにすることに努力をしたはずが、

私がやってきたのは、怒ってないフリをするだけで、

心の中には怒りがトグロを巻いており、家出をしたあと、便箋7枚にわたり

この10年余の恨みつらみをギッシリと書き綴った(怖)。





私が本当にすべきことは、怒らないようにすることではなく、

怒ることをやめる 、ということだ。



人間だから、怒らないようにするのは難しいし、怒るのは自然なことだ。

でも怒るのがストレスだと感じたら、それをやめることができる。…はず。



なぜ、やめられないか。

怒るのをやめたら、負けた気がするから。

私に嫌な思いをさせてノウノウとしていられるのは腹立たしいから。

相手が反省して謝るまで、私は自分を幸せにしない、と決めているからだけど、

でもさ、それって、ほんとに私が望むことなんだろうか。



謝るまで幸せにならないなんていう決まりもやめちゃって、

過ぎたことでいつまでも怒り続けるのをやめて、さっさと今すぐ幸せになればいい。

それができるのにしないのは、「嫌われる勇気」のアドラーによれば、

私は過ぎたことで怒り続けて嫌な気持ちのままでいたいから、そうしている、のだろうな。



イライラしているとき、誰かや何かのせいでイライラさせられている、と思うと

私のイライラはさらに勢いを増す。

イライラしたくてイライラしているのだ、と思うと、

バカバカしいような気持ちになる。


私が相手を許して「あげても」「あげなくても」、状況は変わらないだろう。

それは私の中だけで起きていることなんだ。




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2016-03-06 15:13:35 | 日記
職場の、日本人の同僚が、昨年8月に手術のために休みをとった。

1ヶ月もすれば復帰するはずが、先週、亡くなってしまった。

亡くなったことはわかるが、実感として受け入れられるものでもなく、

その日は、気が緩むと泣けてきて、仕事にならなかった。



その夜のことだ。

サプリメントを飲もうとして、錠剤が喉に詰まった。

完全に喉をふさいでいるために、水も入らない。

咳をしようにも、咳をするための空気が入っていかない。

咳をするには、空気が必要なのだということを意識したことはなかった。

息をしようとすると、喉からは「キューッッ」という音しか出てこない。

夫が、私のみぞおちのあたりを何度もコブシで強打する。

私は空気なしの咳を何度も繰り返し、ようやく錠剤が外に飛び出た。



その間、数十秒だったと思うが、

私の一部はやけに冷静で、いろんなことを考えていた。


明日、職場のみんなは私の死を知って、さぞや驚くんだろうとか、

人生のシナリオを、私たちは前もって書いてくるとしたら、

今ここでこんなふうに死ぬというオチを、本当に私は書いたんだろうかとか、

シベリアで抑留されても生き延びた人や、戦後何十年も密林で一人で生きてきたとか、

人の生命力はすごいけれど、意外とあっけなく人は死んでしまうものなんだな、とか。



今、死ぬときじゃないなら、誰でもいいから助けてよ!!



心の中でそう叫んだとき、錠剤が飛び出した。



「あした死んでしまうとしたら」

なにかに迷った時、私はいつもそう自分に問いかけてきたけれど、

それは理屈の上だけのことで、本当に死ぬなんて露ほども思ってはいない。

死にかけてみて、初めて、私も必ず死ぬのだということを思い知った。

肉体は滅びても、私の 意識 は永遠になくなることはないと知っているけれど、

今、私が私だと思っている、この肉体でもって体験している人生が

どれほど大切なものか、こんなに切に思ったことはなかった。



なにごともなかったように、今私は生きている。

私の呼吸が、息が、私の肉体を生かしている。

心の準備もなく、1分でも息ができなかったら、体は機能を停止して

「わたし」はそこを離れなくてはならないだろう。

あのまま窒息していたら、私は何ひとつ持っていくことはできなかった、という

当たり前のことに気づくとき、恐ろしいような気持ちになる。







興味深い体験ができるが、きつくて安い仕事。

暇でやりがいはないかもしれないが、高収入の仕事。


ひらたく言えば、そんなことで揺れていた。

私の稼ぎに生活がかかっていたなら、間違いなく後者だろうが、

そういうわけでもないのに、揺れていた。


髪の毛1本、死んだ後に持ち出せないというのに、

唯一私がもってゆけるものは、どんな気持ちで何をしたかという

経験しかないというのに。



吸って、吐いて。

自分の呼吸を、意識することが増えた。









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