太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

朝日を見に。

2019-01-07 16:18:56 | 日記
休日の朝、6時に家を出て昇る朝日を見に行った。

年に1度ぐらい、こうして朝日を見に行くことがある。

今日行ったのはサンディビーチ。

夫の仕事が始まる朝7時、この時期、サンディビーチ方向の空がものすごく綺麗なのだという。

それでこの空を私にも見せてあげたいというのだ。

ネチネチと細かいことで夫を責める自分を、再びおおいに反省。



家を出る時はまったくの夜空で、星がたくさんまたたいていた。

25分ぐらい走ると、夫の職場の近く。



山の向こうから、うっすらと明るくなりかけてくる。



サンディビーチ。



他にも朝日を見に来ている人達が数人いる。

水平線の向こうに見えるのは、手前がモロカイ島、左側の高いのがマウイ島、右奥にかすかに見えるのがハワイ島。







7時。そろそろ太陽が顔を出す。



来た!






太陽がすっかり昇るのを待って、近くのビーチでスノーケリングをした。



海水は温かい。



クリスマスにもらった、フルフェイスのスノーケルマスクを初めて使ってみた。


これ

パッキンのところから水が漏れないかビクビクしたけど、まったく問題なし。

呼吸も楽だし、曇らないので良い。

ゴーグルが苦手な人には断然おススメ。



そのあと、マカプウビーチに移動して、ボディボード。

マカプウは波の力が半端ないビーチで有名だ。

私のような泳げない人は、ほんの波打ち際で波に乗るしかできないが

波に打ち上げられたら、すぐに体制を整えないと、すぐに次の波が来て体ごとすくわれる。

私は大笑いしながら波打ち際で何度もでんぐりがえしをした。






朝日を見て、海で遊んで、シャワーを浴びて、まだ8時半。

カイルアに戻って、「シナモンズ」で朝食。



久々のシナモンズ。



イタリアンフリタータ(オムレツ)と、ロコモコ。

実はハワイでロコモコを食べるのは初めてだ。

日本ではロコモコはデミグラスソースがかかっているのに、ハワイではグレイビーソース。

以前はこのグレイビーソースがあまり好きじゃなかったので、食べずにいたのだけれど、

今はすっかり慣れて、デミグラスと同じぐらい好きになった。

写真には撮らなかったが、これにシナモンロールをオーダーして食べた。

ただでさえ甘い、あつあつのシナモンロールが、皿に敷かれたシロップの上に乗っかっている。

これも以前は甘すぎて食べられなかったものだ。





あさって、日本に行く。

最後のお土産を買って、準備万端。










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ネチネチな私

2019-01-06 15:36:19 | 日記
仕事から戻ったら、キッチンのストーブにはメキシカンの料理ができていたが

夫の姿がない。

2階の寝室から、「オカエリー」という声がする。

嫌な予感的中。

酔っ払った夫が、ベッドに横たわっていた。

「ウォッカ飲んだでしょ」

「ウーン、少し」


ここだ。

このポイントが、私を一気に不機嫌にする。

酔って横になり、そのまま吐いて、シーツもなにもかも台無しにして

その始末をするのは私。

僕がやるよ、と言うものの、酔っていてアテにはならぬ。

それが過去に1度や2度ではない。

そしてだいたいそうなるのは、ウォッカやワインを飲んだとき。

自分だって気分が悪くなるのも、私に文句を言われるのだって嫌だろう。

飲まないときは、つまりダイエットをしている時には何ヶ月も飲まなくてもいられる。

いったん飲むとなると、大量に飲む。

飲まない私には、飲みたい人の気持ちがわからない。

なんで適度な量を飲む、という簡単なことができないのかもわからない。

友人に愚痴をこぼすと、酒好きな彼女は

「年に1回や2回ならぜーんぜんどうってことないじゃん、そんなことぐらいあるよぅ」

と笑う。




せっかくの土曜の夕方、夫が寝ていたらつまらない。

今夜は夫がメキシカン料理を作り、両親とともに食べる予定でいた。

シュートメに、夫が起き上がれるまで待ってもらえるように言うと、

私達のことはいいからあなたたちで適当にやって、と言って二人で食事に出かけてしまった。

イライラが止まらない私は、努力して1歩引いて、イライラしている自分を観察する。

夫は酔っているだけだ。

病気で起き上がれないことを思えば、怒るほどのことではないんじゃないの。

「わたし」はそう思っている。




「だからウォッカはやめときなって言ってるのに」

「なぜこうなるまで飲むの」

「どうして学ばないのさ」

夫が謝っているのをいいことに、私はとことんネチネチと文句を言う。

「大丈夫だったんだよ、急にきたんだよ」

「ウォッカはそうなるって、何度もやってわかってるはずでしょ」

しばらくして夫はトイレに行って吐き、熱いシャワーを浴びた。

シャワーを浴びている夫の横で、私はまだ文句を垂れている。

まったく私という人は、どうしてこうもネチネチしているんだろうか。

1歩引いて観察している「わたし」は呆れて物もいえない。

夫がおとなしくそれを許していると、私はどこまでも付け込む。

まだいける、まだいける、といい気になっているうちに、とうとう地雷を踏むこともある。

「わたし」はネチネチ言わずにいられない私が、ほとほと嫌になり、

言われている夫が気の毒になる。

私が酒好きだったら、もっと夫は楽しく飲めるかもしれない。

私がもっとおおらかだったら、私も夫ももっと楽かもしれない。



私だって私のネチネチはわかってる、直したいけど直せないから短所なんじゃないか



私のエゴは精一杯の言い訳をいう。

イライラしているとき、怒りがおさまらないとき、

こうして観察することは大事だと思っている。

感情はどうすることもできないが、感情の行方を見ている「わたし」を意識できると

少しだけ冷静でいられる空間ができる。




ネチネチ攻撃にさらされた夫は、シャワーを浴びてすっきりし、

夫が作ったメキシカン料理を二人で食べて、私の機嫌はおさまった。

今年はもうちょっとおおらかな私になりたい。

これが私の抱負である。













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初夢

2019-01-06 09:30:43 | 日記
初夢のことを、すっかり忘れていた。

気づけばもう1月も4日。

仕切り直して、今夜見る夢を初夢としようと勝手に決め(そんなんでいいのか)

起きてからも内容を覚えていられるように自分に頼んで眠りについた。

そして今朝、目が覚めたとき、確かに覚えていた。

でも、またたくまに夢は輪郭を失い、ぐずぐずにほどけて、煙のように消えてしまった。

その間、たったの数秒。

かろうじて記憶の隅に残ったのは、仕事の夢だったような、それだけだ。





明確に記憶に残っている初夢は、2つある。

ひとつは小学生の頃、小学校のスノコの渡り廊下で 西条秀樹 にバッタリ会った夢。

当時、私はヒデキのファンで、下敷きに雑誌の切抜きを入れていた。

私は足元のスノコを踏み外しそうになるほど緊張した。



あとひとつは、42の時の初夢だ。

40で離婚したあと、若い相手と恋愛したものの、最初の半年を過ぎたら、あとはみじめな関係になった。

それでも私はその恋愛にすがりついた。

相手の冷たい態度も、相手の世界に入れてもらえない寂しさも、結婚さえすれば解決する、と愚かにも私は信じていた。

初夢の中で、私は借りていたアパートのオーナーである女性と話をしている。

オーナーとは面識はないのだが、夢の中ではその人はオーナーだとわかっている。

「ここにプールを作ってもいいけど、外でもっとたのしいことがあるから、そのほうがいいわね」

プールを作るようなアパートではない、ごく普通の庶民的なアパートだ。

「それであなたはいつまでここにいるの?」

オーナーの質問に、私は自然に答えた。

「11月までです」

そこで目が覚めた。

ここを出る予定などないのに、なぜ11月までと言ったのか、不思議だった。



その年の5月に、若い相手は好きな人ができたといって私を振った。

奈落の底に落ちた私は、這い上がり、

すべてのエネルギーを「次!」に向けて使い、大車輪のごとく走った。

そして6月の終わりに、今の夫と出会った。

アパートの契約更新が12月なので、11月の終わりに夫のアパートに引っ越した。

そのとき、初夢のことを思い出した。



ほんとうに11月までになったじゃん・・・



正月の時点では、こうなることなどまったく想像もできなかった。

けれども、あとになってみれば、私次第では別の展開もあるよ、というお知らせだったと思う。

若い相手が現れてくれなければ、私はずるずると離婚できずにいただろうし、

若い相手が私を振ってくれなければ、私はずるずると相手にしがみついていたに違いない。

背中を蹴り飛ばされないと次に進めない自分に呆れもするが、

しかし一旦蹴り飛ばされれば、ものすごいパワーが出る自分は、スゴイ、とも思う。





2019年の初夢は、ま、たいしたことなかったということで。

今年も穏やかに過ごせそうである。












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ハワイも2019

2019-01-01 18:40:23 | 日記
ハワイも新年を迎えた。

昨夜の花火のうるさいことといったらなかった。

ハワイでは年越し花火が恒例だが、ほとんどは個人が勝手に花火をあげる。

打ち上げ花火的なものもあるし、爆竹も多い。

夫が子供の頃は、それはひどかったらしく、翌朝になると花火の硝煙で霞がかかったようになっていたという。

あまりに苦情が多いので規制ができて、朝まで花火をあげることはなくなったけれど

それでも夜の9時頃から12時半ぐらいまで、ものすごい爆音が続く。

その音は、花火といいうより何かが爆発した音といったほうが合っていて、振動まで伝わってくる。

いったい、どこで誰がそれをやっているのかわからない。

話し声も人の気配もせず、ただ爆音だけが響くのだ。

うちの猫たちは怖がって走り回り、人間は眠れず、そんなハワイの年明けだ。



元旦の朝、晴れたらビーチに行くつもりだったのに、外は雨。

眠れなかったので8時半ぐらいに起き出して、コーヒーを淹れ、いつもと変わらぬ朝食をとる。

日本人の友人と初詣に行くことになっているので、昼前に家を出た。

友人は昨夜、大掃除をして、カウントダウンをしてから年越しそばを食べたという。

そして朝はお雑煮。

異国にいても、しっかり日本のお正月を迎える人もいるのだ。

大晦日、私は仕事から帰って車だけは洗ったけど、

年越しそばも、ちゃんとしたお雑煮も、もう8年は食べていない。

おせちもお雑煮も、私しか食べる人がいないし、

材料もホノルルまで行かないと手に入らないし、

大晦日までしっかり仕事がある。

その上、生来のめんどくさがりときた。

まあ、しかたないか、と思う。





ホノルルの神社で初詣。

長い列に並んで賽銭箱の前まで行くと、日本人ではない神主さんが

「ハライタマイ キヨメタマイー」

と言いながらお清めをしてくれる。

お守りを買うという友人についてゆくと、そこも長い行列ができていた。

交通安全とか、英語で書いてあるのに、いちいち、これは何だ、あれは何だと巫女さん(非日本人)に聞き

次の客が、また同じようにこれは何だ、あれは何だと聞く。

これじゃあいつまでたっても列が短くなりゃしない。





ランチはDORAKU。

居酒屋ふうのレストランだ。

初めて行ったけれど、なかなか美味しい料理を出す。

そのあと、アラモアナショッピングセンターに行って、ぐるぐると見てまわる。

福袋がたくさん売られている。

買っている人を見たことはないけど。



日本で過ごしたお正月が、しみじみと懐かしい。

紅白を見ながら年越しそばを食べたり、台所はお雑煮用の野菜を茹でる湯気が満ちて、

冷蔵庫はいっぱいなのでおせち料理は勝手口の外に置いた。

日付が変わるころ、「ゆくとし くるとし」を見ながら初詣に行く支度をするのだ。

元旦の朝の、あの「なにかがすっかり新しくなった感」は何だったんだろう。

外の空気まで違っていた。

朝風呂に入り、母が、お雑煮にいれるお餅の数を聞いてまわる。

祖父や父が、5個とか6個と言っていたのを思い出す。

昼近くに親戚達が集まってきて、箱根駅伝を見る。

私は戻ってやりなおしたい過去はないけれども、なにか選ぶとしたら、

それがいい。







休みは元旦だけで、明日の2日からはすべてが平常どおり。

さらっと素通りのハワイのお正月にも、すっかり慣れた。









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