太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

2019-11-18 15:27:17 | 不思議なはなし
夢で私は、まったく見知らぬ街で楽しく暮らしている。
そこはハワイでもなく、日本でもない。
人々は英語を話し、あとから思えば見知った顔もあれば、そうじゃない人もいた。
私はショッピングモールらしき場所に、何人かと一緒にいた。
モールのガラス窓から海が見えて、大きなタンカーのような船が近づいてきた。
人々は船を見に、港までぞろぞろと歩いていく。
船からタラップが下りてきて、男性がひとり外にでてきて言った。
「〇X▲#に行きます、来たい人はどうぞ」
その場所は、なにがあるか、ないのかわからない、
感覚的には他の惑星のような未知の場所だ。

私はドキドキした。
幼稚園の演劇会の役を決めるとき、
先生が、役の名前を言い、なりたい人が手を挙げることになっていて、
ちびくろサンボのお母さん役をやりたかった私は、先生がその役を呼ぶのを
緊張しながら待っていた。

そのドキドキに似ていたが、それは2秒ぐらいのことで、
私の足は勝手に前に出て、そのタラップを登り始めていた。
背後で私の恋人だか夫が、なにか言っているのが聞こえたが、私は振り返りもせずに船に乗った。
船の中ではたくさんの人が働いており、
私はこれから始まるなにか新しいことにワクワクしていた。
その街での生活は普通に楽しかったはずなのに、なんでそんなバクチ的なことをするんだろう。




昔、恋愛成就のために通っていた、エンジェルリーディングの仲間の一人が言った。

「Aさん(セラピスト)に、私もシロさんみたいにすてきな外国人と結婚したい、
って言ったら、あなたはダメ!って即座に言うんで
カチンときたから、なんでですか、って聞いてみたんです。
そしたら、
『あなたはしっかり柵があって安全な幼稚園じゃないと遊べない人。
シロさんは、なんにもない砂漠でも楽しく遊べてしまう人。以上』
って言われて、なんだか妙に納得しちゃいました」

確かに彼女は銀行に勤めていて、結婚したい相手も、路頭に迷わない確実な職業の人に限っていた。
セラピストが言う、砂漠云々の話は私の本質のことであり、
生身のほうの私は、小心者で保守的で、心配性だったりする。
人生のときどきに、私は人が「え!」というようなことをやり、
生身の私は「え、え、ちょ、ちょっと・・・」とあわてているのに、本質のほうは大喜びしているのだ。


夢の中で、未知の場所に未知の人々と行くことにワクワクしていたのは、
間違いなく私の本質で、それが私の癖なのだろう。
そしてセラピストに、強く念を押されたことがある。

「願いをかけるときは、シロの真実の幸せを中心に、という枕詞を
必ず頭につけてから願いをかけてくださいね」
「へえ、なんで?」
「だってシロさんは、ホームレスでも結構楽しんじゃえる人だもん。それじゃ嫌でしょ」

それは嫌だ。
すごく、困る。楽しめるはずがないじゃないか。
人生が平和で穏やかになると、私の本質は飽きてしまって
なにか面白いこと、わくわくすることを起こすようになっている、というのだ。
それは生身の私にいわせれば、「不幸発生装置」以外の何ものでもない。
これが私の癖だとしても、
私の本質が望むようにばかり生きていたら、生身的にはとんでもないことになってしまうのである。









暑苦しく生きてゆく

2019-11-16 19:48:46 | 日記
誰かと個人的にかかわっていると、
人種のことなど、あまり意識しなくなる。
1番身近な夫は、私にとっては日本人でもアメリカ人でもないような気がする。
もともと、日本が大好きで、日本的なものを好むのもあるだろう。

夫の両親は、当然ながら夫よりもずっとアメリカ人ぽい。
シュートメの誕生日や、母の日、バレンタインデーなどには
義父は派手なバルーンと、カード、花束やプレゼントを欠かさない。
カードには、「My Sweetie」とか書かれている。
(キッチンのカウンターの上にあるのだから、家に行けばどうしたって見てしまう)

軽食を食べに行くと、コーラを頼んだりする。
(家では飲まない)
車を運転しているとき、手を握ったりする。
そしてさっき、外出から戻った義父が、ガレージに車を入れて、
ガレージのドアを開け、

「Hi  Sweetie!!」

と呼ばわりながら家に入って来た。
互いに70を過ぎて、Sweetie
日本じゃ後期高齢者といわれる年にさしかかっても、Sweetie。
いいなあ。アメリカ人。

こういう暑苦しいのが、私は大好きだ。

初めて夫に会った日の夜、私は夫に宛てて熱々の手紙を書いた。
実は同じ夜に夫も私に熱々の手紙を書いていて、
互いに同じ日に手紙を受け取った。
同じ暑苦しさをわかちあえる相手に、ようやく出会ったと私は感動した。

私の愛情表現は、日本人相手だとなかなか受け入れられにくい。
言わなくてもわかる、わざわざ態度に示すこともない、
花束を手に持って歩くなんてみっともなくてできない、
そういう人ばっかりとかかわってきた私の不運もあるだろう。

2回目のデートで、夫が私が住む街に電車でやってきた。
改札口で待っていると、周りの人より頭ふたつ飛びぬけた夫が、
淡いピンクの花束を持って、満面の笑みで歩いてくるのが見えた。
そのとき、ああ、私はこれからこの人と思いっ切り暑苦しく生きていこう、
と私は心に決めたのだ。



義父をみる限り、20年たっても、夫は変わらず暑苦しいままだろう。
しわくちゃの私に、Sweetie。と呼びかけるのだろう。
しみじみ、アメリカ人と結婚してよかったと思うのである。











日本の映画、私の懐メロ

2019-11-11 09:57:11 | 勝手な映画感想
今年も、HIFFの季節がやってきた。
HIFFは  Hawaii International Film Festival の略で
毎年、春と秋に世界中から選りすぐった映画を15日間、毎日映画館で観ることができる。
なぜか春にはあまり観たい映画がなく、私たちが行くのは決まって秋だ。
普段、なかなか観る機会のない日本映画を中心に、毎回4~8本の映画を観ている。


今年は既に2本観た。
「Can't stop the Dancing(邦題 Dance with me)」


出演者は、宝田明しか知っている人はいなかったけれど、
軽いコメディで、夫はそれほどでもなかったようだが、私は文句なく楽しめた。
というのも、出てくる歌が全部、私の青春時代の歌ばかり。
キャンディーズの「年下の男の子」、シュガーの「ウェディングベル」、
山本リンダの「狙い撃ち」(うららーうららー、っていうの、このタイトルだったよね?)
帰りの車の中では、私は一人で歌いまくっていた。
日本人の友達がここにいれば、一緒に盛り上がれるのに。

昔、テレビで懐メロ番組をやると、母が家事の手を休めて、
美空ひばりや舟木一夫が歌うのを熱心にみていた。
「女学生のころ、学校を休んでひばりの映画を観にいったっけよ」
母の脳裏には、私が知らない若かった母のさまざまな思い出があふれていたのだろう。
私にとって母の懐メロが、退屈な歌でしかなかったように
私の夫にとっても、私の懐メロはただの日本語の歌なのだ。
どんなにその歌の背景を説明しても、その時代、同じようにその歌を聴いていた
人でなければわからない。

「いいなァーーー!昭和!!」
歌い終わって、そう叫ぶ。
「ヨカッタネ」
と夫が言う。
戻りたい過去はない。
けれど、いつまでも懐かしく思い出す過去があるのはいいものだ。



昨日は、「ソローキンのみた桜」を観た。

日露戦争のとき、捕虜となったロシア兵と日本人女性の恋の物語。
史実を元にした映画だという。
ここでも若い俳優は、まったく知らない人ばかり。
山本陽子さんが、すっかりきれいなおばあさんになったなあ、と思う。
一緒に行った夫の両親と、夫はいたく感動していた。
いい映画だったけれど、ラブストーリーが苦手な私はDance with meのほうがよかったかなあ。
「タイタニック」で泣けなくて、友人にひとでなしと言われた私である。
「世界の中心で愛を叫ぶ」も、病人を連れ出したらダメでしょう、と言って
あんたとはこういう映画を観にいくのはやめた、と言われた私である。

じゃ、私はひとでなしか、というと、私にも言い分はある。
ハッピーエンドにならない話は、気持ち的に受け入れたくない。
あなたの思い出だけを握りしめて、このあとの人生を生きてゆく、ていうのは
あまりに悲しすぎて、どこかで感情移入するのを止めてしまうのだと思う。

いつか、そんなことを友人に言ったら、
「なるほどねー。でもアンタ、『プリティウーマン』嫌いだよね?」
と、やり返された。
ジュリア・ロバーツがあまり好きじゃない、てのもある。
その当時、出口のないこんがらがった恋愛をしていた、てのもある。
あれが放映された30年近く前、感動のシンデレラ物語とかいって
讃えられていたのに、私の観たあとの感想は、「けッ!」だった。
円満な恋愛をしていたか、誰とも恋愛していないときだったら、また違ったかもしれないけど、
シンデレラ的なハッピーエンドも、それはそれで面白くない。
だから、ひとでなしと言われても、まあ仕方がないかもしれない、とも思うのである。















ドレッサーと婚礼家具

2019-11-06 19:32:06 | 日記
婚礼家具という言葉も意味も、今の若い人たちは知らないかもしれない。
娘が結婚するときに持たせる家具を、婚礼家具と呼んだ。
桐の箪笥を含む、何点かがセットになっている。
婚礼家具を揃えて嫁に行く時代は、30年以上昔に終わりつつあった。
二十代前半で嫁に行った友人たちは、婚礼家具を揃えていたから、
ちょうどその頃が端境期だったと思う。
友人の家が家具屋で、「婚礼家具がまるきし売れなくなった」と言っていたのを覚えている。

だいたい、婚礼家具セットは場所を取りすぎる。
狭いアパートの六畳間に置けば、箪笥部屋になってしまう。
私は29で結婚したが、相手の両親はもう他界していたし、
相手も再婚だったし、住むアパートにも場所はなかったので家具は買わなかった。
留袖などの着物だって、自分で着られるわけじゃなし、
必要になるとも思えなかったので、断った。
私と同じころに結婚した妹は、相手側のご両親も健在で、
世間体や体裁を気にする母は、妹には婚礼家具や、着物などを用意していた。
最後に結婚した姉は、合理的な姉らしく、そんなものはいらないと言って
持っていかなかった。

二十代前半で結婚した友人の家に行くと、、しゃれたマンションの和室に
婚礼家具が押し込められている。
亡くなった母親が揃えてくれたので、格別の思いがあるという。
妹の家を建て替えたとき、限られた土地に店と住まいを作らねばならず、
そのうえ子供が3人いて、できれば婚礼家具セットはどうにかしたかったのだが、
「でもねえ、お母さんの気持ちを思うとネエ」
婚礼家具セットは、むりやりどこかに押し込んだ。

婚礼家具には、そういう親の思いがくっついているので、始末が悪い。
捨て魔の私だったら、たぶん処分していると思うけど。



婚礼家具の中に、ドレッサーが含まれていることも多かった。
婚礼家具はいらないが、ドレッサーには、心をくすぐられるものがあった。
母や祖母は鏡台を持っていたが(鏡台は畳に座ってお化粧する)
鏡台ではなく、洋風なドレッサーの前に座ってお化粧をする、ということに
憧れのような気持ちがあったのだ。
テレビドラマで、夫婦の寝室にあるドレッサーの前で妻が顔にクリームを塗ったり、
髪をとかしたりする、あれだ。


あれは中学3年か、高校1年ぐらいだったろうか。
どういう事情か忘れたが、父と二人で街に行く機会があった。
伊勢丹デパートの催事場で、籐でできたドレッサーが安く売られていて、
私は父にせがんでそれを買ったことがあった。
私はそのドレッサーが嬉しくて嬉しくて、毎日椅子に座って鏡を見た。
化粧品などひとつも持っていないから、中に入れるものとてなく、
仕方がないので鉛筆やオルゴールなんかを置いていた。


結局、私にとってドレッサーは、その、化粧もしないのに買ったドレッサーだけだ。
なぜなら、お化粧するなら洗面所が1番いいに決まっている。
シャワーのあとで顔に何か塗るのにも便利だし、物をしまう場所もある。
明るい照明があるから化粧するにも具合がいい。
寝室にドレッサーがあったとしても、それは物置きになるのは目に見えている。
だいたい、寝室で優雅に髪をとかしてから寝る、などという生活は私にはありえない。


あの籐のドレッサーは、どうしたんだったか。
結婚するときには実家に置いていったから、しばらく納戸のどこかにあって、
実家を二世帯住宅に建て替えるとき、たぶん処分したのではないか。
父はもう覚えていないだろう。
1度も使わないのに、買ってくれてありがとう、と、
父がもう少し元気だった頃に言えばよかったと今になって思う。














ダイエットとデトックスと血液型

2019-11-04 18:00:42 | 日記
夫が仕事を辞めると決めた頃からだろうか、猛烈な食生活改善に取り組み始めた。
普段から夫は、ダイエット期とジャンクフード期が交互にやってくる。
ジャンクフード期は何を言ってもジャンク生活を辞めず、
ダイエット期はどんな誘惑にも負けない、という、意志が強いんだか弱いんだかわからない人で、私は傍観者として眺めているだけだ。

いつものダイエットは、お酒と、炭水化物をやめるだけなのが、
今回は久々に『血液型』によるダイエットを始めたので、私も便乗している。


この「血液型」によるダイエットは、まだ日本に住んでいた時に、たまたま英語の本を買ったのがきっかけでハマった。
血液型ダイエットというと、日本だと何となく軽くていい加減なイメージがあるけれど、
実はこれにはちゃんとした歴史と裏付けがあるのだ。
ダダモ博士という博士が、親子二代にわたって研究している。

おおざっぱに説明すると、どんな血液型かによって、
合う食べ物と、毒にも薬にもならない食べ物、毒になる食べ物がある。
血液型によって血液の細胞の質が違ってくる。
どんな食べ物にも「レクチン」という物質が含まれており、
そのレクチンを分解しやすければ、ちゃんと栄養を吸収し、老廃物を外に出せるが、
分解しにくいレクチンを日常的に摂っていると、細胞同士が固まってドロドロ血液になったりする。
そもそも、これは体重を減らすためのものではなく、健康を維持し、
不具合を改善するためのもの。
けれど、これに沿って食べていると、余分な脂肪がとれてするすると痩せる。

O型である夫は、狩猟民族がルーツで、肉は食べてもいいが、米や小麦はだめ。
アーモンドはいいが、カシューナッツやピーナッツはだめ。
B型である私は、ノマドがルーツで、乳製品がいい。
肉もよくて、小麦はだめなのはO型と同じで、米はいける。
果物やスパイス、サプリメントも詳しく分類されている。

それほど厳格にやっているわけではないけれど、
朝のウォーキングも再開し、この半月近くで3キロ痩せた。
キチキチだったジーンズが入るようになり、おなかまわりのモタモタが少しマシになった。
服を着てしまうと、体型が変わったのがわかりにくいのだが
さすが中年でおなかまわり、お尻の後ろ側などに、みっちりと肉がついているのだ。


夫はクロゼットというクロゼットを整理整頓し、冷蔵庫の中を整頓し、
家じゅうを掃除し、着なくなった服を寄付し、最後にホワイトセージを焚いて、
「ああこれでエネルギーがきれいになった!」
明日から、新しい職場に行き始める。
体も生活もデトックス。
古いものを壊して、新しい風を入れることが、どうしても夫には必要だったのだ、ということなんだろうか。