太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

島にストーブが1台もない?

2022-03-08 07:57:09 | 日記
義両親の家のキッチンのストーブが壊れた。
ストーブというのは、電熱器と大型オーブンが一体になった調理台のこと。
18年使っているから、買い替えたほうがいいということになったのだが、
どこに行ってもストーブの在庫がない。
島中のホームセンターに聞いてみても、どこにもない。
入荷するのは8月ごろになるという。いくら料理がそれほど好きじゃないシュートメといえども、5か月もストーブなしではいられない。
新築中の家に収めるストーブはどうしているんだろう。

とにかく、ないものはない。
修理できるのか馴染みの電気屋さんに頼んでみる。
昼間は我が家のストーブを使えばいいし、うちにあったオーブントースターを貸して、バーベキューのグリルも使えるから、とりあえずはそれでなんとかしのぐ。

改めて、ここは島なのだなと思う。
Amazonで物を頼めば数日で届くし、店の数も品物の種類も少ないけれど、日常生活に必要なものは普通に手に入るから、普段は忘れている。
でも車のパーツも家具も、なんでもかんでも「お取り寄せ」だ。



ストーブも洗濯機も冷蔵庫も、突然壊れてしまう。
たとえ調子が悪いなと思っても、まさか物がないなんて思いもしないから、
壊れたら買おうと簡単に考えている。
パンデミックのとき、本土からのコンテナが届かなくなるとかいって、トイレットペーパーが店から消えた。
ちょいと車を飛ばして、隣の州にでも買いに行くということができない。


週末、カヤックでサンドバーに行った。
ここは海の真ん中



むこうに見えるのが、私が住んでいる島だ。

海に潜ったら、私ぐらいの大きさの亀がゆったりとこちらに向かって泳いできた。
色とりどりの魚が群れていた。
なにかと不便でも、島暮らしもいいもんだなと思う。



残るはマスクのみ

2022-03-03 07:57:45 | 日記
ハワイは今週末から、レストランなどに入るのにワクチン接種証明や陰性証明を提示しなくてもよくなる。
さらに26日からは、ハワイに来る人達も、それらの提示をしなくてもよくなる。
ただ、屋内のマスク着用だけはそのまま。
全米で、ハワイ州だけがマスク着用を義務づけており、他の州ではもうマスクをしなくてもいいらしい。
陽性かもしれなくてもハワイに来ることができるのに、マスクだけはするというのが、果たして意味があるのかどうかは別として、
これはアメリカ全体が、

『結局コロナはインフルエンザの一種なんじゃ?』

というふうに考え始めたということじゃないかと思う。
2年にも及ぶゴタゴタで、もう疲れてしまったというのもある。
特にハワイは観光業で壊滅的なダメージを受けたから、8割以上の人がワクチン接種しているし、もういいよね、ということだろう。
ハワイからマスクが消えるのも時間の問題かもしれないが、
義務がなくなったあとも、マスクをする、という行為そのものが自然になったという恩恵は残るのはいいことなんじゃないかな。





言われるうちが花

2022-03-01 08:24:19 | 日記
私は昔から暑がりで、日本の真冬でも、足先が冷えて眠れないということは滅多になかった。
冷房が苦手という女性が多い中で、私は冷房ガンガンに効いたところでも平気。
ハワイでも冬場は涼しくなるので、シュートメは家でもウールの長袖や、コットンのジャケットなどを羽織っている。
職場の制服はノースリーブで、その上に長袖を着ている同僚も多い。
私が長袖を着るのは、早朝のウォーキングと、15℃以下になったときと、日本に行くときだけだ。

「寒くないの?」

と聞かれること多し。

「寒くないよ、暑いぐらい」

「あ、それってホットフラッシュ?」

と言われることがあって、大変腹立たしい。

「若い時から暑がりなの!」

ムキになって反論する私も大人げないが、暑いと言っただけで更年期と言うのはひどいと思う。
私はいわゆる更年期症状が出たことは殆どないのに、だ。
それを、先日ジュディスに会った時に話したら、

「うん、わかるわかる。だけど、言われるうちはまだ若いってことよ」

と言う。
ジュディスは私の姉と同じ年なので、今年62歳。
更年期症状は、だいたい五十代後半から六十代初めぐらいでおさまることが多いらしい。

「だからさ、私もそろそろ言われなくなるのよね・・・・」


そうだ。
アメリカの妊婦さんは、お腹にぴったりとした服を着ることが多いけど、
日本の妊婦さんはお腹が隠れる、ふわっとした服を着る。
胸のすぐ下に切り替えがあるワンピースを着たとき、妊婦と思われるのでは、と気にしたのは若かった証拠で、
今、それを着れば単なるムームーを着たオバはんだ。


まだ更年期がある年齢だと思ってくれてるのね!
と喜ぶ時がくるというのだろうか。
寂しい話である。