太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

バレンタインだった

2023-02-16 07:41:19 | 日記
すっかり一昨日になってしまったが、バレンタインデーだった。
昨今、日本ではバレンタインデーはどうなっているんだろう。
少なくとも30年前には、義理チョコやら本命やらという言葉も飛び交っていたし、デパートには派手なチョココーナーもできたりしていたけど。

アメリカでは、男から女になにかをあげる、てことになっている。
ダイヤモンドアクセサリーのコマーシャルが増える。男が女にネックレスをプレゼントし、熱いキスをかわすというお決まりのやつ。
このタイプは母の日と、クリスマス、バレンタインの時期と決まっている。

バレンタインの前日にマイクとお昼を食べた。
「明日のプランは何?」
「普通の火曜日だけど?」
「何もなし?」
「うちはぜーんぜん関係ないもんね。プレゼントもディナーもいらない」
するとマイクはため息ととも言った。
「はぁー、アメリカの女はそうはいかないんだよね。日本人はローメンテナンスなんだなあ」
ローメンテナンスで気楽な相手と結婚すれば、3回も離婚しなくてもよかったんじゃないの?

ハイメンテナンス、ローメンテナンスと言う言葉はよく聞く。
言葉どおり、やたら手がかかるのがハイメンテナンスで、その逆がローメンテナンス。ヨーロッパ車がハイメンテナンスで、日本車はローメンテナンス。
シュートメなんかはハイメンテナンスの人だ。
バレンタインの朝、派手なバレンタイン風船が義両親側の家のリビングに浮いており、「My Sweetie」と書かれたカードが置いてあった。
バレンタイン当日はレストランが混むからといって、義両親は次の日に豪華なレストランで二人で食事をした。
80歳を目の前にして、これだもの。
いやー、大変だなあと思ってしまう。

クリスマスもサンクスギビングもハロウィンも、私と夫だけだったら完全にスルーだ。
2人の記念日や誕生日には、外に食事に行く。
クリスマスや誕生日のプレゼントは、何かいいものがあったときだけで、特にその日のために用意することはない。
ただ、夫はカードはくれる。私はそのカードすら、書かないことが多い。
欲しいものがあれば勝手に買うし、宝石にも興味はないし、高価なものをもらっても財布はひとつだから痛し痒し。
それに、どんなものでも私がこの世を去ればただのゴミだ。
記念日には昔の写真を出してきて思い出話をする、毎日、小さなことでも相手に感謝する、結局私が持っていけるものは、そういう「経験」だけなのだ。


「〇〇(夫の名)は今日は何か用意してるの?」
職場でも何人かに聞かれた。
同僚の場合はいちいち説明するのもめんどくさいので、「ディナー作ってくれるみたいよ」などと適当にこたえておく。
こういう部分で夫婦間の価値観が似ていることは、大変ラッキーだと思う。







英語圏がなにさ

2023-02-14 08:00:57 | 日記
義父の友人夫妻が、カナダから来ている。
昨年の秋、カナダに自転車のツーリングクラブの遠征があったときにルームメイトになり、意気投合したそうだ。
他国の人と、なんの支障もなくコミュニケーションができるなんて、日本人の私からすればズルイと思う。
英語よりもずっと複雑で奥深く難しい日本語を完璧に話せる私たちが、英語しか話せない人たちなんかに劣等感を抱くなんてばからしいじゃないか。
たまたま、英語圏に生まれただけで、世界の主要なところではどこでも母国語が通用するなんて、不公平だと思う。

先週、職場内を歩いていたら、60代白人女性に声をかけられた。

「Do you speak English?」

英語が話せなくてどうやってここで働くのさ!というのは心の声。
それでも嫌味をこめて、

「I think so(話せる、と思うけどね)」

と言ったが嫌味はまったく通じず、質問責めにあった。
劣等感をもつのは、私の僻みゆえだろう。
英語が共通語なのは、英語圏に生まれた人のせいではないのだし。


私の父がハワイに来た時に、義両親に対してずっと日本語でペラペラと話しまくっていた。
ガレージにあったカヌーを見て、義父に
「リバー(川、と言いたかった)?」
と言ったのだが『肝臓』になってしまい、義父が首をひねっていた、ということもあった。
それでも父は楽しそうに日本語で話し、義両親はわからないながらも相槌をうち、それは社交的で明るい父なりの、押し黙ったままでは悪いという気の遣い方だったのではと思う。

昨日、ホノルルのドラッグストアに行ったら、日本人の女性が店員に、

「Where is 綿棒?」

と言いながら、耳の横で指をくるくるまわした。店員は一瞬考えたあと、「!!」という表情になり、正しく綿棒のある場所を指さした。
ちなみに綿棒はキューティップという。


英語圏がなにさ。








あきらめと退化

2023-02-13 16:14:19 | 日記
巧妙なスパムメールにまんまと引っ掛かった。
私は自分を信用していないので、たいてい何かをクリックするときには夫に聞く。
慎重な夫ですら、それがスパムだとは気づかなかった。
その結果、だと思うのだが、携帯電話上のメール機能からメールを送信することができなくなった。
契約している電話屋(?)に持ち込んだら、Microsoftに聞くしかないと言われた。(そのスパムがMicrosoftの名前で来たので)

それでどうしたかというと、そのまま放置。

夫はMicrosoftに電話をする気でいたのだけれど、保険会社あたりに問い合わせをするだけでもエライ根気がいる。それが天下のMicrosoftとなればすんなりいくはずがない。
パソコンのメールからは普通に送受信できるし、不具合が出ればメールアドレスを変えればいい。
携帯電話でメールが送信できなくて困るのは、撮った写真をブログ用にメールに送ることができないことだけで、それもデジタルカメラで解決。

なんでも処分してしまう私が、デジカメをとっておいたのは奇跡だ。しかも箱までとってある。
Panasonicのルミックスは、たしか2010年頃に買ったから、13年もの。
湿気のハワイにあって、これも奇跡的にカビてもおらず、恐る恐る充電し、試してみたら普通に撮れるではないか。
説明書を見ながらパソコンに繋いでみたら、ちゃんとできた。
前記事に使った写真はデジカメで撮ったものだが、遜色ないと思う。
デジカメで撮ったもの

さすがにメモリーカード(というのか?)は売っていないと思うので、使ったものは削除しながら使おうと思う。

先日、友人が「こんなん買ったんよ」と見せてくれたのは、『五十代からの生き方~あきらめることの大事さ~』みたいな本。
えー、あきらめるの?とその時は思ったけれど、今はなんとなくわかる。

右手の親指がバネ指になったのだって、私はあきらめている。
注射で痛みはなくなるらしいが、しばらくすれば再び痛む。同じ注射を何度もしていると、組織を壊してしまうともいう。
だったら、もうこの親指とつきあっていこうと決めた。
効くかわからないがストレッチをし、夜はサポーターをつけて寝て、ペンの持ち方を変えて字を書く。
長文を書くことはできなくなってしまったけれど、長い手紙はパソコンで書けるし、カードに添える言葉は簡潔で心のこもったものにしよう。
そして、これが親指でよかった、と感謝もしている。
首や腰の痛みだったら、ごまかして暮らすことなど無理だからだ。

携帯電話からメールが送信できないぐらい、なんでもない。
私は携帯電話で通話とショートメールしかできない時代を知っているし、携帯電話がなかった時代だって知っているのだ。
幸い、友人や姉妹とはLINEで繋がっているので、メールが使えなくてもなんら問題なし。

どんどん世の中が便利になっていく中で、私は自分がこの先、携帯電話で決済することはないと断言できるし、手帳に予定を書き込むことをやめることもないと思う。
アップルウォッチもいらない、本は紙で読みたい、インスタグラムも必要ないし、フェイスブックにも興味ない、アレクサも処分してしまった。
川の真ん中にある岩のように、私のまわりをいろんなものが通り過ぎていき、
私はこの場所で止まっている。
これを退化というのかもしれないけれど、それでもいいと思っているのである。





浮世絵

2023-02-13 07:23:11 | 日記
ホノルル美術館に、浮世絵を見に出かけた。

美術館内にあるレストランで夕食をとりたかったので、4時ごろに到着。
浮世絵の知識はほとんどないに等しいが、浮世絵を眺めるのは好きだ。
静岡県の由比というところに、安藤広重の美術館があり、夫と出会った頃に何度も足を運んだものだ。
浮世絵の何がいいのかといえば、その構図である。
人物が真ん中に描かれているだけにみえて、よく見れば、左上のあいたスペースと、右下のスペースのバランスが絶妙。
風景にしても、上半分は空で、下半分が街並みで、その街並みから凧がいくつも空にあがっている、その場所や高さがこれまた絶妙。
こんなに感心して眺める構図は、西洋画にはないと思う。
美術館の中庭

館内にあるカフェ

中国の展示にある仏陀

この仏陀のお顔が、どうしても私の母に重なってしまい、しばらくこの前を離れられなかった。
5時にオープンのレストランで夕食。

グリークサラダ

カレーターキーサラダ

このレストランは雰囲気も開放的でいいし、夜は生演奏があり、食事も美味しいので気に入っている。



母親業はつらいもの

2023-02-11 13:36:58 | 日記
血液検査を受けに行った。
マンモグラフィーと血液検査は1年に1度やることにしていて、忘れないように誕生日月近くにしている。
子宮頸がんの検査は3年に1度しか保険が効かない。

予約をしなくていいラボに9時頃行くと、待合席に小さい子供を二人連れた母親が待っていた。
子供の年齢は私にはわかりづらいけど、上の子が2歳になるかどうか、下の子が1歳未満というふうで、下の子供は赤いカートに乗っている。
母親は中国人か韓国人が混ざっているようにみえる。

「NOッッッッ!!!!!」

という金切声で、思わずそちらを見てしまった。
母親が子供に言っているのだが、その声の大きいこと、怖いこと。ドアの外まで聞こえていると思う。
それも1度や2度ではない。

「NOッッ!!」
「NO!!!!!!!!!」
「Knock it off!!!!(やめなさい!)」

私と親子との距離は1mもない。
母親が叫ぶたびに、胸がドキっとするほど怖いのだが、言われている子供は案外平気で笑ったりしている。
普段から言われ慣れているのかも。
受付にいる人も、ちらちらと親子を見ていて、時々私と目が合い、暗黙のサインを送りあう。
その親子が先に呼ばれて個室に入っていった。
そこでも母親の金切声が続く。

「何度言ったらわかるの!やめな!!」
「ダディに言うよ、言って来てもらうよ、それでいいんだね!!」(ダディ、どんだけ怖いんだ・・・)


子供がいない私には、何も言う資格はない。
だから、このことはジュディスにしか言ってない。
娘を二人育てたジュディスは母親の気持ちもわかるし、長年のつきあいで私のこともよくわかっているからだ。

「そう言いたくなるとき、あるんだよ。仕事みたいに何時に終わって解放されるわけじゃなし、私をイライラさせるために子供がいるんじゃないかって思ったりしたよ。それでも理性が少しは残ってて、怒鳴らないで伝えられるように努力はしたなあ」

夫の甥がまだ小さかったとき、義兄が息子に何か言い含めるのに、息子の目線までしゃがんで、ゆっくり大人の言い方で話していた。
人には感情があり、毎度そんなふうにするのは無理というものだろうが、せめて怒鳴らずに話すことはできないだろうか。


妹の子供が赤ちゃんだった頃、食べ物で遊んでしまって、ちゃんと食べなかったり、スプーンを投げたりするのを見て、私はひとごとながらイライラしているのに対して、
私の母は叱ることもなく、適当にあやしており、なんという忍耐力かと感心した。

「体が必要なときには食べるだろうし、今だけだよ、大人になっても食事中にスプーンを投げる人はいないでしょ」

確かにその姪は立派に成長した。

それを聞いて、昔、友人が子育てをしていたとき、5歳になる娘が、夕食の支度をしてあるのにカップラーメンが食べたいと言った話を思い出した。
その時友人は、黙って娘にカップラーメンを出した。娘は喜んでそれを食べた。
翌日の朝食にも、友人は娘にだけカップラーメンを出した。それも娘は喜んで食べた。
昼食にも、カップラーメン。夕食にも、カップラーメン。
さすがに3日目、娘は普通のご飯が食べたい、と蚊の鳴くような声で言った。
「たとえ1か月毎日カップラーメン食べたって、長い目で見れば健康は取り戻せるし、絶対飽きるんだから、やってみりゃいいんだよ」
その友人は、無理に人参やブロッコリーを食べさせることもしないと言っていた。
人参はリンゴジュースに混ぜてしまうのだそうだ。
「だってそういうことで戦うのめんどくさいし、そのうち食べるようになる」
子供の頃に嫌いだったものって、大人になるといつのまにか好きになったりするものだ。



同じく子供を持ったことのない夫にも、私は待合席の親子の話をしなかったのだが、
私が夕食の支度をしているとき、猫のコーちゃんがしつこくシンクに飛び乗ってきて邪魔をするのに辟易しているのを見ていた夫が、

「もう少し優しく言ったらどうだろう」

と言ったのを聞いて、ハッとした。
今はきれいごとを並べているけど、私が母親になったら、金切声で子供につらく当たっていた可能性は高い。
いやはや、私が子供を持たなかったことは、不幸な幼少時代を過ごす子供を余分に作らずに済んだということであろう。