太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

世の中の母たちへ

2023-09-13 07:35:47 | 日記
今日、甥が日本に帰る。
慣れないことをして気疲れした2週間であった。
日本に行くたびに甥には会っていたが、挨拶ぐらいで、面と向かって話をしたことはなかったから、話す機会がもてたのはよかったと思う。
わかったことは、甥は無口で、夜型で、感情をあまり表さず、にこにこして、肉が好きで、起こすまで寝ており、朝起きてから15分で出かけられる。

母親である姉は、「私とタイプが違うから、イラッとする」というが、それは私も同じで、どう接していいか戸惑う。

甥が希望していた私の職場で働く体験は、着いて早々風邪気味でもあったため3日間だけ。
言えば、やる。
でも自分で仕事を探して、チャキチャキ動くタイプではなく、私は甥がちゃんとやっているかどうか気になってしまう。
いくらボランティアだとはいえ、いてもいなくても同じでは意味がない。
それでも、職場のみんなは彼に良くしてくれて、最終日にはジュエリーのベンダーがペンダントをくれたりして、感謝している。

私が作る初めての『ちゃんとしたお弁当』は、初日はお弁当箱に無数のアリがたかっており、食べられなかった。
二日目は、そぼろご飯にシソポークとサラダ、三日目はオムライスにチキン。
無口な甥が、「お弁当おいしかった」と、二日とも言ってくれて、思わずジーンと胸が熱くなった。

先週から、義両親がシアトルに出かけたので、お世話できるのは夫と私だけ。
私が仕事で夫が休みのときには、サンドバーに行ったりシュノーケルしたり、この樹何の樹のモンキーポッドを見に行ったり、景色のいいところをドライブしたり、ワイキキを一通りドライブして見せたり。

私が休みのときには、お土産を買いにアラモアナまで行ったり。
お土産はそれで終わりかと思いきや、最後の日曜日になって、火曜日あたりにワイキキでお土産を買いたいと言う。
火曜日は二人とも仕事だというと、近くで降ろしてもらえばいい、と言う。
ワイキキは遠くてそれもできないというと、バスで行く、と言う。バスの乗り方、降りる場所、帰るバスの探し方など、私自身1度しか、しかも地元でしかバスに乗ったことがないのだから、教えられる自信がないし、迷っても困る。

「じゃ、今日行くしかないじゃん」

夫が言う。私たちはなるべくワイキキには行きたくないのだ。
ワイキキはワイキキ価格でなんでも高いし、アラモアナにあるような店がただ並んでるだけだし、道は混むし、日曜日は車をおく場所を探すのも大変。
もう一度アラモアナショッピングセンターまで行って、そこで買えるものを買おう、と説得してアラモアナに行った。
新しくできたABCストアに、けっこう良いお土産がたくさんあって(私も自分にサンドレスを買った)幸いそこで全部買うことができて一安心。

夫の叔父叔母が夕食に招待してくれたりもし、希望していた海釣りは叶えてあげられなかったけど、私たちにできる範囲のことはやったと思う。

いつも寝る前に、甥がいる部屋に声をかけているのだが、夫が朝が早いので、昨夜は夫に会える最後のチャンス。おやすみ、と声をかけると、いつものように部屋の中から返事が返ってきただけで、出てこなかった。
夫にはずいぶん世話をかけたから、ちゃんと目を見て挨拶してほしかったので、「今夜が最後だよ」と言ったら出てきた。
私の甥であり、私としてはこっちの家族に気を遣ってしまう。
気が付かないだけで、そういう気持ちがないのではないのはわかるけれど、もう子供ではないのだから。


姉には逐一報告。
姉も、同じようにハラハラしながら息子を見ているのだろう。
物事をきっちりしたい姉だから、なおさらで、何かあるたびに口を酸っぱくして、こうしなきゃだめ、こうするべき、ということを言っているそうなのだ。

「どんなに言っても、今頃?というときになってようやく変わる、というふうで、本人のスイッチが入らないとダメみたい。私はいまだにそのスイッチがどこにあるのかわからないでいるよ。私とは別の人間だとはわかっていても」

世の中のすべての母親たちを、心から尊敬。
他人の子供を引き取って育てる人達を、さらに尊敬。
子供を持ったが最後、自分が死ぬまで子供は子供なのだ。
私の母も、同じような気持ちでいたのだろう。
子供がいなくて、ほんとうによかった、かみさまありがとう。
私には無理だ。

「社会に出て、困って苦労して、やっと学んでいくんだろうね」

まあ、そうなんだろう。
いろいろと学んだ2週間であった。










イノシシファミリー

2023-09-08 07:40:58 | 日記
今朝、朝食の後片付けをしていたら、庭先を何かが横切った。

「フンッッ!!」

外はまだ暗いのでよくは見えないが、なんとなく白っぽい。
次第に明るくなってきたら、正体判明。


白っぽく見えたのは子供のイノシシ。
三頭の子供と、2頭の親のイノシシファミリーが、鳥のために投げておいたパパイヤを食べている。
この親のほうは、以前見かけた若いイノシシじゃないかと思う。
庭に出てくるのは、まあいいんだけども、芝生を掘り返したりするので困る。
今後はパパイヤ投棄は考えた方がよさそうだ。

我が家の猫たちは窓際に陣取って見物。
猫は犬じゃないんだから、何かを見ても鳴くでもなし。

以前は、家の中から「シューッ!」と声を出すと逃げていったが、今では平気なもので、すっかり舐められている。
庭に出れば、あわててジャングルに駆け込む。
ほとぼりが冷めると、再び出て来て穴を掘る。
爽やかな朝に、熊手をもってイノシシを追いかける私って・・・・・

子供のイノシシは、ちょっと愛らしくて心がなごむけど。
留守の間は我が物顔でいるんだろうなあ。






甥はどうしてる

2023-09-06 09:10:31 | 日記
9月1日に日本からハワイに来た甥。
翌日の土曜日は私は仕事なので、甥と義父と夫と3人でカヤックを漕いで、近所のサンドバーに行った。
生まれて初めてのカヤックとシュノーケルだったらしい。
サンドバーをどこまでも歩いていく甥。
実は甥は風邪気味だったようで、この日は夕飯を少しだけ食べて寝た。
翌日の日曜日は、夫と私と3人でビーチに行くつもりでいたけれど、彼の母親である姉曰く、『風邪のときは胃を空っぽにしてひたすら寝ると治る』のだそうで、1日寝かせておいた。
夕方、義両親と4人でカイルアのBUZZ'Sで夕食を食べた。甥は食欲が戻って来て、ステーキをペロリと平らげた。

月曜日は祭日で、私は仕事で夫が休み。
本当はこの日に私の職場に連れて行く予定だったが、大事をとって延期。
夫が甥を島内観光ドライブに連れて行った。

火曜日、夫は仕事で私は休み。
天気がいいので、私が甥をビーチに連れていくことにした。
干潮の時刻を調べると、午後1時。
1番暑い時刻だけれど仕方がない。私は浅くないと海に入れないのだ。
サンスクリーンをベタベタに塗っていく。
甥は生まれて初めてのボディボードということだけど、コツだけ教えて、あとは私がやるのを見ただけで、それなりに上手に乗れるようになった。

「温水プールみたいに水があったかい!貝も小石もなくてサラサラの砂だけしかない!どこまでも浅くて足元が平ら!!水の色がありえないぐらいきれい!」

あまり感情を表に出さない甥が、感動していた。
そこへ、偶然、義両親がやってきた。義父はボディボード、シュートメは大きな丸い浮き輪で海に浮いている。
いつも夫と来る早朝よりも、いくぶん海水が温かい。
なんていい気持ち!と思っていたら、足首にピリリと刺激が走った。

「やられたーー!」

マナウォー。くらげ。日本名、カツオノエボシに刺された。
直後、義父が大きなマナウォーが海面に浮かんでいるのを発見。



海面に浮かんで、この長い尾(?)で絡みつく。毒があって、絡みつかれた跡が赤く腫れる。
いそいで海水でその部分を洗い流し、砂をすりこみ、また洗う。シャワーまで行って、真水でも洗ってみる。
甥は私が負傷したのを知らずに、海の中。まだ帰りたくはなさそうだったけど、しばらく待ってから、日曜日にまた来ようと言って車に戻る。
1番近くのスーパーでお酢を買い、足首にかけ、タオルにお酢をしみこませて足首に巻く。
マナウォーに刺されたのなんて、10年ぶり。
そしてそのまま、シェイブアイスを食べに行った。


運転しながら、今までで1番たくさん甥と話した。
甥とは、まともに話をしたこともなかったから、なんか新鮮。
姉からは「マイペース男で、迷惑かけるけどごめん」と言われている。夜更かしで朝寝のインドア派。
猫好きで、うちの3匹の猫をとても可愛がる。
無口だけど、にこにこしている。気はきかないが、言えば素直。
うちは三姉妹だけれど、もし我が家に男兄弟がいたら、きっとこんなふうなんだろうなと思う。

明日はいよいよ私の職場デビュー。
がんばれマイペース男。






謝りたいこと

2023-09-03 15:08:59 | 日記
母の、2年目の命日が過ぎた。

亡くなる2年ぐらい前に会ったのが最後だったから、今でも日本に行ったら母がいるような気がしてしまう。
父と母には、毎日「ありがとう、大好き」と伝えている。

生前は、目の前の現実に振り回されていたけれど、亡くなってみると、良い思い出ばかりが思い出されてくる。
あのとき、母は母で手さぐりで一生懸命だったのだな、そうそう父はそういう人だったよな、と思うことがたくさんある。
それは、嬉しいこともであると同時に、どうして最後までそういう思いやりをもって接してあげられなかったのかという悔いで心が塞ぐ。


最後に母に会った時、それはもう4年前になるけれど、母を短期でグループホーム施設に預けた。
まだコロナ前だったので私と夫が面会に行き、しばらく過ごして、そろそろ帰るというときに、母が
「お手洗いに行っておこうかね」
と言った。
母は転んで肩を骨折していて、片腕を吊っていたので一人で用を足すのが難しい。
私が一緒についていけばよかったのに、外部者が勝手なことをしたらいけないような気がして、私は職員の方を呼んだ。
男性の職員しか手があいていなくて、その人がお手洗いについていってくれた。

そのとき私は、母は私が帰る前にお手洗いを済ませておきたかったのだ、と気づいた。遅かったけど・・・


なぜ私は母の気持ちに気づく前に、人がどう思うかという世間体を先に考えてしまったのだろう。


母はそれについて何も言わなかったけれど、私はずっとそのことが悔いになって残っている。。
いつか謝ろう、と思っていたのに、その機会もないまま母はいなくなってしまった。


母の命日に、そのことを謝った。
謝るとともに、気づいたことがある。

『でも、これって、お母さんからもらった癖だよね』

母はいつも世間体を気にする人だった。
自由奔放な父の尻ぬぐいをしながら生きて来たからかもしれないし、もともとの性格だったのかもしれない。
私が再婚すると言ったとき、
「世間に、あの子は出戻ってきたと思ったら、今度はガイジンだって、と言われる」
と言って反対した。
「世間って誰よ?その世間が私を幸せにしてくれるっての?」
と私は憎まれ口をたたいたっけ。

再婚したあと、前の夫が亡くなって、その納骨に両親と行ったとき、母は私の旧姓の名前を書いた不祝儀袋を作ってきた。
「再婚したと思われないほうが体裁がいいから」
というのが理由。
私はその理屈がまったく理解できなかったから、新しい苗字を書いた不祝儀袋を使った。

こんなこともあった。
かなり昔になるが、実家で飼っていた犬のお腹にシコリができた。シコリはみるみる大きくなって、触ると熱をもつほどになった。
たまたま実家に帰ってきていた妹が、すぐに動物病院に連れていかなきゃ、と言ったら母が、
「でも、こんなになるまで放っておいた、って言われる・・」
と渋った。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
妹はそう言って犬を抱えると病院に連れて行った。母は犬をとても可愛がっていたのに。


命日に母に謝りながら、

「ね、お母さんが私でも、同じことしたかもしれないよねえ」

と言った。
それで私の気が楽になるわけじゃなく、やはりあの時私がやればよかったと思う気持ちに変わりはないのだけれど。
夢で、母が何か言うかなと思ったけれど、母は出てこなかった。
「そんなこと、あったかねェ」
そう言ってくれているのではないか、というのは私の希望的観測である。












甥、来たる

2023-09-01 08:04:38 | 日記
もうすぐ、甥がホノルルに降り立つ。
私も夫も仕事なので、義両親が迎えに行ってくれることになっている。
甥は11年前に彼の両親とハワイに来たことがあるが、当時は10歳ぐらいで、あまり覚えていないのではないかと思う。
だから、義両親ともほぼ初対面のようなもので、甥には義両親の写真を、義両親には甥の最近の写真を送ってあり、さらには義両親は甥の名前を書いた紙を掲げるという念のいれようだ。

12年前、私たちがハワイに移住するときに、私の両親も連れてきたことがある。
両親だけが数時間早くハワイに着くフライトしか取れず、義両親に迎えに行ってもらった。
英語がまったくダメな両親と、日本語がまったくダメな義両親が、どんなふうに過ごしたかというと、父がひたすら日本語でペラペラとしゃべりまくり、義両親と母はただ相槌を打っていただけ、らしい。ああ、目に浮かぶ・・・

甥の語学力は両親よりはだいぶマシであろうと思われる。

さて、どうなることやら、楽しみである。