ワイのもじけたブログやで~

模型作りや旅行記、日々の出来事など気ままに紹介しています。
(開設2015年1月1日)

日帰りドライブに行って来ました

2015年10月04日 21時30分28秒 | 旅行
今日は模型製作はお休みして、息子と二人で日帰りドライブに行って来ました。和歌山県は道路整備が遅れている県ですが、先ほど高速道路(自動車専用道路)が「すさみ南IC」まで延伸されたのを機会に走ってみたいと思っていました。さらに、三重県側の国道42号線にバイパス道路が開通しているので、その部分も含めて走って来ました。国道42号線は起点(浜松市篠原交差点)から終点(和歌山市県庁前交差点)まで全線走破しています。(国道42号線は鳥羽港から伊良湖港間は海上国道となっています。)

朝6時半ごろに家を出て、有田南ICから高速に入り、終点のすさみ南ICで国道42号線に降りました。そこから国道を走り、9時前に「道の駅 くしもと橋杭岩」に到着して休憩しました。
南紀方面に行く時は、いつも利用している道の駅で、本州最南端の道の駅でもあります。今回のドライブには、先日購入した一眼レフカメラを持参して、初の屋外撮影となりました。上の写真はそのカメラで撮影した画像で、RAW撮影したものをJPEGに変換し、サイズを縮小しました。トリミングは行なっていません。(以下、全て同じです。)

「道の駅 くしもと橋杭岩」を出て、那智勝浦ICからバイパス(自動車専用道路)を経由して新宮に入り、三重県に入ったあと紀宝バイパスを経由して国道42号線に戻りました。紀宝町の「道の駅 紀宝町ウミガメ公園」(10時過ぎに到着)でトイレ休憩にしました。
帰りもここに寄って、少し遅い昼食をとりました。

さらに国道42号線を熊野方面に進み、鬼ヶ城トンネルを抜けてから熊野大泊ICからバイパス(自動車専用道路)に入り、尾鷲南ICで一旦下車し国道42号線に戻り、尾鷲市内を少し走ってから尾鷲北ICから紀勢自動車に入り、紀伊長島ICで降車して国道42号線に戻りました。その先にある「道の駅 紀伊長島マンボウ」に到着したのは正午前でした。ここでおみやげを購入して帰路に着きました。時間があれば伊勢神宮まで行って、名阪経由で帰宅しようと考えてもいたのですが、夕刻までに戻らないといけない用事が出来て、来た道を帰る事にしました。
ここの道の駅は、マンボウ料理が食べられる事で結構有名ですが、今日は残念ながら品切れでした。レストランも満員で、昼食をここで取る予定でしたが、断念しました。

将来的には今日走行したバイパスが全線繋がる予定ですが、いつになるかは分かりません。 
帰りは新宮まで来た道を戻りましたが、新宮(橋本交差点)から国道168号線に入り、311号線・県道198号線を経由し、国道424号線を利用して帰って来ました。家に着いたのは夕方5時頃でした。途中「道の駅 熊野古道中辺路」で小休憩しました。
ここの道の駅の真ん前から、牛馬童子の古墳へ行くことが出来ます。今日も熊野古道ツアーの観光バスが停まっていました。

去年は3泊4日で四国一周ドライブに行きましたが、今年はどこにも行けずにずっと我慢していました。ようやく日帰りとは言え、遠出のドライブに行く事が出来ました。本日の走行距離は約450Kmでした。
11月に出来れば台湾に行きたいと思っていますが、うまくスケジュールが合うかが問題となりそうです。


6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私も行きました (クラキン)
2015-10-05 04:18:45
橋杭岩、うみがめ公園、熊野古道・・・私も行きました。
橋杭岩は面白いところでしたね。
私もマイカーで駆け足旅行だったので、機会があればもう一度ゆっくりと回りたいですね。
返信する
Unknown (0-sen)
2015-10-05 19:05:32
クラキン殿、コメント有難うございます。貴殿もマイカーで旅行された経験をお持ちとの事ですが、その頃よりは道路事情も改善されていると思います。機会があれば是非再訪をお薦めします。
三重県側は、かつての難所だった熊野から尾鷲に抜ける峠越えを解消する意味でも、バイパスが完成したのは有難いですね。長いトンネルばかりですが、それだけ山深いと言う事でしょうね。今度は時間をかけて紀伊半島一周を目指そうと思います。

本日、トータル閲覧数が30000PVとなりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。有難うございました。
返信する
2012年です (クラキン)
2015-10-05 21:23:17
30000アクセス達成おめでとうございます。
私が南紀方面に旅行したのは過去2度ありまして、最初は1965年に母の運転する車に家族全員乗って、台風接近の中、奈良の五条市から十津川沿いに潮岬に出ました。
この時は途中落石の直撃も食らい、命懸けの度でした。
二度目は2012年10月です。
伊勢志摩→那智→熊野→勝浦と車の度でした。
その時の旅行記はブログにアップしています。
http://blog.goo.ne.jp/kurakin1220/m/201210/2
返信する
過去ログ拝見しました (0-sen)
2015-10-05 22:18:38
クラキン殿、再度のコメント有難うございます。紹介して頂いたブログ記事を拝見しました。南紀旅行を満喫されたようで、和歌山県人としては嬉しく思います。(和歌山弁は理解出来ましたか?)
2012年と言えば紀伊水害が発生した年だったと思いますが、10月には多少復旧していたみたいですね。
英虞湾からR260を通られたようですが、道路状況は如何でしたか? 以前は酷道としてその筋のマニア(私もそうかも?)には有名な国道だったんですが、現在はかなり改良工事が進んでいるようです。私も昨日、ほんの少しですが、通行しました。(20年位前に家族で伊勢に行った時に、全線走破しましたが、かなりの酷道でした。景色は良いんですけどね。)是非、また機会があれば和歌山にお越し下さい。熊野三山(熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社)詣でもいいですよ。
1965年のドライブは大変だったと思います。五条(現在は「五條」)からR168(通称、五新線)で新宮に抜けられたものと思いますが、当時のR168はかなり酷い国道だったものと思います。今でこそ改良工事が進んで走り易くはなっていますが、カーブが多く、アップダウンも多い国道ですね。
長くなってしまいましたが、国道(酷道)好きの戯言と思って下さい。有難うございました。
返信する
快適でした (クラキン)
2015-10-06 19:13:14
2012年の旅行は大雨の爪痕は残っていたものの道路は全て快適でしたよ。
瀞峡の遊覧ボートにも乗れました。
1965年は十津川沿いの国道が舗装されていなくてカーブだらけで、おまけにガードレールもなく、運転をミスると即、崖下の十津川に転落という恐怖のドライブでした。
実際に途中で何台かの転落車の残骸を見ました。
よく生きて帰れたものだと今でも思い出します。(笑)
返信する
生きてて良かったですね(笑) (0-sen)
2015-10-06 20:23:49
クラキン殿、何度もコメント頂き感謝致します。
色んな意味で印象に残るドライブだったようですが、1965年のドライブは大変だったと思います。1965年=昭和40年ですので、当時の国道168号線は相当酷い国道だったものと思います。元々は旧国鉄が線路を引く為に計画した路線でしたが、計画が頓挫してしまい、その跡地を国道として利用しました。今でも当時のトンネルなどが残っています。それが五新線と呼ばれる由縁です。現在はかなり改良されて快適路になっていますが、それでも山間部を縫って走る国道ですので、カーブやアップダウンの多い国道ですね。本当、生きてて良かったと思います。貴殿とこうしてお近付きになれたのも、生きてたからですので、この縁を大事にしたいと思います。何度もコメント頂き有難うございました。
返信する

コメントを投稿