Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

長尾天満宮(2023年2月16日参拝)

2023年05月14日 | 神社
醍醐寺子院(*)の理性院の前に神社の鳥居がある。
(*塔頭は禅宗寺院で用いられる為、当ブログでは子院と明記しています)

醍醐寺の横に神社があるとは知らなかったよ。(^^;

ちょっと良い感じの鳥居と参道だったので寄ってみた。


所在地:京都府京都市伏見区醍醐伽藍町18
御祭神:菅原道真公、大己貴命、須佐男命
創建:天慶三年(940)


【由緒】


延期3年(903)菅原道真公没後、醍醐寺開山聖宝の弟子観賢により道真の墓を築いたという。
天慶三年(940)第60代醍醐天皇の御願により、菅原道真公を祀ったことに始まるという。

慶長5年(1600)豊臣秀吉の命により紀州の満願寺を解体移築し下醍醐の金堂を建立。
この時工事中に怪我人が続出した為、醍醐天皇の御願寺に、
功徳することへの菅原道真公の祟りがあるとして勧請されたともいう。

応仁の乱のとき下醍醐一帯が五重塔を除き悉く消失、当社も難を免れませんでした。
1801年に再建されましたが1805年に再び火災にかかり消失。
現在の本殿は1821年に再建されました。


【一之鳥居】



【参道】


結構長い参道で疲れてる時は行く気を無くしそうです。(^^;

すっきりとした明るい参道ですが、
以前は木々に覆われ鬱蒼としていました。

しかし2018年台風21号により倒木の被害が発生し、
倒木は全て取り払われ今のような参道に生まれ変わりました。

台風21号は本当に強烈だったもんなぁ。
会社に車で行ってる時に街路樹が倒れまくっていたのは未だに忘れられない。


【二之鳥居】


車は鳥居辺りに停められそうですが、
神社の許可なく停めることは禁じられている為、
有料駐車場に停めましょう。


【石段】


結構長い石段で疲れてる時は行く気を無くしそうです。(ほぼコピペ)


【頼政道跡】





【石段】


結構疲れました。(^^;




石段を登りきった、頑張った自分。(笑)


【衣裳塚】






登りきったら右手にあります。

醍醐寺が気に入った藤原道真公が太宰府で亡くなると、
その衣服と遺物が太宰府から持ち帰られ、
観賢が生前の意思にしたがって埋めたが、
秀吉公が金堂を醍醐寺を移築しようとした際、
事故が多発し道真公の祟りと恐れられ、長尾天満宮を創建し埋設したそうです。


【皇大神宮】




石段を登ると正面にあります。

ちょっと薄暗い雰囲気です。
稲荷社でも鎮座しているのかというほど。


【参道】


左側に本殿が鎮座しております。


【拝殿】




実に力強い必勝の文字です。


【本殿】









【狛犬】





【境内社】





【御神牛】



【蔵】



【御朱印案内】


受付中とのことですが、
社務所は閉まってるし電話番号や宮司宅も分かりません。

なのでいただいておりません。


【石段】


行きとは違うルートの石段があるので帰りはこちらから。


【境内】


醍醐寺の伽藍が少し見えましたが、
フェンスがあるので入ることは出来ません。


【境内社】


詳細不明。


【参道】


ここは私のようなマニアか神社関係社しか歩かないでしょう。

これにて長尾天満具の参拝終了。

あの石段があるので何回も行きたいとは思わないが、
参拝出来て良かったとは思っている。


【門】


醍醐寺の桜馬場を通り過ぎ醍醐寺の有料駐車場方面へ。


【霊宝館入口】



【醐山料理 雨月茶屋】


お食事処で面構えからして結構高いです。




こちらは喫茶部門でお気軽に入れます。(笑)


【珈琲セット】


京の冬の旅でハンコが3つ揃いましたので無料でいただきました。

美味しゅうございました。


手向山八幡宮(2023年1月4日参拝)

2023年04月03日 | 神社
毎年ながら春日大社から若草山経由で東大寺二月堂へ歩く。


【水谷茶屋】




朝早かったので閉まってましたが、
寒かったので熱いコーヒーを飲みたかったな。


【若草山】



【神鹿】




この辺りは春日大社や東大寺の喧騒が嘘のように、
ほとんど人が居ません。


【参道】


若草山から二月堂の途中に手向山八幡宮が鎮座しております。
もちろん参拝です。


所在地:奈良県奈良市雑司町434
御祭神:応神天皇、姫大神、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇
創建:天平勝宝元年(749)
社格:県社


【鳥居】



【境内】


ここも余り参拝客が少ないです。
やっぱりルート的に行きにくい場所なんよなぁ。


【神楽所】



【若宮】



【菅公の腰掛石】



【境内】



【拝殿】







【本殿】



【楼門】



【鳥居】


これにて手向山八幡宮の参拝終了。

御朱印、御朱印帳対応されています。

石切劔箭神社(2023年1月1日参拝)

2023年03月28日 | 神社


地下鉄阿波座駅から石切神社最寄り駅の新石切駅に到着。

下を見ると石切神社の有料駐車場へ続く車列。
大阪でも人気の神社なので車で行く場合は渋滞を覚悟してくださいね。


所在地:大阪府東大阪市東石切町1-1-1
御祭神:可美真手命
創建:(伝)神武天皇二年
社格:式内社、村社


【鳥居】



【拝殿】




拝殿まで100メートル以上は参拝者がズラーッと並んでいました。

うーむ、これはさすがに並んでられん。
ということで本殿がある裏手へ。


【本殿】


本殿裏手にも賽銭箱があるのでこちらからお参り。

うん、要は神様にお参りすればいいので、
あんな行列に並んでまでお参りする必要はございません。


【五社明神社】



【遙拝所】



【穂積殿】


正月等の特定日には石切丸を筆頭に刀剣や銅鏡が見られます。
拝観料500円也。


【割符守】


こちらを500円で購入すると今回だけではなく、
刀剣が公開される時は無料で何回も拝観可能です。

なので何回か刀剣を見たい人は購入必須です。


【穂積殿境内】





【猫】


屋根に猫発見。




ずっと見ていたら視線を感じたのか猫もこっちを見てきた。

視線って不思議ですよね。
見られていると人って何故か気付くもの。

それが猫にも当てはまることが分かった元日。
縁起がいいということはない。(笑)


【大幣】



【弘法大師堂・聖観音堂】



【御朱印】


新種のカラフル御朱印が二体ありました。
今回はこちらの方を拝受していただきました。

700円也。

これにて本日の参拝終了。

後日、東大寺と春日大社を参拝だ。

サムハラ神社(2023年1月1日参拝)

2023年03月25日 | 神社
御霊神社の次はサムハラ神社です。

約6年振りの参拝となりますが、
参拝する前は神社の名前からして怪しげなイメージを持っていましたが、
参拝してみるといたって普通の小さな神社という感じでした。

御神環という指輪のお守りが御利益あり過ぎて、
超人気になりネットで転売する不届き者も現れて、
現在も販売中止となっています。

御朱印もそうだけど転売するなんて罰当たりですね。


<2017年3月11日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/c2491c8b01fc21c7c343db55b6718f5d


所在地:大阪府大阪市西区立売堀2-5-26
御祭神:天御中主大神、高産巣日大神、神産巣日大神
創建:昭和25年(1950)


【由緒】
昭和10年(1935)に田中富三郎が、
出身地の岡山県苫田郡西加茂村(現・津山市加茂町)にて、
古い小さな祠の荒廃を嘆き再興したのが本社の起源。

しかし翌年岡山県特高課から無許可神社で商品広告しているとして、
自主撤去を求められ、サムハラ信光会は11月27日に解消し、撤去を行った。

戦後、祠は再建され、神社は大阪中之島の豊国神社隣接地に自費で建立。

昭和36年(1961)に現在地へ移築遷宮された。

祭神は天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神であり、
サムハラは三神の総称である。

奥の院が美作加茂(岡山県津山市)にある。


【鳥居】


ここは今や人気の神社になっていて、
100メートル以上の参拝者が順番待ちで並んでいた。

うーん、これはまた日を改めて混んでない時に参拝しようかと思ったが、
元旦に参拝したかったので並びました。

そしてお参り。

今年もみんな元気で過ごせますように。


【御朱印】


正月限定なのかな。
金色のありがたい御朱印をいただきました。

書き置きで500円也。


【紅葉】




先ほど参拝した御霊神社の裏にある美々卯本店に、
鮮やかな紅葉が見られました。

ちなみに本店は2月5日から改修工事で暫く閉店です。

御霊神社(2023年1月1日参拝)

2023年03月23日 | 神社
北御堂の次は近くに鎮座する御霊神社へ。


所在地:大阪府大阪市中央区淡路町4丁目4-3
御祭神:天照大神荒魂、津布良彦神、津布良媛神、応神天皇、源正霊神
創建:不明
社格:府社
札所:大坂三十三所観音めぐり


【由緒】
嘉祥3年(850年)から大阪湾岸の圓江で行われた八十嶋祭の祭場とされた圓神祠に、
瀬織津比売神、津布良彦神、津布良媛神が祀られると、
社はやがて圓神社、圓江神社、津村神社と呼ばれるようになり、
摂津国津村郷の産土神社となった。

文禄3年(1594)因幡国鹿野藩主の亀井茲矩から船場の自邸敷地の一部を寄進され、
境内の小祠乾八幡宮と源正霊神を本殿に合祀した上で、圓江から船場の現在地へ遷座。

江戸時代になると鎌倉権五郎の権五郎から五郎ノ宮や、
訛ってごりょうのみやとも圓御霊とも呼ばれた。

また境内の南側には十一面観音を本尊とする神宮寺の宝城寺が作られた。
寛文年間(1661-1673)に御霊神社と改称し、宝暦3年(1753)に正一位の神階を授けられる。

明治時代に入ると神仏分離令によって、御霊神社と宝城寺の境内を分けることとなったが、
後に宝城寺は廃寺となった。

明治6年(1873)郷社に列する。
明治17年(1884)人形浄瑠璃の劇場文楽座が境内に開設。
御霊文楽座として近世文楽における黄金期の賑わいを見せる。
しかし大正15年(1926)11月に御霊文楽座から出火、本殿とともに焼失した。

昭和5年(1930)に社殿を再建するが、
昭和20年(1945)3月13日・14日の第1回大阪大空襲により再び全てを焼失した。

昭和32年(1957)現在の社殿を再興する。
昭和34年(1959)鳥居玉垣を再建、その後、年を追って往時に勝る威容を整備しつつある。


【鳥居】



【拝殿】



【本殿】



【東宮】


皇大神宮、恵比寿神社、猿田彦神社、東宮十二社が祀られています。


【儀式殿】



【松ノ木神社】





【大黒社】



【御朱印】


拝殿が描かれた書き置きの御朱印です。
これはいただかざるを得ない。

八幡神社<元石清水八幡宮>(2022年12月18日参拝)

2023年03月18日 | 神社
大安寺と推古天皇社の近くに元石清水八幡宮と呼ばれる神社があります。
それが大安寺の鎮守社でもある八幡神社です。

平安時代に創建された石清水八幡宮は貞観元年(859)に、
京都男山に遷座したことから、この八幡神社は元石清水八幡宮と呼ばれています。

しかしながら、創建の歴史がはっきりしているわけではなく、
当の石清水八幡宮もそのことを認めていません。

その真相はたぶんこれからも確定することは無いでしょうね。


所在地:奈良県奈良市東九条町字宮ノ森1316
御祭神:応神天皇、神功皇后、仲哀天皇
創建:大同2年(807)
社格:村社


【由緒】


奈良南都七大寺の一つである大安寺の鎮守として建立されました。

最澄・空海も修行したと記録される大安寺の僧行教和尚が遣唐使としての帰途、
大分県宇佐神宮の第一祭神八幡大神(応神天皇)からのお告げで、
宇佐神宮より南部大安寺本房第七院石清水房に勧請いたしました。

その後のある日、行教和尚は夢の中で京都の男山に八幡大神を祀れというご神託を受け、
貞観元年(859)京都府八幡市に山城石清水八幡宮(男山八幡宮)が建立されます。

男山衆は 男山の八幡大神は宇佐神宮から直接 お招きしたもので、
大安寺とは関係ないと本社を名乗って譲らなかったそうです。

石清水の名前は以前から男山にあったというのが男山衆の主張なので、
その主張と分ける為に元石清水八幡宮の名前が生まれたと言われております。

本殿は至徳2年(1385)に室町幕府第3代将軍足利義満により再建された。
しかし永正元年(1504)に焼失しその後に再興されたとの話もあり詳しくは不明である。

元亀2年(1571)の松永久秀の辰市攻略等の戦乱で大安寺とともに衰微の道を辿り、
文禄5年(1596)7月13日には慶長伏見地震によって同寺とともに罹災、
その影響で大安寺が一時廃寺の状態となったために独立し、
在地の氏神として村民の手によって復興された。

社伝によれば文久3年(1863)に大修理が行われている。

明治時代になると村社に列せられている。


【参道】


奥に見えるのが二ノ鳥居です。

参道に路上駐車している青い車は私の車ではありません。
神社には専用の駐車場はありませんでした。


【表門】


車は境内に停めて良いのかも知れませんが、
大安寺の駐車場に停めた方が無難ですね。


【境内】


奈良の地元に根ざした神社のように質素な雰囲気を感じる境内です。

石清水八幡宮のようにド派手ではありません。
あの神社の資金力は日本全国屈指のものですから。

そりゃ比べたら石清水八幡宮は認めたがらないだろうなと思う。


【手水舎】





【中門】



【拝殿】





【狛犬】





【本殿】





【境内社】













【境内】


拝殿から表門を撮影したもの。

これにて参拝終了。

御朱印はありますが、境内の掃除が忙しそうだったので今回は辞退した。

またの機会に。

推古天皇社(2022年12月18日参拝)

2023年03月14日 | 神社
先ほど参拝した大安寺の駐車場の横に小さな神社が鎮座しております。
普通なら華麗にスルーしてもいいような神社ですが、
神社の名前が推古天皇社。

何と天皇の名前を頂戴した神社なんです。
大安寺も皇室所縁のお寺ですから、
この神社もその縁で建立されたのかも知れませんね。

調べてみると神仏分離令以前は大安寺の境内に鎮座していたようです。


所在地:奈良県奈良市大安寺1-12
御祭神:豊御食炊屋姫尊(推古天皇)
創建:不明


【由緒】



【推古天皇】
第33代天皇で日本史上最初の女性天皇。

第29代欽明天皇の皇女で、母は大臣の蘇我稲目の女の堅塩媛。
第30代敏達天皇は異母兄で夫でもある。
第31代用明天皇は同母兄、第32代崇峻天皇は異母弟、蘇我馬子は母方の叔父。

公正な女帝の治世のもと聖徳太子はその才能を十分に発揮し、
冠位十二階推古・十七条憲法を次々に制定して、法令・組織の整備を進めた。
推古天皇15年(607年)、小野妹子を隋に派遣。

女帝は太子や馬子と共に仏法興隆にも努め、斑鳩に法隆寺を建立させたりした。


【鳥居】





【手水舎】



【社殿】


このように小さな神社で普段は無人のようですが、
ご近所の方々によって守られているみたいですね。


【石碑・大日如来】








こんな所で神仏習合の名残があるとは思いませんでした。


【金毘羅権現】





【境内社】




詳細不明。

これにて推古天皇社の参拝終了。

御朱印は無いと思われます。

水天宮~神戸布引ロープウェイ(2022月11月19日参拝)

2023年01月24日 | 神社
布引貯水池までハイキングをした後は、
ロープウェイで下まで下りて行きます。

その布引貯水池の近くに鳥居を発見。
近づいてみると何やら参拝意欲を刺激する文言が。

面白い。
参拝してやろうじゃないか。


所在地:兵庫県神戸市中央区葺合町
御祭神:天御中主神・不動明王
創建:不明


【鳥居】



【看板】


これはもう参拝するしかない。(笑)


【石段】


これが結構急な石段なんですよ。
もう参拝するの止めようと思ったぐらい。(笑)

結局登りましたがハイキングコースで一番キツかったです。(苦笑)


【社殿】




中はこんな感じでした。

本当に御利益あるんでしょうか。
いや、信じる者は救われる。(^^


【ハイキングコース】


水天宮の上にちょっとだけしんどい登りがあります。

私はロープウェイの途中駅である風の丘中間駅まで、
圧倒的に近くなるので頑張って登って行きます。


【布引大竜寺線】


道路に出てきました。

向かって右側に行くと風の丘中間駅があります。


【ゲート】


ここが風の丘中間駅です。
獣除けのゲートですので右側の扉から入っていけます。


【ゴンドラ】



【風の丘中間駅】





【料金表・券売機】




片道930円と結構高いです。

この値段だったら徒歩で下ってもよかったかな。
まぁ、下りは嫌いだしゴンドラから見た景色が良かったから良しとしよう。


【ゴンドラ】


15分に1本とかそんな頻度では無く、
次から次へとゴンドラが稼働していました。




出発。


【風景】


























これは予想以上に良い景色でした。


【ハーブ山麓駅】




山麓駅に下りてくると上に行く人達がかなり順番待ちしていました。


【ANAクラウンプラザホテル 神戸・新神戸駅】


さて、三宮で飯を食いに行くとしよう。

布引弁財天(2022年11月19日参拝)

2023年01月18日 | 神社


布引の滝を見てから普通のハイカーはそのまま上に登って行きますが、
私の場合は神社仏閣が最優先なので、この道を下りて行きます。


【案内板】


朝から中年の男女3人がこのハイキングロードを清掃している。
多分ボランティア。
しかし挨拶しても全員返事はしないし愛想が悪い。

なんなんでしょうね、この人達。

折角良いことしてるのにもったいないよね。


所在地:兵庫県神戸市中央区葺合町布引山
御祭神:辨財天
創建:不明
社格:徳光院鎮守社


【由緒】
徳光院の鎮守として祀る布引弁財天は康永4年(1345)後醍醐天皇の菩提を弔う為、
足利尊氏が天龍寺を造営した時すでに境内地近くに祠られており、
足利尊氏も参籠したと言い伝えられている。

以後数百年間この地に奉祠された後、明治維新の際、天龍寺宝蔵に収められました。
そして大正10年(1921)当山に弁天堂を建立し、この由緒ある弁財天を天龍寺より勧請。
当山の鎮守としてお祀りしたもの。


【境内社】


御祭神不明。


【参道】


ちょっと歩いていくと神社の社殿発見。


【弁天堂】



【本殿】



【手水舎】



【境内】



【鳥居】



【五社稲荷神社】



【狛狐】





【稲荷社】







【境内社】



【地蔵堂・不動堂】




地蔵堂と延命地蔵菩薩は明治40年(1907)に祭祀、
不動堂及び明王像は昭和8年(1933)に移築祭祀されたもの。


【紅葉】




一本だけもの凄く赤い紅葉がありました。


【鳥居】






それぞれの神社の鳥居。




こちらが一の鳥居となります。

この鳥居の前はまぁまぁ広い広場でしたが、
車の進入は無理ですので新神戸駅近くの有料駐車場をご利用ください。

御朱印は無いと思われます。

野宮神社(2022年11月18日参拝)

2022年12月28日 | 神社


宝厳院参拝後、桂川を見ながら次の参拝寺社へ向かう。


【紅葉】



【桂川】




京都市内を流れる川ですが結構綺麗です。


【風景】









【渡月橋】




渡月橋界隈はこのぐらいで見納めにして、
竹林の小径を抜けて常寂光寺へ。


【門】


これは竹林の小径の途中にある門で、
人力車専用なので人力車に乗る人しか通れません。

暫く歩くと野宮神社に到着。

この神社は女子用と思っているので、
普通は華麗にスルーしますが、紅葉が綺麗だったので寄ってみた。


<2015年12月12日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/b4c92d0ce9ad905b5bd4a07daf505d82


所在地:京都府京都市右京区嵯峨野々宮町1
御祭神:野宮大神(天照皇大神)
創建:不明
社格:村社


【由緒】
野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王が、
伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。

嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、
黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。
その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。

野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、
当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ
嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされています。


【黒木の鳥居】





【紅葉】



【拝殿】


これはおめでたい。
末永くお幸せに。


【龍神】



【神石】



【境内社】





【じゅうたん苔】



【白福稲荷大明神】


これにて野宮神社の参拝終了。
やっぱり女子がいっぱいいましたね。

御朱印は相変わらずオールハンコのようでした。


【紅葉】






天龍寺北門を過ぎた辺りの紅葉。


【竹林の小径】








今日はさすがに観光客が多い。
海外からは中華系は少なく白人系が多かったですね。


【紅葉】



【小倉池】




もうすぐお目当ての常寂光寺ですが続きは後日。

竹林の小径~御髪神社(2022年11月5日参拝)

2022年12月11日 | 神社
天龍寺塔頭を軽く参拝し、
本日アテンドする相手と合流。

天龍寺は後回しにしてまずは竹林の小径へ。


【竹林の小径】




2年前はガラガラでめっちゃ静かに歩けたのですが、
今年は外国人、特に白人系の観光客が多かったです。










やっぱり人が多いと歩きにくいし撮影も人が映らないように、
撮影するのも難しいね。

2年前はほとんどいないから小径も撮影出来たんですけどね。

ゆっくり小径を歩きながら大河内山荘や野々宮神社を軽く紹介し、
日本で唯一の神社に到着。

アテンドする人はハゲではなくフサフサだけど、
話のネタとして紹介した。(笑)


<2014年3月15日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/2c60b3ba914ba08c1ffc1b2f81269503

<2020年10月8日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/8834253e6fb44b9520d3c64fa09e25b8


所在地:京都府京都市右京区嵯峨小倉山田渕山町10-2
御祭神:藤原采女亮政之
創建:昭和36年(1961)


【由緒】
祭神は藤原鎌足の末孫、従五位藤原采女亮政之で髪を副神として納祭する髪塚が有る。
藤原基晴卿が亀山天皇御代(1259-1274)に、
宮中の宝物係として仕えていたが紛失した責任をとり、
諸国行脚し文永5年に下関に居を構えた。

その三男の政之公が生計の為に髪結職を始めたのが髪結業の始祖とされる。


【小倉池】





【社殿】


ここが日本で唯一と言われる髪の毛に御利益のある神社です。


【鳥居】





【絵馬】


全部笑えます。(笑)


【常寂光寺】


ここは紅葉がまだまだだったのでスルー。


【紅葉】


常寂光寺の無料駐車場の横にちょっとだけ紅葉になっていました。


【風景】



【嵯峨天皇皇女 有智子内親王陵墓】



【落柿舎】





【二尊院総門】



【竹林の小径】




竹林の小径を戻り次回は本日のメインへ。
続きは後日。

天龍寺総鎮守社 八幡宮(2022年11月5日参拝)

2022年12月04日 | 神社
渡月橋から天龍寺方面へ歩いて行きます。
その途中で凄い人気のカフェが二つあります。

まずはアラビカ 京都嵐山というお店で、
カフェラテアートが映えるということで週末は行列になっています。


【パンとエスプレッソと嵐山庭園『エスプレッソと』】


朝8時から開店で9時前に来てみると何組も待っている人気店。
朝の嵐山でここだけ混んでます。(笑)




カフェラテやセットの料金は全般的に高いですね。
愛知や岐阜のモーニングに慣れていると絶対に食わないだろうね。(苦笑)

個人的にはカフェよりも古民家が気になり寄ってみました。
やっぱり茅葺き屋根は落ち着くなぁ。


【紅葉】



【苔】



【湯豆腐 嵯峨野】


メニューは湯豆腐定食4000円~となっていますが、
京都の湯豆腐はどこも高いですよね~。
そんなに豆腐って高いのかな。
スーパーで売ってる絹ごし豆腐だも充分美味いと思うけど。(笑)


【嵐山羅漢】





【宝厳院】










嵐山で随一の紅葉の名所。
やはりまだまだ早いですね。
20日以降が見頃かな。

宝厳院から天龍寺拝観入口に到着。

まだアテンドする相手が来ていないので、
天龍寺は後ほど拝観します。

天龍寺を案内するからには天龍寺は外せないし、
相手も求めているでしょうから。(笑)

天龍寺拝観入口近くに塔頭と総鎮守社八幡宮があるので参拝しよう。


所在地:京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町
御祭神:八幡大菩薩(八幡大神)
創建:興国5年・康永3年(1344)


【由緒】
天龍寺総鎮守社である八幡宮はかつて亀山山頂に祀られていたが、
明治8年(1875)に現在の場所に移されました。

八幡宮は興国5年・康永3年(1344)に夢窓疎石の霊夢によって祀られたとも言われる。

夢窓疎石は興国7年・貞和2年(1346)に天龍寺山内の十ヵ所である普明閣、絶唱谿、霊庇廟、
曹源池、拈華嶺、渡月橋、三級巖、万松洞、龍門亭、亀頂塔を名勝として定め、
八幡社は霊庇廟とされています。


【社頭】



【鳥居】



【社殿】





【慰霊碑】




ヤゴタ会シベリア抑留戦友会が建立されたもののようです。


【飛雲観音】



渡月橋~車折神社 嵐山頓宮(2022年11月5日参拝)

2022年12月02日 | 神社


今日は会社の友人を嵐山界隈をアテンドする為に、
まずは天龍寺にやってきました。

私がいつも嵐山に来たら車を停めるのが天龍寺の駐車場です。
ここは一日千円で一番大きくて移動が楽なんで。

でも観光シーズンの土日祝は朝10時までに入っておかないと、
駐車場難民か料金天井知らずの有料駐車場に止めざるを得ない恐れがあります。

なので集合は10時なのに朝8時15分に到着。(^^;
我ながら必死。(笑)

まぁ暫く暇なんで渡月橋でも見に行きますか。


【勅使門】



【29号線】


ここが嵐山のメイン通りです。
8時30頃だとまだガラガラです。


【渡月橋】






やはりいつ見ても絵になりますね。








紅葉はさすがにまだまだですね。


所在地:京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町1-5
御祭神:不明
創建:不明
社格:車折神社頓宮


【車折神社 嵐山頓宮】




渡月橋の手前に神社があります。
ここは車折神社の頓宮でいつも扉が閉まっていたのでスルーしていたけど、
今日は開いていたので参拝することにした。

頓宮とは行在所とも呼ばれる仮の宮のこと。
ただこちらは只の頓宮ではなく三船祭の最後に神儀が入御されて、
神事が終わる重要な頓宮です。

三船祭とは毎年5月の第3日曜日に嵐山の大堰川において、
祭神である清原頼業が活躍された平安時代の船遊びが再現されたもの。






お社の前に二台の人力車らしいものが置いてありました。
清少納言役の方が乗る乗り物でしょうか。


【法輪寺】




さて、この後は紅葉の色づき具合を見に行きます。

豊崎神社(2022年10月24日参拝)

2022年11月28日 | 神社
続いて中津駅と淀川近くに鎮座する豊崎神社へ。
まだまだ参拝したことがない神社があるもんで、
こちらは初めての参拝となります。

車は境内に10台ぐらい無料で停めれるスペースがありました。


所在地:大阪府大阪市北区豊崎6丁目6-4
御祭神:孝徳天皇  
配祀神:素盞嗚尊・應神天皇
創建:正暦年間(990-995)
社格:村社・神饌幣帛料供進社


【由緒】
飛鳥時代の宮殿である難波長柄豊崎宮が廃されて、
宮跡は松林となり八本松と呼ばれていた。

平安時代の正暦年間(990-995)藤原重治がこの地の開拓にあたり、
この樹林に小祠を建立して孝徳天皇を祀ったのが始り。
後に村民の望みで須佐之男命を合祀した。

境内社の鹿島神社は寛永年間(1624-1644)に常陸国鹿島神宮を勧請し、
神輿を渡し鹿島踊りを奉納したという。

江戸時代の明和9年(1772)火災に罹り焼失。
安永5年(1776)徳川家康が慶長19年(1614)に、
足立市兵衛の家に憩った記念に足立邸内に家康の霊を祀る東照宮社が建立された。

明治5年(1872)には村社に列し、明治40年(1907)神饌幣帛料供進社に指定される。

明治41年(1908)長柄の村社八幡神社を相殿に合祀。
東照宮社を当社境内に移し、さらに厳島神社を東照宮社に合祀した。

後に長柄の八幡神社は再建され現在の南長柄八幡宮である。
当社は昭和39年(1964)社殿を再建した。


【難波長柄豊崎宮】
摂津国難波にあった飛鳥時代の宮で難波長柄豊崎宮、難波長柄豊埼宮とも表記する。
学術的にはこの宮跡に建てられた難波宮(後期難波宮)と区別して前期難波宮とも呼ばれる。

乙巳の変(645)の後、中大兄皇子らによって企画され、
652年に完成し孝徳天皇が遷都した。

白雉5年(654)孝徳帝の没後、斉明天皇(皇極天皇が重祚)により飛鳥板蓋宮に遷宮された。
その後は天平16年(744)になって同じ場所に聖武天皇によって宮殿が築かれた(難波宮)。


【鳥居】



【手水舎】



【狛犬】





【拝殿】








地元に根ざした神社です。
天気もあんまり良くなかったこともあるけど、
雰囲気はちょっと暗い感じ。


【本殿】



【孝徳天皇沓脱石】



【御輿庫】





【厳島神社】








摂社。


【狛犬】





【恵比須神社】





【東照宮社】







【境内社】


詳細不明。
恐らく何も祀られていないと思われます。


【十二支】



























【稲荷社】



【狛狐】




これにて参拝終了。
御朱印はありますがご不在でした。


【錦橋】


フェスティバルホールにお迎えに行って帰宅。

姫嶋神社(2022年10月24日参拝)

2022年11月26日 | 神社
続いて御朱印で有名になった姫嶋神社へ。
ここはカラフル御朱印と絵の御朱印を出し始めた頃から知ってましたが、
あんまり絵は上手くないし御朱印を求める人達が多すぎて、
ずっと敬遠してました。

でも最近はコロナで落ち着いたし絵も上手くなったので、
この機会に参拝することにした。

駐車場はありますが参拝者用は1台しかないのでご注意ください。


所在地:大阪府大阪市西淀川区姫島4丁目14-2
御祭神:阿迦留姫命・住吉大神・住吉大神
創建:不明
社格:郷社


【由緒】
姫島は古代難波八十島のひとつであった比売島がこの地に当たると伝えられてきた。
創建年代は不明であるが、境内には正保5年(1648)から幕末まで、
江戸時代の石灯篭が10基あり、江戸時代以前から、
産土神として阿迦留姫命(アカルヒメ)を祀っていたと考えられる。

明治5年、近郷の崇敬厚く西成郡の総氏神として郷社に列せられる。

昭和20年(1945)6月15日の22次世界大戦の空襲で姫島の約4割が被害にあい、
当社も戦火のため社殿、宝物、過去の文献などすべてを焼失。
アカルヒメ同様何も無い状態からの出発となったことから、
「やりなおし神社」ともいわれる。


【鳥居】



【玉榮稲荷神社】





【帆立絵馬】




これは珍しい絵馬ですね。
今まで見た記憶がない。


【神武天皇遙拝所】



【元楯社】


御祭神:元楯大神


【金刀比羅宮】


御祭神:大物主命


【狛犬】



【楠社】






御祭神:奈賀止麿命


【拝殿】



【狛犬】






【献風台】



【地車庫】



【御朱印】


今回はこちらの金泥の御朱印をいただきました。
土日祝は書き置きのみのようです。

これにて姫嶋神社の参拝終了。

地元に根ざしたいたって普通の神社で、
境内の雰囲気もちょっと寂しさを感じました。

普通なら無人の神社であっても不思議ではないが、
巫女さんも常駐してました。

もしカラフル御朱印等が無ければ全く知られることの無い神社。
それが御朱印好きなら誰でも知ってるような神社になりました。

御朱印で成功した神社の一つですね。