今週は所用により遠路はるばる千葉市へ。
【富士山】


晴れてる時に乗る新幹線の楽しみの富士山が綺麗に見えました。
やっぱり最高の山ですね。
東京駅に着いてから総武線に乗って千葉駅に到着。
所用の前に以前から参拝したかった千葉神社にバスで移動。
千葉神社は元々神仏習合時代はお寺だったのが、
明治初期の神仏分離令により神社になったそうです。
見所は華麗かつ豪壮な社殿で前から見たかったので楽しみです。
所在地:千葉県千葉市中央区院内1-16-1
主祭神:天之御中主大神・経津主命・日本武尊
創建:不明
社格:県社
【由緒】
平安時代末期、関東南部を広く統治した平良文は、
戦のたびごとに妙見様に祈願してその御加護をいただき勝利を収めておりました。
この良文公を祖とする千葉氏は一族郎党の守護神として妙見様を各地にお祀りし、
千葉氏の三代目である平忠常の頃、千葉の地にお祀りされていた香取神社境内の香取山の一画に、
千葉氏によって妙見様の御分霊をお祀りする祠が建てられました。
この祠に眼の病気を患った第66代・一条天皇が眼病平癒の願を掛けたところ、
即座に病が完治したことから、一条天皇は薄墨の御綸旨と北斗山金剛授寺という
寺号を贈って感謝のお気持ちを示されました。
忠常公は賜った貴い寺号に見合うようにと伽藍一切を整備し、自らの次男覚算を大僧正に就け、
長保2年(1000)旧暦9月13日北斗山金剛授寺を中興開山しました。
千葉氏とも縁の深い源頼朝は当社に参詣し、自筆の願文・太刀・武具などを奉納。
また日蓮上人が宗門弘通の誓願をたてて当社に参籠した際、有難い奇瑞をいただき、
この妙見尊こそ、わが宗門の守護神であると讃嘆され、
誓願成就の後に自筆の細字法華経を奉納されました。
徳川家康も当社に深く崇敬の誠を捧げ、大久保岩見守に命じて祭祀の料田として、
永代二百石を寄進するとともに、将軍との謁見が許される十万石の大名と同等格式を賜り、
以後代々の徳川将軍家より神領・特権を許されました。
江戸時代には千葉の妙見寺、尊光院などの通称でも呼ばれるようになりました。
幕末を経た明治2年(1869)明治政府が発した神仏分離令により、
当時曖昧であった神社と寺院の区分を明確に区別することとなりました。
僧侶・総代・氏子らの協議の末、妙見大祭の神輿渡御が神社の様式であったことから、
数百年続く祭礼を継承すべく千葉神社と改称して神社となり、今日に至ります。
【鳥居】

【唐獅子】


【尊星殿】




この尊星殿は中央の福徳殿、東の日天楼、西の月天楼、上階の開運殿の
四つに分かれている珍しい社殿です。
これは実に素晴らしい。
設計士を褒めてあげたい。
【狛犬】


【星宮】



【重層社殿】


昭和20年(1945)7月7日の七夕空襲によって千葉の街は戦火に見舞われ、
千葉神社も現存する手水舎を残して灰燼に帰するほどの被害を被り、
平成2年(1990)になってようやく建立された社殿です。


二階にも上がれてお参り出来ます。
【尊星殿】

都会に鎮座する神社です。
【本殿】

【鳥居】

【弁天社】

【妙見池】


【延寿の井】

【亀岩】


【境内社】



【ねがい橋・かない橋】

【御嶽神社】

神明・三峯・日枝様の神像が祀られていました。
【千葉天神】

【御力石】

【尊星殿】


最後に境内から尊星殿を見納め。
これにて千葉神社の参拝終了。
見応え充分な社殿でした。
御朱印は書き置きのみでした。
【築地寿司清 そごう千葉店】


千葉駅前のそごう千葉店で早い昼食。
和なごみの2200円也。
美味かったです。
昼から軽く所用を済ませ帰宅の途へ。
せっかく千葉まで来たんだから泊まりで遊びたかったが、
親の世話があるのでままならず。
仕方が無い。
【富士山】


初めて往復で富士山が見られて最高。
【鰻蒲焼重】


新幹線のお供。
まぁまぁでした。(^^;
【満月】


帰宅途中で見た満月。
綺麗でしたわ。
【富士山】


晴れてる時に乗る新幹線の楽しみの富士山が綺麗に見えました。
やっぱり最高の山ですね。
東京駅に着いてから総武線に乗って千葉駅に到着。
所用の前に以前から参拝したかった千葉神社にバスで移動。
千葉神社は元々神仏習合時代はお寺だったのが、
明治初期の神仏分離令により神社になったそうです。
見所は華麗かつ豪壮な社殿で前から見たかったので楽しみです。
所在地:千葉県千葉市中央区院内1-16-1
主祭神:天之御中主大神・経津主命・日本武尊
創建:不明
社格:県社
【由緒】
平安時代末期、関東南部を広く統治した平良文は、
戦のたびごとに妙見様に祈願してその御加護をいただき勝利を収めておりました。
この良文公を祖とする千葉氏は一族郎党の守護神として妙見様を各地にお祀りし、
千葉氏の三代目である平忠常の頃、千葉の地にお祀りされていた香取神社境内の香取山の一画に、
千葉氏によって妙見様の御分霊をお祀りする祠が建てられました。
この祠に眼の病気を患った第66代・一条天皇が眼病平癒の願を掛けたところ、
即座に病が完治したことから、一条天皇は薄墨の御綸旨と北斗山金剛授寺という
寺号を贈って感謝のお気持ちを示されました。
忠常公は賜った貴い寺号に見合うようにと伽藍一切を整備し、自らの次男覚算を大僧正に就け、
長保2年(1000)旧暦9月13日北斗山金剛授寺を中興開山しました。
千葉氏とも縁の深い源頼朝は当社に参詣し、自筆の願文・太刀・武具などを奉納。
また日蓮上人が宗門弘通の誓願をたてて当社に参籠した際、有難い奇瑞をいただき、
この妙見尊こそ、わが宗門の守護神であると讃嘆され、
誓願成就の後に自筆の細字法華経を奉納されました。
徳川家康も当社に深く崇敬の誠を捧げ、大久保岩見守に命じて祭祀の料田として、
永代二百石を寄進するとともに、将軍との謁見が許される十万石の大名と同等格式を賜り、
以後代々の徳川将軍家より神領・特権を許されました。
江戸時代には千葉の妙見寺、尊光院などの通称でも呼ばれるようになりました。
幕末を経た明治2年(1869)明治政府が発した神仏分離令により、
当時曖昧であった神社と寺院の区分を明確に区別することとなりました。
僧侶・総代・氏子らの協議の末、妙見大祭の神輿渡御が神社の様式であったことから、
数百年続く祭礼を継承すべく千葉神社と改称して神社となり、今日に至ります。
【鳥居】

【唐獅子】


【尊星殿】




この尊星殿は中央の福徳殿、東の日天楼、西の月天楼、上階の開運殿の
四つに分かれている珍しい社殿です。
これは実に素晴らしい。
設計士を褒めてあげたい。
【狛犬】


【星宮】



【重層社殿】


昭和20年(1945)7月7日の七夕空襲によって千葉の街は戦火に見舞われ、
千葉神社も現存する手水舎を残して灰燼に帰するほどの被害を被り、
平成2年(1990)になってようやく建立された社殿です。


二階にも上がれてお参り出来ます。
【尊星殿】

都会に鎮座する神社です。
【本殿】

【鳥居】

【弁天社】

【妙見池】


【延寿の井】

【亀岩】


【境内社】



【ねがい橋・かない橋】

【御嶽神社】

神明・三峯・日枝様の神像が祀られていました。
【千葉天神】

【御力石】

【尊星殿】


最後に境内から尊星殿を見納め。
これにて千葉神社の参拝終了。
見応え充分な社殿でした。
御朱印は書き置きのみでした。
【築地寿司清 そごう千葉店】


千葉駅前のそごう千葉店で早い昼食。
和なごみの2200円也。
美味かったです。
昼から軽く所用を済ませ帰宅の途へ。
せっかく千葉まで来たんだから泊まりで遊びたかったが、
親の世話があるのでままならず。
仕方が無い。
【富士山】


初めて往復で富士山が見られて最高。
【鰻蒲焼重】


新幹線のお供。
まぁまぁでした。(^^;
【満月】


帰宅途中で見た満月。
綺麗でしたわ。