Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

千葉神社(2022年9月11日参拝)

2022年11月14日 | 神社
今週は所用により遠路はるばる千葉市へ。


【富士山】




晴れてる時に乗る新幹線の楽しみの富士山が綺麗に見えました。
やっぱり最高の山ですね。

東京駅に着いてから総武線に乗って千葉駅に到着。
所用の前に以前から参拝したかった千葉神社にバスで移動。

千葉神社は元々神仏習合時代はお寺だったのが、
明治初期の神仏分離令により神社になったそうです。

見所は華麗かつ豪壮な社殿で前から見たかったので楽しみです。


所在地:千葉県千葉市中央区院内1-16-1
主祭神:天之御中主大神・経津主命・日本武尊
創建:不明
社格:県社


【由緒】
平安時代末期、関東南部を広く統治した平良文は、
戦のたびごとに妙見様に祈願してその御加護をいただき勝利を収めておりました。
この良文公を祖とする千葉氏は一族郎党の守護神として妙見様を各地にお祀りし、
千葉氏の三代目である平忠常の頃、千葉の地にお祀りされていた香取神社境内の香取山の一画に、
千葉氏によって妙見様の御分霊をお祀りする祠が建てられました。

この祠に眼の病気を患った第66代・一条天皇が眼病平癒の願を掛けたところ、
即座に病が完治したことから、一条天皇は薄墨の御綸旨と北斗山金剛授寺という
寺号を贈って感謝のお気持ちを示されました。
忠常公は賜った貴い寺号に見合うようにと伽藍一切を整備し、自らの次男覚算を大僧正に就け、
長保2年(1000)旧暦9月13日北斗山金剛授寺を中興開山しました。

千葉氏とも縁の深い源頼朝は当社に参詣し、自筆の願文・太刀・武具などを奉納。
また日蓮上人が宗門弘通の誓願をたてて当社に参籠した際、有難い奇瑞をいただき、
この妙見尊こそ、わが宗門の守護神であると讃嘆され、
誓願成就の後に自筆の細字法華経を奉納されました。

徳川家康も当社に深く崇敬の誠を捧げ、大久保岩見守に命じて祭祀の料田として、
永代二百石を寄進するとともに、将軍との謁見が許される十万石の大名と同等格式を賜り、
以後代々の徳川将軍家より神領・特権を許されました。
江戸時代には千葉の妙見寺、尊光院などの通称でも呼ばれるようになりました。

幕末を経た明治2年(1869)明治政府が発した神仏分離令により、
当時曖昧であった神社と寺院の区分を明確に区別することとなりました。
僧侶・総代・氏子らの協議の末、妙見大祭の神輿渡御が神社の様式であったことから、
数百年続く祭礼を継承すべく千葉神社と改称して神社となり、今日に至ります。


【鳥居】



【唐獅子】





【尊星殿】








この尊星殿は中央の福徳殿、東の日天楼、西の月天楼、上階の開運殿の
四つに分かれている珍しい社殿です。

これは実に素晴らしい。
設計士を褒めてあげたい。


【狛犬】





【星宮】







【重層社殿】




昭和20年(1945)7月7日の七夕空襲によって千葉の街は戦火に見舞われ、
千葉神社も現存する手水舎を残して灰燼に帰するほどの被害を被り、
平成2年(1990)になってようやく建立された社殿です。






二階にも上がれてお参り出来ます。


【尊星殿】


都会に鎮座する神社です。


【本殿】



【鳥居】



【弁天社】



【妙見池】





【延寿の井】



【亀岩】





【境内社】







【ねがい橋・かない橋】



【御嶽神社】


神明・三峯・日枝様の神像が祀られていました。


【千葉天神】



【御力石】



【尊星殿】




最後に境内から尊星殿を見納め。

これにて千葉神社の参拝終了。
見応え充分な社殿でした。

御朱印は書き置きのみでした。


【築地寿司清 そごう千葉店】




千葉駅前のそごう千葉店で早い昼食。
和なごみの2200円也。

美味かったです。

昼から軽く所用を済ませ帰宅の途へ。
せっかく千葉まで来たんだから泊まりで遊びたかったが、
親の世話があるのでままならず。

仕方が無い。


【富士山】




初めて往復で富士山が見られて最高。


【鰻蒲焼重】




新幹線のお供。
まぁまぁでした。(^^;


【満月】




帰宅途中で見た満月。
綺麗でしたわ。

尾山神社(2022年9月3日参拝)

2022年11月12日 | 神社
ハニベ巌窟院の次は小松空港で軽く所用を済ませ、
金沢市の中心街の近江町市場へ向けて移動。

その前に腹が減ったので寿司を食いに。
個人的に北陸三県の寿司は日本で一番美味いと思っているのでMUSTです。


【もりもり寿し 野々市本店】






石川県に来て寿司食わないなんてあり得ないので、
今回はこちらのお店で遅めの昼食。

感動するほどでは無かったけど美味かったです。
食い過ぎた。(笑)

寿司を食ってから金沢中心街へ。

ここに来たら訪れるべき所は尾山神社と近江町市場です。

まずは約5年振りの参拝となる尾山神社へ。


<2017年8月17日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/65a19fb23f2c87c6e24077d9fbdb657f


所在地:石川県金沢市尾山町11-1
主祭神:前田利家公、前田松子命
創建:明治6年(1873)
社格:別格官幣社、別表神社


【鳥居】


こちらはいわゆる裏鳥居で、
こちら側に無料駐車場があります。

兼六園の真横にあるにも関わらず無料なのが推せます。


【正鳥居】


神社は基本的に正鳥居から参拝を開始しますが、
この尾山神社はMUSTでございます。


【神門】




これこれ、これが見たかったのよ。

洋風の建物が神社にあるのは普通はアンマッチなんだけど、
全く違和感を感じない説得力というか魅力がある神門なんですよね。

さすが重要文化財です。








素晴らしい。


【拝殿】



【狛犬】





【兜】



【前田利家公像】






かっちょえー。


【お松の方像】





【神苑】



【本殿】





【さし石】


触ると健康になると言われている石です。
触り忘れました。(笑)


【金谷神社】





【御朱印】


尾山神社の参拝を終え土産を買いに近江町市場へ。

近江町いちば館駐車場に車を停めて市場に行くと、
さすが有名な観光地だけあって結構な観光客がいました。
ここにいるとコロナは収束したかのよう。

甘エビや中トロのやカレイ等を購入して帰宅の途へ。


【加賀片山津温泉 総湯】


石川県には幾つか有名な温泉街があります。

帰り道なんで寄ってみることにした。

駐車場は無料で温泉料金はイマドキ珍しい460円です。
バスタオルは有料ですけど有りますので手ぶらでもOKです。

お風呂は男女それぞれ内湯が一つずつありますが、
残念ながら露天風呂はありませんでした。

イマドキ露天風呂ぐらい造っておきましょうよ。
普段経験出来ないのが露天風呂なんだから。

肝心のお湯は42℃以上の熱めで長湯は出来ませんでした。
個人的にはぬる湯が好きなんで。


【柴山潟】




ちょっとだけ湯冷ましで散策して本日の行程全て終了。
やっぱり旅は良いなぁ。




温泉街を走っていると幾つか大きなホテルが廃業していた。
片山津温泉界隈はあんまり遊ぶ所や観光地が無いですから、
やっぱりコロナ渦に耐えられなかったようです。

兒神社・壹美白辨財天社(2022年8月16日参拝)

2022年10月20日 | 神社
大覚寺界隈の参拝を終え歩いて広沢池へ。


【風景】






広沢池と兒神社近くの原風景。
これぞTHE日本ともいうべき風景でとても癒やされます。

天気が良かったらもっと最高です。


所在地:京都府京都市右京区嵯峨釣殿町28
御祭神:寛朝大僧正の侍兒(*小閒使の女・侍女)
創建:不明


【由緒】
兒神社 は創立年月不詳、祭神は寛朝大僧正の侍兒 である。

寛朝大僧正は成田山新勝寺を開創、後にこの嵯峨広沢の地に遍照寺を建立、
名僧正として徳は一世に及ぶものなしと言われた。
長徳 4年(998)6月12日に大僧正示寂 、伝聞ではその時、遍照寺山 腹の老松からとなり、
静かに昇天してゆくのが見えたという。

残された兒は悲嘆・悲泣し後を追い、山腹下に広がる広沢 の池に身を沈めた。
近在の人々がこの兒を哀れと思い、その霊を慰めんものとこの社を創建、
以来兒神社と称されるようになった。

この社について、弘化 四年末春、嵯峨青護山人の述べるところ、
略記すれば次のごとくである。
女人懐妊すれば必ずこの神殿に詣で安産を願ひ且つ
生まるる子の智恵 愛 敬を祈るなり。
最も霊験いちじるく昔よりこのところに五体健全 、長命の人多きはまったく
此神徳による処なり仰ぐべし尊ぶべし。

なお、寛朝 大僧正がこの広沢の池畔で座禅の折、
傍らでいつも兒が腰を掛けていたという石椅子が、境内地に移し置かれ
いつしか神前で一心に祈願し、この石に座れば、
必ず長命・安産・縁結びが叶うと伝えられるようになった。


【鳥居】



【拝殿】



【灯篭】


これが広沢池に流して供養する灯篭です。
いっぱいあったけど何とか自分が申し込んだものが見つかった良かった。(^^

申し込みは神社ではなく近くの遍照寺に申し込みます。

http://www.eonet.ne.jp/~henjouji/tourou.htm

一基1000円と高くありませんので来年の先祖供養をしてあげてください。


【兒の石椅子】




小さい神社なので軽く参拝後、
広沢池を散策。


【風景】



【広沢池】



【案内板】




今でこそ遍照寺も狭い境内ですが、
昔はとても広大な境内だったようです。


【広沢池】








ふぅ、最高です。
ここの風景が本当に好きなんですよね。

都会のコンクリートジャングルに疲れた時は、
ここに来るのに限ります。

普段のストレスが癒やされますよ。


【壹美白辨財天社】


観音島の先に鎮座している辨財天さん。
小さな社ですが広沢池の風景にとてもマッチしております。

参拝してから広沢池の対面へ歩いて行きます。
対面の方が撮影スポットなので。


【広沢池】




どっから見ても癒やされますわ。


【青サギ】





大覚寺門跡 五社明神・天神社(2022年8月16日参拝)

2022年10月18日 | 神社
所在地:京都府京都市右京区嵯峨大沢町(大覚寺境内)
御祭神:伊勢神宮外宮/豊受皇大神
    伊勢神宮内宮/天照皇大神
    八幡宮/應神天皇
    春日宮/天津兒屋根命
    住吉宮/底筒男命・表筒男命・中筒男命・神功皇后
創建:不明
勧請:弘法大師


【鳥居】



【舞殿】


こちらの神社では数々の時代劇の舞台になりました。
気になる方は各自調べてください。(笑)


【松尾大明神社】



【本殿】





【稲荷大明神社】



【愛宕大権現社・清瀧大権現社】



【気比大明神社・多賀大明神社】



【大沢池】





【天神社】







【嵯峨天皇一首】







【石碑】


いけばな発祥の地らしい。


【大沢池】



【心経宝塔】


これにて大覚寺の参拝終了。

広沢池から五山の送り火を見る為に場所取りに行くとしよう。

氷室神社(2022年8月15日参拝)

2022年10月11日 | 神社
東大寺参拝後、たまたま氷室神社の前を通る。
ちょうど今日は献氷されたので久しぶりに参拝することにした。

車は境内に有料駐車場があり、桜の時期以外は1回千円です。


所在地:奈良県奈良市春日野町1-4
御祭神:闘鶏稲置大山主命・大鷦鷯命・額田大仲彦命
創建 和銅3年(710)
社格:式内小社、村社


【由緒】
元明天皇の御世、和銅3年7月22日、勅命により平城新都の左京、
春日の御蓋の御料山(春日山)に鎮祀され、盛んに貯水を起こし冷の応用を教えられた。
これが平城七朝の氷室で世に平城氷室とも御蓋氷室とも春日の氷室とも言われた。

翌和銅4年6月1日初めて献氷の勅祭を興され、
毎年4月1日より9月30日まで平城京に氷を献上せられた。
奈良朝七代七十余年間は継続せられたが、平安遷都後はこの制度も廃止せられ、
遂に150年を経て清和天皇の御世、貞観2年2月1日現在の地に奉遷せられ、
左右二神を増して三座とせられた。

以来、現在の春日大社の別宮に属し式年に営繕費、年中の祭礼等は、
興福寺、春日社の朱印高二万石の内と社頭所禄三方楽所料二千石の一部によって行われたが、
明治維新後はこの制度も廃せられ氏子と冷凍氷業界の奉賛によって、
維持せられて今日に及んでいる。

また、本殿東側には末社として南都舞楽の楽祖なる狛光高公を祀った舞光社がある。


【鳥居】



【参道】



【献氷】








ちょっと遅かったようで何とか火は残っていましたけど、
綺麗でした。


【日程】



【四脚門】



【舞殿・拝殿】



【境内】


社務所でかき氷を受けとり拝殿前で300円以上奉納し、
お願い事をします。
それをお下がりとしてシロップをかけて食べるのも良い想い出になりますよ。

御朱印対応も夜でも対応されていたと思います。
ちょっと高いけどね。

これにて本日の参拝終了。
良い先祖供養が出来たと思います。

明日も京都で先祖供養は続きます。(^^

金光教 玉水教会(2022年8月13日参拝)

2022年09月29日 | 神社
今日はUruのコンサートがあるので、
フェスティバルホール近くに来ております。

せっかくここまで来たからには近くの寺社を巡りますが、
この界隈は大都会で神社仏閣は余りなく、
かつ参拝したところが多い。

なのでどこを参拝しようかとグーグルマップで確認すると、
金光教 玉水教会と日本基督教団 大阪教会がヒット。

大阪市の肥後橋駅界隈はいかに通常の神社仏閣が無いのが、
お分かりいただけると思う。

とはいえ岡山県にある金光教の本部を参拝したことがあるので、
敷居は高く感じませんので参拝することにした。

場所は肥後橋駅9番出口から100メートルぐらいの近場で、
今日は電車なんで助かります。

車は教会の対面にある金光教放送センターの駐車場に停められそうです。

事前にご確認お願いします。


所在地:大阪府大阪市西区江戸堀1-16-9
宗派:金光教
御祭神:天地金乃神・生神金光大神
創建:明治39年(1906)


【縁起】
明治35年(1902)湯川安太郎が友達3人と土佐堀裏町に家を借り、
道広教会の在籍教師を迎え布教所を開設。

明治39年(1906)正式に金光教玉水教会となる。1
935年 (昭和10年) 、現教会堂竣工。1945年、湯川茂が2代教会長に就任。1950年、玉水記念館竣工。1988年、湯川泰雄が3代教会長に就任。2000年 (平成12年)、湯川正夫が4代教会長に就任。2002年、玉水記念館落成。


【会堂】


全景。




入口。

ちょっと入り難い感じはしますが普通に堂内に入れます。

取次者も居て撮影不可っぽかったので撮影していません。
金光教の教会らしい雰囲気でした。


【参拝の仕方・取次の頂き方】


参拝時の柏手は四拍手4回です。

金光教独特の取次というものがあります。

取次者(教師)から結界で取次を頂くもので、
信者じゃないとちょっと敷居が高く感じますね。
取次者もちょっと怖そうだし。(^^;

これにて玉水教会の参拝終了。
金光教ってよく分からないと思っている人も普通に参拝出来るので、
気になっている方は行ってみるといいです。

菓祖神社<青木松風庵 月化粧ファクトリー>(2022年8月11日参拝)

2022年09月27日 | 神社


唐突ですがみるく饅頭月化粧をご存じでしょうか。
関西では太平サブロー氏がCM出演しているお菓子です。

今日は家族でみるく饅頭月化粧を製造している工場見学にやってきました。

https://tsukigesho.com/factory/

青木松風庵月化粧ファクトリーは大阪府阪南市にあり、
高速をぶっ飛ばして到着すると駐車場は満車状態でかなり人気のようで。

休日の時はお早めに来られた方が良いと思います。


所在地:大阪府阪南市黒田453-15
工場見学時間:10:00~17:00(最終入館16:30)
駐車場:無料/普通車50台、大型バス専用4台


【月化粧ファクトリー】


車を停めて中に入ると広くて綺麗な売り場があり、
いろいろな商品が売っています。

またテーブルと椅子がありそこで無料のコーヒーと、
コラボしている伊右衛門のお茶が飲み放題。

入場料は無料なのに飲み物も無料とは嬉しいサービスです。

工場見学の申し込みをして見学開始。


【映像室】


まずは工場を見学する前に映像室で月化粧の誕生物語等を見ます。
その後、工場見学です。


【工場見学】












見学は廊下からガラス越しに見るスタイル。
係員の説明も無いから興味無かったら1分で終わります。(笑)


【みるく饅頭月化粧】


廊下を進むと出来たてのものを一つ無料で貰えます。
ここでも無料のコーヒーとお茶が飲めますので、
温々のみるく饅頭を実食。

出来たては通常のものより美味い。
これを食うだけでも来る価値はありますね。

休憩所の横に神社が鎮座しています。
まぁ、そこに神社があるなら参拝しますよねぇ。


【菓祖神社】










菓祖神社といえば京都の吉田神社の末社がありますが、
和歌山県の橘本神社から勧請されたもの。

こんな場所にあるからあんまり厳かな雰囲気は無いけど、
毎月15日に橘本神社の宮司が来られて月次祭が行われているれっきとした神社です。


【展示品】





【賞状】





【掛け軸】




第12代清朝皇帝で満洲国皇帝であった愛新覚羅溥儀の弟、
愛新覚羅溥傑の書。

ヤフオクで同じ模写のモノが売られていたので、
これも恐らく模写と思われます。

これにて工場見学終了。
無料ですのでお勧めです。

大阪天満宮 祖霊社・髙坐招魂社(2022年7月26日参拝)

2022年09月23日 | 神社
堀川戎神社から大阪天満宮へ移動。

めちゃくちゃ暑いので途中コンビニでアイスコーヒーでも
飲まないとヤバいです。
夏と冬の神社仏閣巡りは大変ですよねぇ。

大阪天満宮の本社参拝の前に、
裏手に鎮座する祖霊社と髙坐招魂社を参拝。



所在地:大阪府大阪市北区天神橋2-5
御祭神:神職、氏子崇敬者他の御霊
創建:不明
社格:大阪天満宮境外社


【鳥居】



【星合池】


円形の木製で出来た願い玉というモノを五色の浮いた的に投げる
占いというか遊びですね。

もちろん有料です。
まぁ、これも商売だけでやった人が楽しかったら良いんじゃないでしょうか。


【星合橋】



【祖霊社】



【髙坐招魂社】


上方落語協会が境内社として建立、先人物故者の奉斎社殿として、
上方落語の継承と発展に努められた先輩諸氏を顕彰するもの。


【宇賀社】



【川崎東照宮 神輿蔵】





【うどん 双樹・星合茶屋】


残念ながら今日は閉まっていました。


【句碑】


後藤比奈夫の秋思祭という句。

「秋思祭 すみしやすらぎ 月にあり」

堀川戎神社(2022年7月26日参拝)

2022年09月22日 | 神社
今日は仕事で大阪の天満界隈に来たので、
仕事の合間に堀川戎神社を参拝します。


<2021年8月11日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/3923c4306ae8446699d8f3103c09a04f


所在地:大阪府大阪市北区西天満5丁目4-17
御祭神:蛭児大神(蛭子大神)、少彦名命、天太玉命
創建:欽明天皇御代
社格:村社


【鳥居】



【狛犬】





【境内】



【本殿】



【福興戎】



【境内社】



【地車稲荷神社】










小さな神社なのでこれにて堀川戎神社の参拝終了。

商売繁盛になりますように。

安居神社(2022年7月17日参拝)

2022年09月19日 | 神社


一心寺参拝の後は真田信繁(幸村)戦死の地に鎮座する安居神社へ。

安居神社側から通天閣が見えます。


所在地:大阪府大阪市天王寺区逢阪1丁目3-24
御祭神:少彦名神・菅原道真・素盞鳴命
創建:不明
社格:村社


【由緒】
安居神社は少彦名神、菅原道真を祀る古社です。

昌泰4年(901)菅原道真が太宰府に左遷された際、
河内の道明寺にいた伯母の覚寿尼を訪ねて行く途中、
ここへ立ち寄って安井(休憩)しました。

当時、道真に同情した村人がおこしを差し上げると、
お礼にと菅原家の紋所梅鉢をもらいました。
これが今でも大阪名物の粟おこしの商標の梅鉢となったといわれています。

安居神社は道真の死後の天慶5年(942)、道真の霊を祀るために村人たちが建てたものです。
また、当地は四天王寺の僧侶がここで夏安居
(げあんご:雨季の間に外出を控え寺院で修行に専念すること)することもあり、
安井が安居になったといいます。

境内には道真も口にしたといわれる天王寺七名水の一つ癇鎮めの井の他、
大坂夏の陣で徳川方に討たれて戦死した真田幸村の記念碑が建てられています。


【社号石標】


大河ドラマの真田丸が放送されていた2016年以来の参拝です。


【参道】


何とも風情も愛想も無い参道です。(^^;


【拝殿】


相変わらず神社の雰囲気は地味です。
あんまり参拝したいとは思えない雰囲気。
これも古戦場であったが故なんかな。


【狛犬】





【真田幸村戦死跡之碑・幸村像】







【玉姫稲荷神社】




摂社。


【金山彦神社】


摂社。

これにて本日の参拝終了。

さて、親と叔母をピックアップしに新歌舞伎座へ向かいますか。
いろいろ孝行が出来たかな。

世田谷八幡宮(2022年5月15日参拝)

2022年08月27日 | 神社
豪徳寺参拝後、近くに鎮座する世田谷八幡宮へ。



社務所の前に無料駐車場があります。


所在地:東京都世田谷区宮坂1-26-3
御祭神:八幡大神(応神天皇)、仲哀天皇、神功皇后
創建:寛治5年(1091)
社格:郷社


【由緒】
寛治5年(1091)源義家は後三年の役に勝利した帰途、
宮の坂の地で豪雨に遭い天候回復を待つため滞在。
その際、戦勝したのは氏神である八幡大神の加護によるものとして、
豊前国宇佐八幡宮の分霊を勧請し祀ったのが始まりとされる。

その後、世田谷城主七代目の吉良頼康が1546(天文15)年に社殿を修復、
備前雲次の太刀一振を納めたと伝えられる。

しかし実際は当社に収蔵されている棟札から頼康が創建したと推測されており、
江戸名所図会にも頼康が鎌倉の鶴岡八幡宮を模して造営し、
境内に桜を植樹したと記されている。

時は移り徳川家康が江戸に入城した後、朱印状11石を寄進した。
その後幾度か再建され明治5年(1872)には郷社に列し、
社号を宇佐神社と改称した。

明治41-42(1908-1909)には付近の神社を合祀している。

第二次大戦後、世田谷八幡宮の社号に戻し、昭和39年(1961)には壮麗な社殿に改築した。
なお、文化10年(1813)造営された旧本殿が現社殿内に納められている。


【大鳥居】


社務所から道路を挟んで見事な鳥居があります。
いざ参拝開始。


【厳島神社】






大鳥居をくぐって右側に鎮座。






パンパンとお参り。


【滝】



【鯉】



【石鳥居】



【手水舎】



【本殿】





【参道】





【世田谷招魂神社】





【高良神社】


御祭神:高良玉垂


【仮殿】





【力石】





【土俵】




これにて世田谷八幡宮の参拝終了。

天気が曇りだった影響もあると思いますが、
全体的にちょっと暗めな境内の雰囲気でした。

もちろん悪い意味ではありませんけどね。

御朱印はあります。

蟻通神社(2022年5月3日参拝)

2022年08月21日 | 神社
本日最後の参拝となるのが蟻通神社という変わった名前の神社です。

昔、食い扶持を減らす為に姥捨山に老人を捨てるという習慣があり、
ある中将は老いた両親を捨てきれず隠して孝を尽くしていたが、
ある時に唐帝が日本を攻めんとして、種々の難題を課し、
その中に「七曲の穴のある玉に紐を通せ」という課題があった。

中将は両親の知恵によって蟻に細糸を結び、玉の出口に蜜を塗って、
通すことができたので攻められずにすんだ。

棄老習俗は廃され、この老人を神として祀ったと枕草子にある、
というのが蟻通という名前の由来です。


所在地:大阪府泉佐野市長滝814
御祭神:大国主命
創建:弥生時代中期
社格:郷社
勧請:開化天皇


【由緒】
神社の創祀は旧記不詳ですが、社伝によりますと第9代開化天皇の御宇勧請とされています。

鎮座地の長滝を含むこの地域は古くから人々が住み、
開拓された所で早くから農耕も始まったとされています。
そういった風土、歴史の中で、地域を守る神社として、
国土開発・五穀豊穣の神様をお迎えしたのではないかと考えられます。
その頃は今のようなご社殿はなく鬱蒼とした杜の中の簡素な佇まいの神社と思われます。

万治2年(1659)岸和田藩主岡部宣勝公の命により、神宮寺宗福院も建立され、
神職と社僧が祭祀する南泉州地域有数の神社としての陣容が整いました。

歴代藩主の保護厚く時にご社参され祈願を為し、数々の神宝・祭具・土地をご寄進されました。

明治維新の国家神道の神仏分離令によって宮寺宗福院は廃寺となり取り壊されました。
明治40年からの神社合祀により村内にあった神社が合祀され祀られています。

大正6年に村社から郷社となりました。
昭和16年(1941)第2次世界大戦勃発。翌年、長滝村にまたがる一帯は、
陸軍明野飛行学校佐野飛行場が建設され、田畑、一部集落も強制移転を余儀なくされました。

この時蟻通神社も移転の運命にあり現在地に移ることになりました。

昭和43年(1968)明治100年記念として、鳥居、弁財天社、仏足石、八百万の神等を整備し、
また併せて紀貫之冠之渕を境内に整えました。


【南鳥居】




10台以上停めれる無料駐車場は参道左手にあります。


【狛犬】





【石灯籠】





【参道】



【紀貫之ゆかりの冠の渕】






紀貫之が蟻通神社の社前を通りかかったところ、突然馬が病に倒れ、
その時に貫之が過って冠を路傍の渕の中へ落としました。

冠を落とした池なので冠之渕と呼んだことが由来とのこと。


【子安地蔵】





【足神神社】







【仏足石】





【南手水舎】


元禄7年(1694)に造られたもの。


【弁財天社】





【表門】


嘉永4年(1852)建立されたもの。


【狛犬】





【境内】



【舞殿】






江戸時代(1815-1868)に建立されたもの。


【拝殿】






江戸時代(1630-1661)に建立されたもの。


【社務所】



【絵馬堂】


万延元年(1861)に建立されたもの。


【本殿】




寛文9年(1669)に建立されたもの。


【御神馬】





【六社明神】







【牛神祠】





【石の祠】







【北鳥居】


これにて参拝終了。

蟻通神社の御朱印はあります。

日根神社(2022年5月3日参拝)

2022年08月20日 | 神社
慈眼院の参拝と国宝の多宝塔を見終えてから、
隣に鎮座する日根神社を約10年振りに参拝です。


<2012年5月4日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/09114993a1444c544f31a7d3de3cbdd4



所在地:大阪府泉佐野市日根野631-1
御祭神:鸕鷀草葺不合尊・玉依姫尊
創建:不明
社格:式内社、和泉国五宮、府社


【由緒】
創建の時期は明らかではないが、社伝によると神倭伊波礼毘古命による東征の際、
命が河内から大和に入る時に長髄彦と戦い敗れた。

その際に野原が広がる当地まで退却した命はここで、
「日」(天)の神である天照大御神と「根」(黄泉)の神である須佐之男命を祀った所、
戦に勝って大和を平定した。

それによりこの地を日根野と名付け、社名は日根神社とされたとする。

霊亀2年(716)に制定された和泉五社のうちに数えられており、
延喜式内社日根郡十座のうちに列せられていることから、
1200年以上前であると考えられる。

天武天皇2年(673)には境内に隣接して神宮寺の無辺光院(慈眼院)が建立されている。

聖武天皇の御代、天平14年(742)の大旱魃の際には500石を朝廷から賜っている。

天正年間(1573-1593)に兵火によって焼失し、
天正13年(1585)には羽柴秀吉により社領が没収されたが、
慶長7年(1602)には豊臣秀頼によって社殿が再建されている。

明治時代になると神仏分離により隣接している無辺光院と分離し、
明治6年(1873)には郷社定則により郷社に指定され、
大正13年(1924)に府社に昇格した。


【三之鳥居】



【鳥居】



【比賣神社】






重要文化財。


【丹生神社】











【恵毘須宮】





【岡前神社】





【赤之宮】





【参道】



【四之鳥居】



【神門】



【拝殿】




パンパンとお参り。


【狛犬】





【新道宮】


御祭神:菅原道真公


【本殿】


これにて日根神社の参拝終了。

雰囲気や社殿も10年前と全く変わらず嬉しかったね。
もっとも神社の歴史に比べれば10年なんて大した年月じゃないんだろうけど。

感田神社(2022年5月3日参拝)

2022年08月17日 | 神社
岸和田城界隈から少し離れて感田神社という神社に到着。
有名ではなく地元に根ざした神社です。

車は境内に無料で4台程停められますね。


所在地:大阪府貝塚市中町10-1
御祭神:天照皇大神、素盞嗚尊、菅原道真
創建:不明
社格:郷社


【由緒】
創建年代は明らかではありませんが、
海塚村の牛頭天王社と堀村(同堀)の天神社から祭神を勧請し、
陶器のほこらを造ったのが始まりだといわれています。

慶安元年(1648)に本社などが再建され、
境内にあった神宮寺である宗福寺の住職が神事にあたるようになりました。

当初は感田瓦明神と称しましたが明和5年(1768)に大明神の号を授けられ、
感田瓦大明神と公称するようになりました。

文化10年(1813)落雷により本殿などが焼失しましたが、翌年には再建。
明治元年(1868)神仏分離政策により宗福寺は廃寺となり、新たに神職がおかれました。

同5年(1872)には郷社となり、同40年(1907)に貝塚町北にあった海幸神社を合祀しました。
昭和20年(1945)7月の貝塚空襲では本殿、神饌所、神楽殿、潜戸神社が全焼、
神馬舎が一部被災しました。

神馬舎の神馬は神馬舎と同時期の宝暦8年(1758)に岸上武左衛門により製作され、
文化7年(1810)に彩色がほどこされたことが、残されている奉献木札から判明しています。

一之社(琴平神社)本殿と神門は安永年間の建立で、いずれも精巧な装飾が施されています。
特に神門は大阪府下でも数少ない楼門形式で、大阪府近世社寺建築調査の際に実測調査が行われ、
大工種子島勘左衛門らが建立に関わっていることが判明しています。

三之社・四之社・五之社の各本殿は小規模ながら幕末期の建立、参集殿は明治期の建築ですが、
座敷には二間の床の間が設けられるとともに四周に長押を回して格式を整える等、
江戸時代の形式をよく伝えています。


【鳥居】



【神門】






立派な楼門です。

安永9年(1780)建立されたもの。


【御神木】



【六之社】







【三之社・四之社・五之社】





【手水舎】





【神楽殿】


昭和29年(1954)建立されたもの。


【一之社】






安永2年(1773)建立されたもの。


【拝殿】





【境内】



【七之社】







【狛犬】





【二之社】







【神馬舎】



【南門】


明治22年(1889)建立された立派な門です。

車はこの門をくぐって境内に停めますが、
ちょっと狭いので運転注意です。

これにて感田神社の参拝終了。
御朱印ありです。

岸城神社(2022年5月3日参拝)

2022年08月15日 | 神社
所在地:大阪府岸和田市岸城町11-30
御祭神:天照大神・素戔嗚尊・品陀和氣命
創建:南北朝時代
社格:郷社


【由緒】
岸城神社の境内地は当時の岸和田城主、小出秀政によって
隣邑に鎮座していた牛頭天王と、岸和田城築造以前に当地で祀られていた
天照大神と八幡神が併せられ成立しました。

その後、天照大神は天照太神小社として別の境内に祀られ、
牛頭天王と八幡神とは同境内に祀られて御宮と呼ばれておりました。
また同境内には宮寺・日光寺が置かれていました。

しかし慶応四年に出された神仏判然令に伴い、宮寺・日光寺は廃寺となり、
牛頭天王社と八幡社を合祀し、岸城神社と改称されました。
この頃、それまで神明門にあった神明社は岸城神社境内へと移され、現在に至ります。


【鳥居】


車は境内の広場に無料で停めれます。


【狛犬】





【鳥居】



【拝殿】






大阪でも屈指の立派で美しい拝殿です。


【狛犬】




備前焼の狛犬。

コロナ渦になってから備前に行ってないなぁ。
いいところなんだからまた行きたい。


【拝殿・本殿】



【神楽殿】



【岸和田戎殿】




御祭神:蛭子神・事代主神


【七間社】



【稲荷社】







【神宮遥拝所】



【御神馬】


これにて岸城神社の参拝終了。

御朱印はありますがいただいておりません。
狂ったように御朱印御朱印を漁るようなことをしなくなりましたね。

ただ、お遍路と西国の御朱印は満願まで頑張ります。


【五風荘】






岸城神社の近くに一般人が入り難い雰囲気の門がある。

調べてみるとがんこフーズが経営する食事処で、
そこそこリーズナブルに食事が出来ます。

お庭は食事しなくても無料開放しているけど、
やっぱりちょっと気軽に入れないな。


【岸和田城】










これで見納め。