自遊空間、 ぶらぶら歩き。

日々見たこと、聞いたこと、読んだこと、考えたこと

中国・大連への旅・・・6

2011-04-25 | 旅・おでかけ

4月16日から3泊4日で、中国は大連を旅してきました。

旅順では、旧旅順ヤマトホテルから旅順博物館にまわりました。

 

旅順博物館の開館は1917年。中国国内外から収集した青銅器、磁器、仏像、書画など6万点以上の収蔵品があります。

中でも、京都西本願寺の住職だった大谷光瑞が中央アジア探検で収集した仏教彫刻、仏像、陶器、経典など、シルクロードの文物が充実していて、「大谷コレクション」として有名だそうです。

ツアーの悲しさ、じっくり見学する時間もなく、陳列棚の見事さに感心するくらいでした。
シルクロードで発見されたミイラ以外、撮影可でした。

この日はほかに2組ほどの見学者とすれ違うだけで、静かな静かな博物館でした。


標高130mの白玉山上の白玉山塔です。
高さは66.8m、東郷平八郎と乃木希典の手によって建てられました。

 

山上は展望台になっていて、旅順港の老虎尾がくっきり見えました。

 

旅順からの帰りには列車を利用しました。朝夕1往復ずつ運行されています。
ホームに入るときには手荷物チェックがありました。
途中駅ではなさそう^^ですけどね。

 

窓枠にはティッシュが詰め込まれ、キレイとはいえない車内です。大連に近づくにつれ、乗客は増えていきました。
プラットホームがない駅もありました。

 

終点の大連までは乗らないで夕食をとるレストランに近い周水子駅で下車です。

 

阪神・淡路大震災の復興の経緯は、私が住んでいる地域は地震当日の夕方に電気が復旧したのを覚えている以外、記憶があいまいです。
ブログを更新するときに、東日本大震災関連の記録を残しておくことにしました。

4月25日(月)
東北新幹線1ヶ月半ぶりに運転再開されるも、停電発生運行乱れる
55歳で亡くなった田中好子さん、東日本大震災の被災者へのいたわりも込められた、肉声のお別れのことば葬儀でながれる

 

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中国・大連への旅・・・5

2011-04-25 | 旅・おでかけ

4月16日から3泊4日で、中国は大連を旅してきました。


大連2日目は旅順への「日帰り戦跡めぐり」(―とスケジュール表に書いてありました)です。
確かに戦跡ではあるのだけれど、日本の若い人や旅好きの女性を引き込むには「戦跡」は魅力的に響きません。

日本人向けに整備がすすんでいる観光地なので、呼び込む切り口を考え直したほうがいいかもしれませんね。歴史があって、ぐんぐん伸びている勢いのある中国ですから。


大連中心部から旅順までは約40km、マイクロバスで1時間ほどです。広い道路の両側にはIT企業などの広大な社屋や学校関連施設、新交通網の工事、林立する建設中の高層マンションなどが続きます。

軍の施設の多い旅順は長い間、外国人の観光は許されていなかったのですが、2009年秋、やっと開放されたのだそうです。それまでは市街地でも写真など撮れなかったそうです。


旅順日露戦争陳列館

 

弾痕の残る暗堡

 

東鶏冠山堡塁石碑

 

兵舎跡

 

水師営会会見所旧跡

 

日露戦争最大の激戦地203高地に建つ慰霊塔
爾霊山の文字は乃木希典の筆
午前中は雨だったのですが、午後はきれいに晴れて、203高地から旅順港方向がよく見られました。

 

砲身が旅順港向く、射程8kmあったという280mm砲のレプリカ

 

粛親王府は清朝の皇族、愛親覚羅善耆の旧宅
娘の川島芳子と住んでいたことがあるそう。現在は荒れ果てています。

 

旅順ヤマトホテル
川島芳子が華麗な結婚式を挙げた名門ホテルで、夏目漱石も2泊したそう。
現在は中国人向けの相部屋形式の安価な宿になっています。

 

アールヌーボー風の曲線を描いた階段はすり減っていました。

 

この日は日曜日だったからか、ホテルの前の道路には露店が出ていました。

 

今回のツアーの参加者は私たち夫婦だけ。
ステップが高いマイクロバスの乗り降りに、毎回難渋している私のお尻を押し上げてくれて、お世話になったのはこちらのほうなのに、現地のガイドさんがスモモを、ドライバーさんがプチトマトを露店で買ってプレゼントしてくれました。おいしかった~。

 

 

 

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