自遊空間、 ぶらぶら歩き。

日々見たこと、聞いたこと、読んだこと、考えたこと

名古屋テレビ塔

2018-08-07 | 旅・おでかけ

7月30日から8月1日まで、阪神タイガース応援をかねて、名古屋へ行ってきました。

名古屋2日目(7/31)はナゴヤドームで阪神・中日戦観戦の日です。
ゆっくり、名古屋モーニングを食べて、私は名古屋テレビ塔に行って、ホテルで少し休みました。

名古屋テレビ塔は1954(昭和29年)に完成しました。
設計者は早稲田大学の内藤田仲教授。
後に、札幌テレビ塔や東京タワーも設計したそうです。

セントラルパークとブルックリンカフェ^^ですか。
札幌と名古屋はタワー周辺の景観がよく似ていますね。

 

この日もとても暑かったせいか、お客さんは少なく、涼しい展望台のベンチに座ってのんびりできました。

名古屋駅方面

 

名古屋城方面

 

北側・久屋大通公園

 

南側・久屋大通公園

 

90mの展望台から地上100mにある屋外のスカイバルコニーに上がってみました。

 

(7/31撮影)

 

 

 

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子ども代表・平和への誓い

2018-08-07 | 社会・時事

8月6日に家にいるときは、広島平和記念式典にチャンネルを合わせます。

今年は暑い暑い、8月6日になりました。
子ども代表で平和への誓いを読んだ米広優陽君が終わりのほうで、一瞬のけぞりそうになったように見えました。

身内に被爆者がいない子どもたちが増えたようですが、被爆体験を聴く機会がまだまだ残っている広島です。



      ◇

人間は、美しいものをつくることができます。
人々を助け、笑顔にすることができます。

しかし、恐ろしいものをつくってしまうのも人間です。

昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
原子爆弾の投下によって、街は焼け、たくさんの命が奪われました。

「助けて」と、泣き叫びながら倒れている子ども。
「うちの息子はどこ」と、捜し続けるお父さんやお母さん。
「骨をもいでください」と頼む人は、皮膚が垂れ下がり、腕の肉が無い姿でした。

広島は、赤と黒だけの世界になったのです。

73年が経ち、私たちに残されたのは、
血がべっとりついた少女のワンピース、焼けた壁に記された伝言。
そして今もなお、遺骨の無いお墓の前で静かに手を合わせる人。

広島に残る遺品に思いを寄せ、今でも苦しみ続ける人々の話に耳を傾け、
今、私たちは、強く平和を願います。

平和とは、自然に笑顔になれること。
平和とは、人も自分も幸せであること。
平和とは、夢や希望をもてる未来があること。

苦しみや憎しみを乗り越え、平和な未来をつくろうと懸命に生きてきた広島の人々。
その平和への思いをつないでいく私たち。

平和をつくることは、難しいことではありません。
私たちは無力ではないのです。

平和への思いを折り鶴に込めて、世界の人々へ届けます。

73年前の事実を、被爆者の思いを、
私たちが学んで心に感じたことを、伝える伝承者になります。

平成30年(2018年)8月6日

こども代表
広島市立牛田小学校6年 新開美織(みおり)
広島市立五日市東小学校6年 米広優陽(ゆうひ)

 

 

(平和への誓いの文言はgooニュースをコピペし、一部段落を設けました)

 

 

 

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