島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

89-1後深草天皇

2021-05-28 | 天皇陵巡り
 
 第88代後嵯峨天皇(1220~1272)には、天皇になった二人の皇子以外にも第2皇子として顕日王(ケンニチオウ)(1241~1316)がいて、宮内庁治定の陵も有るので、本来なら訪問して88-3として報告しなくてはならないのですが、なんせ墓の場所が栃木県なので、これはパスさせてもらいました。
 後嵯峨天皇第3皇子で、母は太政大臣西園寺実氏(サネウジ)娘姞子(キツシ)(1225~1292)の久仁親王(ヒサヒトシンノウ)は、わずか数え3歳で即位し第89代後深草天皇(ゴフカクサ)(1243~1304)(在位1246~1259)となりました。
  毎週2回老人ホームの診療所に通勤するJR奈良線の車中から必ず見てる、深草北陵(フカクサノキタノミササギ)(伏見区深草坊町)です。
 
 中宮に西園寺公子(キンシ・コウシ)(1232~1304)(母姞子の7歳年下の同母妹)を迎えましたが、皇女しか産まれませんでした。
他に藤原(洞院)愔子(トウインインシ)(1246~1329)には、後の第92代伏見天皇になる煕仁親王(ヒロヒト)など2男1女が授かり、他にも後深草天皇は沢山の妃に10人以上の皇子をつくらしています。
 
 後深草天皇在位中には、1246年の鎌倉騒動で摂関将軍第4代九条頼経(ヨリツネ)は京都に送り返され、父九条道家の関東申次(モウシツギ)も更迭。
1252年には摂関将軍第5代頼継(ヨリツグ)を廃して、後深草天皇の異母兄で第1皇子でありながら天皇につけなかった宗尊親王(ムネタカ)(1242~1274)が、皇族で初めての征夷大将軍として第6代将軍になりました(摂関将軍から宮将軍に)、
  深草北陵には今回の後深草天皇以下12人の天皇が眠ってるので、深草十二帝陵とも言われています
 
 1259年父後嵯峨の命により、同母弟第90代亀山天皇に譲位させられ、以後も父母の弟びいきから、1268年には息子煕仁親王が年長であったにもかかわらず、亀山天皇の息子の方が立太子し、その後第90代後宇多天皇となったので、当然後深草天皇は大いなる不満を抱いています。
ここから、持明院統(ジミョウイントウ)(後深草の系統)と大覚寺統(亀山の系統)の対立が始まりました。
  深草北陵は方形堂の形をとってますが、見れるのはここまでです

        返事
Toitenlabeeさん:そう小型の赤福ですが、
    餅は桜餅と同じぶつぶつの道明寺製です。
花水木さん:冷やし飴は、泳いだ後には絶品です。
     大丈夫だったでしょう
    私もなんともなかったですが、年寄りは2回目も反応少ないですよ。

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1 コメント

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Unknown (花水木)
2021-05-29 15:10:17
そう、コロナワクチンは、高齢者では副反応出ないとか・・・・。

私、昨日の9時過ぎから、38度の熱と関節痛と倦怠感で、一日中
ぐったりしてました。
想定内なので(一回目も37度2分)前日に作り置きおかずとバナナ、ヨーグルト、パン、カップ麺、ャJリやコーラなども買っておいたので、何とかなりました。
副反応出るって、私若い???
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