藤原冬嗣(フユツグ)の娘藤原順子(フジワラノノブコ)(809~871)は第54代仁明天皇の女御となって、第55代文徳天皇を産み、孫も第56代清和天皇になっているので、山科の奥の山中の後山階陵(ノチノヤマシナノミササギ)の葬られています。
2年以上前にこの陵を訪問した時、近くの毘沙門堂にも寄りましたが、たまたま輪王寺宮墓地も見つけてしまいました。
この地図の上の方です
横から墓地の全容が見渡せましたが、立派な墓地です。
後西天皇皇子 公辨親王墓以下六基五塔 輪王寺宮墓地
と制札は読めました。
第111代後西天皇(1637~1685)(在位1654~1663)には27人の子がいましたが、その第6皇子で母は梅小路定子(ウメコウジテイシ)(?~1680)が今回の公辨法親王(コウベンホッシンノウ)(1669~1716)です。
輪王寺(リンノウジ)門跡に就任し、関東にも出向いて日光山門跡や寛永寺貫主なども歴任し、江戸にも足跡を残して、忠臣蔵の赤穂浪士切腹の裁定にもほんの少し関係したようです。
正面に廻りましたが、宮内庁管理ですので山中にあっても、きれいに掃除されているので感心しました。
天皇陵巡りとしてはどうでもいいかもしれませんが、揚げてしまいました。
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