とうとう75歳になりました。3/4世紀を生きてきたことになりますが、100歳まで生きれるなら、まだ1/4世紀も有ります。
でもまあ、人生のほぼ90%を過ぎて、残りはあと10年弱と考えるのが普通でしょうし、だいたいそれぐらいの心と体になってきたと思っています。
では残りの10年ぐらいを、どんな夢や意欲をもって生きていくのか?
仕事や恋や家族が夢や意欲になっていた時期も有りましたが、これはこれでしんどかったので、もうやめます。
大学入試勉強をしてた頃は、受かったら自転車で「奥の細道」を回るのが夢で励みでした。
入学した年の夏休みに、誘ったらまんまと乗ってきて一緒に走ってくれたS君と、2週間で半分まで回り、残り半分を来年回ろうと約束して挫折してます。
写真は、福島県郡山の叔母の官舎の前で、S君と髭がまだない未成年の私です。
自転車は好きでしたので、23年前(50過ぎ)に病院事務の職員(二人共30台)と、まだ今ほど有名でなかった琵琶湖1周を回りました。
写真、もちろん右のちんけな姿が私ですが、二人について行くのに苦労しました。
奈留島に行ってからも、奈留島内をフークと自転車で(勿論フークは走ってですが)走りましたし、フェリーに乗せて上五島や福江島も走りました。
写真は、1泊で出かけた福江島ツーリングでの高浜海岸ですが、60歳ごろで腹が目立ってきてます。
京都に戻ってからは、折り畳み自転車を買って、天皇陵巡りで奈良へ輪行したり、通勤や京都市内の天皇陵巡りで活躍しました。
では今後も自転車が夢かと言われると。
75歳で仕事をやめて、自転車で伊能忠敬のように日本の海岸線を1周放浪旅が夢と言えば夢だったのですが(ブログの次のシリーズはこれとも思ってました)、実際75歳になってみると、自分の体も家庭の事情もそれを許してくれないことが分かり、夢はまぼろしとなっています。
今日ですべてが終わるさ 🎵
今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる 🎶
今日ですべてが~始まるさ
と言うわけには行かない私の人生、自転車は封印して(と言うことは又封を解かれるかも)、他の夢や意欲を考えます。
写真のように自転車の夢は、輪行袋に入れたり、また出したりかも。
夢は、見るのでは無くて叶える物。
叶うと良いですね。
でも、高齢者の自転車は、車よりも怖いです。瞬時に、側溝の出っ張りとか避けられ無いと自分が怪我しますから。
夫が近場を自転車でと言いましたが、却下しました。
伊能忠敬さんのように、お供を連れて歩くのが良いかと。
好きな事、見つけて頑張りましょう
75歳を過ぎて、何のために生きるのか、そんなことは考えずに生きよう、この二つの狭間を、堂々巡りしています。
福江島を1泊で? トライアスロンコースにジェットコースター並みの道路も有りますが 先生はチャレンジされましたか??
あんな道路とゆるゆるの坂道とどっちがきついのでしょうかね?
75歳と言わず女性は日々の生活に追われて、夢や意欲 と言ってられないですが長生きは望みませんが 体元気であればと思うのです。
後期高齢を楽しみましょう!
モチベーションを保たないと生きられない性格なので、楽しいことをみつけたいです。
後期高齢を楽しめる体でいられることを祈るだけです。
先生が、ベトナムへ行った頃につけた名前です。
未成年の頃の写真、先生は左?
自転車好きだったんですね。
昔、ボーリング大会の景品の自転車を
乗って帰ったのは、先生でしたか?
絶対左ですよ!!
そうです、病院ボーリング大会で絶対1位になるつもりの役員さんが1位の商品を自転車にしたのですが、大人げなく私が1位になってしまったので、賞品のママチャリで25㎞先の我が家に漕いで帰りました。しんどかった思い出です。
自転車は縁が有るのか、神戸の病院時代もパチンコの日に医局の皆とパチンコに行って、玉の受け皿においてくれた抽選券、後日隣の先生が1番違いだとっ残念がったので、見ると私に1等の自転車が当たっていました、神戸の坂道を病院官舎まで、エッチラオッチラ自転車をこいで帰ったことも有ります。この二つで運を使い切りましたね。