奈留島全体が奈留町ですが、五島市と合併する前の旧奈留町は、町の面積に比較した場合、その海岸線の長さが日本一でした。
部屋の壁にかかっている、奈留島の地図ですが、ドラゴンのようでしょう。海岸線に沿っては、ほとんど歩けません。 ここにも、伊能忠敬一行が測量に来ていると思うと、驚異ですね。
昨日、この地図のわずかに北にある、葛島に行ってきました。漁師さんの船に乗って、園遊会です。
葛島(かずらしま)は、江戸時代迫害から逃れたキリシタンが定住し、一時は300人以上の人が住んでいて、小中学校もあったようです。 昭和48年3月26日122人全員が、奈留島に集団移転され、無人島になりました。 移転された奈留の樫木山には、今も葛島(くずしま)姓で、キリシタンの人がたくさん居られます。
葛島の港の手前です、上陸の風待ちです。廃墟もほとんどなくなり、30数年前に残された牛が、野生化しているそうですが、見られませんでした。道には、牛の骨と、まだ新しい糞が散乱していました。
これからも、無人島になっていく島は増えそうです。人間の歴史はこんなもんなんですかね。
部屋の壁にかかっている、奈留島の地図ですが、ドラゴンのようでしょう。海岸線に沿っては、ほとんど歩けません。 ここにも、伊能忠敬一行が測量に来ていると思うと、驚異ですね。
昨日、この地図のわずかに北にある、葛島に行ってきました。漁師さんの船に乗って、園遊会です。
葛島(かずらしま)は、江戸時代迫害から逃れたキリシタンが定住し、一時は300人以上の人が住んでいて、小中学校もあったようです。 昭和48年3月26日122人全員が、奈留島に集団移転され、無人島になりました。 移転された奈留の樫木山には、今も葛島(くずしま)姓で、キリシタンの人がたくさん居られます。
葛島の港の手前です、上陸の風待ちです。廃墟もほとんどなくなり、30数年前に残された牛が、野生化しているそうですが、見られませんでした。道には、牛の骨と、まだ新しい糞が散乱していました。
これからも、無人島になっていく島は増えそうです。人間の歴史はこんなもんなんですかね。
ふらふらとこちらにおじゃましました。
私は、今は関東に暮らす元「なっじま」人です。
相の浦湾の海の色、懐かしいなぁ。
私が小学生の時に葛島の方たちの移住があり、友達もたくさんいました。
私は、島を出た後に選んだ職業があまり島の役に立つものではなかったために、
残念ながら奈留にUターンすることは出来ませんでした。
両親はまだそちらで元気に仕事していますが、
先生にお世話になっていることも多いでしょう。
遠くからエールを送ることくらいしか出来ませんが、
島の医療のためによろしくお願いいたします。
あと、ぼちぼちでいいですから、島の写真などアップして頂けると嬉しいです。