島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

第10回五島市奈留町文化祭

2013-11-07 | 奈留島
  
      11月3日(日)は奈留町文化祭。
          隣の離島開発総合センターで毎年行なわれています。
 修復された緞帳、皺が少し目立ちますが、以前のシミと破れに比べたら月とすっぽん、手前味噌になりますが綺麗になりましたよ!
          ただ、あまり話題にのぼらないのが残念!!
 
      喜珍さんからの強要?要請?で、文化祭の写真を少し掲載します。
 いつものように鳴神太鼓から始まりました。
  
 今年の秋は、敬老会・体育祭・演奏会・運動会など毎週引っ張りだこのさくら保育園児の和太鼓、4~5歳児でもよく憶えていますね、毎回感激するのは単に歳とってこれくらいの孫もいるからですかね。
 
 大正琴の演奏も定番です。
他にも、カラオケ・舞踏や最後は奈留中高合同吹奏楽演奏もあったそうです。
 
 トンボロ混声合唱団の指導指揮者と大正琴の先生は同じ人、練習はかなり厳しいようですので上手、合唱団の「奈留島讃歌」を聞くといつも涙が出てきます。
 
 会場周囲や他の場所には、絵画・工戟E子供達の作品なども並んでいます。
演撃ヘ途中で抜け出し、家内と2人お茶席で美味しい饅頭とお手前をいただき、競馬中継を見るために官舎に帰りました。
演撃ナ後まで見なかった天罰か、競馬はまったく入らず、土曜日に少し勝った分もなくなりました。

    返事
喜珍さん:リクエストにお答えして、文化祭ネタを。
大雪男さん:1日3便ですが、前島に野宿しない限り、
    奈留島発は10:30か14:20で前島の浦発は11:50か16:40しかありません。
     15分で着き料金は200円です。
花水木さん:なんとかもう一回り元気に生きたいと思っています。
和さん:京都はそれほど恋しくありませんが、
      雨の日の奈留島は、気が滅入るぐらい寂しいのは本当ですね。
大雪男さん2:前島滞在1時間・2時間・6時間コースがありますでしょう。
    1や2時間コースでは大雪男さんには物足りないか。 ちなみに店は1軒もありません。
     いずれにしても、帰り奈留島着は16:55、もう奈留島からは出られません!
       お待ちしていますが、その頃家内居ませんので当直でない日をお選び下さい。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈留島百人一首58

2013-11-05 | 奈留島百人一首
 
 58. 有馬山 猪名のささ原 風ふけば
           いでそよ人を 忘れやはする

                       大弐三位(ダイニノサンミ)(999?~1077?)
 「有馬山近くの猪名のささ原に秋風が吹くと、ささの葉はそよそよと音を立てます、そのように、あなたの方から風が吹けば、私はそよそよとうなずきます、どうして私があなたを忘れたりするでしょうか。」
 可憐に詠う大弐三位 藤原賢子(フジワラノカタコ)は前の作者紫式部の娘で、正三位・太宰大弐(ショウサンミ・ダザイノダイニ)の高階成章(タカシナノナリアキラ)と結婚した為こう呼ばれています。
 12番の天津乙女でも言いましたが、昔は百人一首からの喧シの多かった宝塚歌劇団、宝塚出身の女優 有馬稲子さんの喧シはこの歌からとられています。
  
 58. 城岳の 展望台で 夕陽浴び
          しんどい今を 忘れようとする
 
 夕方六時前、夕陽を浴びて最後のフェリーオーシャンが奈留島に帰ってきます。
その向こうには、わずかに繫がっているトンボロも少し見えています。
 仕事が終わって、城岳の展望台にフークと登ると、こんな景色も見られます。
(本当は1ヶ月毎に東京などから来てくれる研修医の案内も兼ねているのですが。)
  
 まだまだ明るい時は、はるか上五島も眼下に望めます。
 特にもうなんの望みもありませんが、景色を眺めながら、時にはどうして生きよう、どのように死のう、と世間のことを考える時もあり、少しは人生を悩んだりする時も有ります。
 
 秋の夕陽はつるべ落とし、六時過ぎにはもう隣の久賀島に沈みます。
 長い麻雀で一人が「しんどい」と言うと、仲間は皆口を揃えて「皆しんどいんや」、と言うのが私たちの麻雀の慣わしです。
今年は京都にあまり帰れず、その麻雀もしていません。
 人生いつもしんどいけど、こんな景色も見られるから、楽しく生きていこうといつも思います。
      城岳の展望台から中継でおおくりしました。

    返事
福山市さん:干満時の潮の流れがトンボロではどうなのか、
    考えても見ませんでした。
花水木さん:友人が117クーペに乗っていましたが、
    その頃の私の感性は、このデザインについていけない程度でした。
     福沢幸雄さんも私以上に知ってもらっていて、嬉しいです。
    福沢諭吉のひ孫?とは知っていましたが、小川知子との恋愛ははっきり記憶にないので、
    ミーハー度は花水木さんに負けてます。
大雪男さん:トンボロは、中学地理でも学んでるはずですが、
    ここに来るまで、私もまったく記憶残ってませんでした。
     緑のスーツを着てダンパにも行っていた全共闘なので、
    学生時代から私の人生はどっち付かずの、コウモリ人生です。
喜珍さん:チョット年の差を感じてしまいました。
     アグリ前の中島悟は、たぶん判りますよね。
    
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈留島百人一首57

2013-11-01 | 奈留島百人一首
 
 57. めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に
               雲隠れにし 夜半の月かな

                                 紫式部(970?~1014?)
 「幼友達と久しぶりに出会ったのに、その人かどうかはっきり確かめる間もなく、まるで真夜中の月が急に雲に隠れてしまったように、行ってしまいました。」
 この友達は残念ながらここでは女友達のようですので、日本でも一番有名なぐらいの女性紫式部さんは、56番の和泉式部さんや59番の赤染衛門さんのように情熱的ではなく、冷静な歌を作っているのですね。
子供も次の58番作者大弐三位を27歳で産んでいるので、その頃にしては遅めか。
  
 57. あらわれて 見しやそれとも わかぬ間に
              波隠れにし トンボロの浜

                     て・見しやそれとも・わかぬ間に・隠れにし  18字 同じ
 霊場巡りでも、この奈留島百人一首39番でも紹介している、奈留島の名所トンボロ(陸繋砂洲)。
前島と末津島を結ぶ、海流によって運ばれた石が積み重なって出来上がった砂州です。
 このように毎日2回、引き潮になると完全に二つの島は繋がります。
  
 そして毎日二回の満ち潮になると、この写真の如く波に隠れてしまうのですが、何百年も経つともう満潮でも隠れることのない砂洲になり、私の歌を誰も理解できなくなり、いずれは函館のようになるはずですが、それを私が見ることはないでしょう。
 
 近づいてみると、砂洲というよりジャリの道、まだ歩いて渡れそうです。
フランスのモンサンミッシェルの砂洲のように、渡れると思って足を取られ、この波間に多くの人が命を奪われたと言うような歴史は、ここ奈留島にはありません。

     返事
花水木さん:ご主人と同じで嬉しいですが、私も30代の頃に
    レオーネワゴンに乗っていましたよ、パートタイム4WDの懐かしい車です。
大雪男さん:私も車はそれほど好きではないですが、
    ミーハーなので、日本グランプリやFⅠ、ラリーも好きです。
    若くして死んでしまいましたが、レーサーの福沢幸雄?さんをご存知ですか?
    この人のデザインの緑のスーツを、恥ずかしながら何故か着ていました。ミーハーでしょ!
喜珍さん:スバル車は冬に強い4WDだったからだと思います。
    まあ、巨人・大鵬・卵焼きではなく、阪神・柏戸・椎茸の炊いたのと、一級品好みではない人生です。
     (これを主張するといつも、私は三流ですか!と、家内からクレームがつきますが)
     奈留島に来るまでは、選挙で私が投票した人は皆落選していましたが、ここでは当選するので、
      少しは多数派になってきているとは思いますので、次の車はTOYOTAかも?
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする