白洲正子といえば、青山二郎に骨董の手ほどきを受けたとか。その青山二郎が住んでいたのが、原宿のビラビアンカだと知ったのは最近です。
その近くの中小企業でOLしていた私は、よくその建物の前を通って郵便局に行っていました。そして、家族経営のキッチンヤエにランチを食べに行くときも、そこを通ったじゃなかったかな。なつかしいマンションです。
憧れの原宿でしたね。今も、素敵に思えます、ビラシリーズ。
いまはとても、都心に出かけるのが億劫になりました。今日も、ようやく渋谷でしたから。
白洲正子といえば、青山二郎に骨董の手ほどきを受けたとか。その青山二郎が住んでいたのが、原宿のビラビアンカだと知ったのは最近です。
その近くの中小企業でOLしていた私は、よくその建物の前を通って郵便局に行っていました。そして、家族経営のキッチンヤエにランチを食べに行くときも、そこを通ったじゃなかったかな。なつかしいマンションです。
憧れの原宿でしたね。今も、素敵に思えます、ビラシリーズ。
いまはとても、都心に出かけるのが億劫になりました。今日も、ようやく渋谷でしたから。
今日、本当は私の休みで、夫と一緒に世田谷美術館に行く予定でした。でも、夫が体調が悪く、行きたくないというので急遽、それでは一人で映画を見よう、気になっていたあのカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」がいい!と、一人で渋谷へと出かけたのでした。そう、今日は火曜日、映画が誰でも千円の日でした。混むだろうかと思いきや、11時20分上映の50分前に到着して、整理番号は8番でした!
白洲正子の展覧会も、ついでだから行ってみようかと、バスの案内所で確認し、天気もいいから砧公園散歩も最高かも?と、下調べしてから、映画館に戻り、けっこう空いていた客席でゆったりと映画鑑賞、予告編で気になったのは、モーツァルトの姉ナンネルの映画、興味津々です。そう、なぜ女性に作曲家がいなかったかといえば、それは作曲させてもらえなかったのです。女性はせいぜいがピアノくらいしか弾かせてもらえなかった。人種差別より根深い男女差別がそこにはあったのです!!!アルマ・マーラーだって、夫のグスタフ・マーラーに作曲を禁じられたのでした(これも映画化されています、楽しみ!)。
さて、私が今まで出四dな小説の中で最高だと思うカズオ・イシグロの原作の映画、こちらも本当に素晴らしかったです。たいていは原作とは違ってがっかりすることが多いのですが、この映画は「薔薇の名前」と同じくらい、原作と競う秀逸さです。涙が止まりません(原作も嗚咽の世界でした)。
人間はなんとも残酷なものなんですね。悲しいです。
今の福島原発の地元の人たちも、同じように悲しく切ない。首都圏の私たちの電力のための、「身代わり」になっているのですから。
悲しい映画を見たまま帰りたくなくて、やはりバスに乗り、世田谷美術館へとでかけました。渋谷から乗ったバスは、路上駐車や無理な横断の人たちや自転車を縫いながら見事な運転(私にはとてもとても!)すいすいと連れて行ってくれました。そして、白洲正子の展覧会をあっさりと見て(つまらなかったんだもの、夫ほど興味なかったし、原稿用紙の印字ばかり目立って、がっかりだったし。せめて直筆にしてよね)、2階の魯山人の陶器にけっこう感動して、公園もちょっとだけ散策して帰りました。いい天気でしたね!環八を延々と北上して京王線に行き着くと思っていたのですが、小田急線を超えたあたりで疲れてしまい、結局バスで千歳烏山まで出てしまいました。でも、映画と美術展、芸術三昧の楽しい一人旅ができました。幸せですね。機嫌の悪い夫の罵詈雑言を聞かなくて自由に行動できるのは、本当に幸せ・・・。
映画、久しぶりに見ました。たまらなく悲しい映画ですが、たくさんの人に見てもらいたいです。「わたしを離さないで」の公式サイトはこちらです。