知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『失礼ですが、下戸の気持ちが少し分かりました』 ―澤田瞳子さんのエッセイから・著書「若冲」も読ませて頂きます

2021-02-04 10:38:07 | 読書・文学・文字・漢字

               『失礼ですが、下戸の気持ちが少し分かりました』

    ―澤田瞳子さんのエッセイから・著書「若冲」も読ませて頂きます-

 

ウエブ情報から引用

 本日(20200927付け)日経新聞のThe STYLEに載っていた澤田瞳子さんのエッセイ『友と旅する醍醐味』からの抜粋引用です。

 

『下戸の私はしばしば、旅先での夕食に悩む。 一人旅の場合は、地元の特産品を食べられそうな居酒屋を見つけたとて、ウーロン茶しか飲めない身では迷惑かと躊躇するのだ。(大酒飲みにはなかなか理解できない感覚です。)結果、間違いなく魚が美味しいであろう街に泊まりながら、ファーストフードで食事を済ませることも珍しくはない。 

 

(昔、ロンドン郊外のB&BBed & Breakfast)に、日曜日の晩1900時頃にチェックインしたことがあります。 当然夕食にはありつけず『ファーストフード』の持ち帰りを買ってきて、『ビール党に頼みのビールもなく』、やむなく、ナイトキャップのために免税店で買ってあった、ブランデーの『コーク(コーラ)割』をやってみました。 

フランス人にばれたら大目玉を食らいそうですが、困ったときの神頼みでした。 結構いけまましたので、その後は、ナイトキャップ用のブランデーが、『コーク(コーラ)割』になりました。)

 

 『自らの体質のせいで食事の機会が狭められているのは何とも寂しい。 だからたまに酒の飲める友人と旅行すると『どこにでも入れる!』と感動してしまう。』 

『一人旅は無論、楽しい。 しかしその一方で、人間が己のみで獲得できる情報量はどうしても限られる。 年を重ね、自らの嗜好がはっきりと定まってしまった今だからこそ、他人と行動を共にすることで、それまで知らなかった世界に踏み入ることができる。』 

 『極言すれば同じ場所を訪れたとて、その時、一緒にいる仲間次第で、得られる感動は幾通りにも変化するはず。 ならば人生において、旅に飽きる日は決して来ないわけだと思うと、ますます次の旅が楽しみになってくるのである。』

 

 コロナ禍の中、このエッセイで述べられていること『集まって飲む・語る』が、なかなか思うようにできません、 大変な『試練』と大きな『CHANGE』の時期です。平凡なことですが『三密回避』『手洗い』『マスク着用』を徹底して『ワクチン』の早期開発を待ちましょう。 

            (20200927纏め、20210204追補、#229)


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