日経新聞文化欄『東北方言「ジンジョコ」の謎』と接尾語のこと
―名前の呼びかけ方、多種多様で興味は尽きない接頭語と接尾語―
この方言の、南部と津軽で思い出すのは秀麗な姿の『津軽富士・岩木山』です。
先ずは、表題の記事の抜粋です。
『「肩車」という言葉の方言は日本各地で様々なバリエーションがある。 民俗学者の柳田国男も「肩車考」といった論考を残している。 私が45年以上にわたって調べている「ジンジョコ」という言葉もそうした方言の一つだ。
当時、国立国語研究所から「日本言語地図」が出され、方言の研究が注目されていた。 江戸時代の南部藩と津軽藩の対立や違いもあり、方言の調査を通じて両地域の関係を極めたいと考えた。 33個の語彙、51項目のアクセントを対象に現地調査を行い、方言の分布図を作っていた。 その中に「ジンジョコ」も含まれていた。
「ジンジョコ」という言葉には2つの部分がある。「ジンジョ」は「人形」と「地蔵」を指し、「コ」は親愛の情を表す接尾語だ。 東北人になじみ深い響きを持つ。 語源を調べるにふさわしい言葉だった。』
親愛の情を表す接尾語ですが、半世紀も前に駐在で住んでいた香港で気がついたのですが、日本では『〇〇ちゃん』と『△△君』と呼び、接尾語の『ちゃん・君』を付けます。 香港では代理店の社長は、若手スタッフの「〇希文(〇・ヘイ・マン)」に、接頭語『阿』を付けて「阿文(ア・マン)」と、「〇樹佳(〇・シュウ・カイ)」は、「阿佳(ア・カイ)」と呼んでいました。
西欧では、親愛の情を込めて、単純にファーストネームを呼び捨てにしているだけかと、当初は思っていましたが、英国のクラウンコロニーの香港には、当然ですが、英国人が大勢住んでおりましたので、近所付き合いを始めてすぐ気が付きました。 単純に、呼び捨てではなく『ファーストネーム』と接尾語に工夫がありました。
厳密にいうと、日本語の「ちゃん」、「くん」、「さん」に当たる言葉は英語にはないようですが、ファーストネームで呼び捨てにするとか、人名の短縮形(例:Elizabeth→Beth, Michael→Mike)を使って親しみを評しています。 それでも、日本語の「ちゃん」、「くん」、「さん」とはかなり違います。
さて接頭語での工夫ですが、日本語は不思議なことに、結論を表明する動詞を最後に言いますし、さらに動詞の最後部につけた接尾語で、やっと結論になります。 これは、奥ゆかしさを超えて、コミュニケ―ションとか意思伝達の方法としては、ずっと不思議に思っています。
愛称に接頭語で工夫があった中国ですが、接尾語も流石、表意文字『漢字』の元祖で、名前の後につける接尾語にも工夫があります。 日本語の『さん』、『様』、『君』は、『先生』、『小姐』、『女士』、更に『先生』に対する敬称は『老師』となります。
儒教の国・中国、地位の高い人の呼び方にもいろいろあります。 先ず『総』は社長、『科長』は課長、『校長』は校長、『頭!』はボス・親方です。 名前がわからない相手に対する中国語の呼びかけの言葉は男性の場合は、『大哥!』、『叔叔!』、女性の場合は、『大姐!』、『姐姐!』です。
さて、表題の『日経新聞文化欄「東北方言ジンジョコの謎」と接尾語のこと
―名前の呼び方は、多種多様で興味は尽きない接頭語と接尾語―』に戻ります。
『肩車は、「ジンジョコ」とは言わず、響きの似た、人形を意味する「ニンニョコ」という。 東北に残る蚕の守護神「オシラサマ」の祭りでは、「ご神体の人形を木で作り、馬や女性の顔を描く場合が多い。 おんぶの姿は「肩車」を連想させ、オシラサマを表す方言には「ジンジョコ」が付く場合が多い。
今年は取材の結果をまとめた「ジンジョコの森」という本も出し調査に区切りをつけた。 都市化が進み、方言は若い人と話しても本来の姿を知ることは難しくなった。 東日本大震災によって建物や街並みが流されただけでなく、言葉も消失の危機にある。』
方言の大元には、多分文字の無かった『大和言葉』があり、中国からはいってきた漢字・表意文字に置き換え、更にひらがな、カタカナを併用した日本語の凄さと、最近のカタカナ語満載の日経新聞と比較して感慨無量です。
(20201030纏め ♯238)
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