『華麗なる一族』なければ『大地の子』は生まれず 1』
―開明的政治家、胡耀邦が居らなければ、「大地の子「」は生まれなかったー
表題を『開明的政治家、胡耀邦が居らなければ、大地の子は生まれなかった』と言い換えたい心境です。
余生の読書計画の『本と著者選び』を、勝手気ままに、時々更新しています。 自分の選んだ一人が山崎豊子氏です。
今回、山崎氏の一冊の本からのヒントを得て、これからは、著者の取材状況も『勉強しながら』本選びをしたいと思います。 小説が『これほど凄いもの』ということ、今回知りました。 ノンフィクションに偏っていた自分に反省の機会を与えてくれました。
山崎氏は著名な大学の医学部という聖域を暴いた『白い巨塔』を書きました。 大作を執筆中のヤマ場を越えると、『次の聖域』は何、と進めるそうです。
『華麗なる一族』中国語版浮華世家(一見華やか、精神的に貧しい世襲家族)で金融界を描きました。 初版で10万部、その後再版のベストセラー、これが中国へのパスポートになった。 この映画版は中国で五千万人が観賞したそうです。 この反面教材は、後の首相李鵬さんも『反面教材に使いたいくらいだ』といわれたそうです。
この後に、「不毛地帯」では商社を、『二つの祖国』では戦争を、『大地の子』で戦争孤児を描きました。 『不毛地帯』は1973年から1978年まで『サンデー毎日』に連載された。 連載は、およそ5年ですが『取材が命』言われる山崎氏のこと、取材にはかなりの歳月をかけられたと想像ができます。 因みに、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』が構想期間5年半、連載4年半を含めると、約10年を費やした作品です。
一方『大地の子』ですが、取材開始から連載開始まで約3年、連載約4年、約7年を費やした作品です。 著者は取材期間中、中国の未開放区の農村でホームステイもしています。 残留孤児の育った環境の悲惨さに泣きながらの取材の日々だったそうです。
この作家、作品が書き終える度に、その開放感から『完結!万歳!出獄だ(執筆室から)!』といったそうですが、『大地の子』を書き終えた時だけは、喜びが込み上げてこなかったそうです。 こんなことがあるのに驚きました。
比較できる例ではありませんが、自分も何回試みても、最後まで見切れない映画に『火垂るの墓』があります。 あまりにも悲惨で可哀そうすぎるからです。
さて胡耀邦との出会いがなければ、取材はできず『大地の子』は世に出なかった。 まさに『事実は小説より奇なり』です。 これが『華麗なる一族』の引き合わせでした。
さて、山崎豊子氏の名言・キーワードです。
『小説はスローガンではありません。 私は日中友好のために小説を書くと報道されていますが、それを前提にしては書けない。 結果的に日中友好のためになればと思っています』これに対して胡耀邦氏『中国を美しく書いてくれなくても良い。 中国の欠点も暗い影も書いても結構。それが真実であるならば』、後に失脚する改革派だから言えたのでしょうか。
『連載小説は、第一回から第三回で勝負つく』という持論で第一回に使ったタイトルが文化大革命に変えて『小日本鬼子(シャオリ―ペンクイツ)』でした。
昔、香港で見た広東映画では、いつも字幕で見ていたのは『日本鬼子』の文字でした。
井上靖氏曰く『川端康成さんのような特別な人を除けば、作家同士そんなに極端な差はない。 だとすれば、大切なのはテーマだ。 山崎豊子さんの小説はいつもテーマだけで50点をとっている』と。
その所為か、昨今の若手作家の小説のタイトルの難しいこと。
作家深田裕介氏の質問、『不毛地帯の主人公のモデルは、関東軍がソ連軍の追撃を阻むため橋・道路を破壊し、開拓団を放棄した。 関東軍の参謀の一人、瀬島隆三氏ですか』と、山崎氏のアンサーは『軍人でソ連に抑留されて帰ってきて商社に入ったという履歴を頂いた』と。
小説のモデルのことも、又難しい課題です。
五木寛之氏と塩野七生氏が対談で言っていました。 書いたもので残ってない歴史上の人物の『心の中は、自由に書かせてもらう』と。 昔の人の心の中の真実追及の『術』あるのでしょうか?
(20181104纏め、20190208改、20200420改 #157)
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