『台湾の思い出 1(ふたつの故宮博物院 台北と北京(1)』
ー中国4,000年のお宝を最後の所有は清朝の(ラストエンペラー)宣統帝溥儀ー
日経(20200425)文化欄の宮内勝典氏の記事『台湾の思い出』に、こんな表現がありました。 『台湾は長いこと日本の植民地にされていたから、きっと日本人は憎まれているだろうと覚悟していた。 ところが、まったく意外なことばかりだった。』と。 自分も、日本からの数回の商用出張、駐在地香港の取引先を台湾への招待旅行のご案内、さらに現地法人設立の準備の長期出張等、台湾には延べ日数でおよそ二年弱の滞在になりましたが、この表現には、まったく同感です。
台湾に住む人々を、一口に台湾人というが、主な人種は先住民族が1.7%、福佬人(ホーロー人・福建人系)が73.3%、客家人が12%、外省人が13%となっており、福建人系が、4分の3弱で、従来の理解通りでした
台湾と言えば『国立故宮博物院』ですが、北京の故宮・紫禁城には『故宮博物院』があり、台北故宮と北京故宮の『ふたつの故宮』博物院があります。 最近の情報では、2015年12月29日に故宮南院が完成しており、今では『みっつの故宮』になっています。 、
紀元前16-11世紀の殷から、紀元前12-8世紀の西周、7-10世紀の唐、10-12世紀の北宋・遼、12-13世紀の南宋、13-14世紀の元、14-17世紀の明、17-20世紀の清、の間、およそ4千年の中国歴史の秘宝・文化遺産が歴代の王朝の変遷の中で、引き継がれ、保存・所蔵されてきたことに驚きます。
台北故宮博物院の参観は十分タフですので、途中腹ごしらえができます。 中華料理・軽食なんでも!
❶故宮晶華;
広東料理をメインに中国各地の料理を巧みに取り入れたメニューの数々
❷三希堂
「えび餃子」や「カニみそ蒸しシュウマイ」など点心メニューやスープ
❸間居賦
コーヒーや中国茶、ジュースといったドリンクや、ケーキやクッキーなどのスイーツがメイン
❹富春居
ランチセット・サンドイッチなどの軽食にケーキやパイといったスイーツ
故宮博物院には、珍しい宝物があります。
翠玉白菜(清時代)・19世紀・重要文化財(ウキペディアより引用)
肉形石(清時代)・17世紀・重要文化財(ウキペディアより引用)
廬山高図(沈周作・明時代)・1467年・国宝(ウキペディアより引用)
山徑春行図(馬遠作・南宋時代)・13世紀・国宝(ウキペディアより引用)
クビライ像(李貫道作・元時代)・約1271年 - 1294年頃・国宝(ウキペディアより引用)
蟠龍紋盤(殷時代)・約前14世紀 - 前11世紀頃・国宝 (ウキペディアより引用)
故宮の宝物の変遷・流れを、ウエブ情報から抜粋しました。 この変遷と流れに、反省も含み、親近感を覚えます。
❶歴代の中国の皇帝たちがお宝を作らせ、集め続けてきた。
❷これらの中国4,000年のお宝を最後に持っていた皇帝が、清朝の宣統帝溥儀(ラストエンペラー)。
❸中国最後の王朝「清」から、アジア初の共和国「中華民国」になった時、宝物は盗まれそうになった。
❹中華民国が正式な手続きを踏んで、中国最後の清王朝から引き続いだ。
❺北京の故宮から離れる宝物 原因は日中戦争だった。
❻最後 第二次国共紛争で宝物は台湾に。
辛亥革命により清国が消え、日中戦争勃発により文物の避難が始まるが、やがて国民党と共産党の国内紛争の中で、さらに迷走し、台湾省へと海を渡る。 中国から来た人々を「外省人」と呼び、もともとからの台湾人を「本省人」と呼ぶ。 台湾国内の政治は博物館建設にも影響を与え、民進党と国民党の政争に巻き込まれる。 質の台北故宮、量の北京故宮の意味がよくわかった。
その歴史は蒋介石の意志によるところが大きそうです。中華思想を体現する宝物として、文化資産が北京から出て、南京そして中国各地を転々とし、国民党軍の台湾への退却に伴い、船に載せ海峡を越えて台湾に運び込まれる!日本軍、中共軍との戦いの中で、良くあれだけの資産を損傷することなく、運び込んだという執念に驚きです。 蒋介石にとっては三種の神器のようなものだったように思います。 そしてこの2つの故宮の合体が今では大陸・台湾の和解という政治的な意味合いを持って語られることに歴史の皮肉を思います。 元の黄公望という書家の風景画「富春山居図」という長大な絵巻の作品が焼け残って台北と杭州の博物館に分かれており2011年の文化交流として杭州から台北に片方が運ばれたというのは感動的な話です。 しかし中華思想は元々台湾の本省人にとっては迷惑なものでしかないのも理解できました。 人口700万人の島に200万人の本省人が49年に渡ってきたということは、考えてみれば恐ろしいことです。
またまた余談ですが、毛沢東に主導された文化大革命で、多数の人命が失われ、また国内の主要な文化の破壊と経済活動の長期停滞をもたらしました。 これがふたつの故宮の文化遺産に、直接及ばなかったことは不幸中の幸いでした。 周恩来が、首相で居られたからと信じています。
この故宮博物院には中華民国政府が台湾へと撤退する際に国立故宮博物院(北平・熱河・瀋陽の三か所)から精選して運び出された美術品が主に展示されており、その数が合計60万件冊。(台北に運ばれた旧故宮博物院の文物は、器物46,100点、書画5,526点、図書文献545,797点で、国立中央博物院の文物は、器物11,047点、書画477点、図書文献38点で、両院合せて総計608,985点である。)
北京の故宮・紫禁城は、何度か行ったことがありますが、その城郭自体の大きさと、木造建築の大きさ・棟数の多さに、ただ驚くばかりでこの故宮・紫禁城内の故宮博物院は、残念ながら、訪問は出来ず仕舞いでした。 一方、台北故宮博物院は、展示品の多くは通常数カ月ごとに替えることになっており、60万点もある収蔵品は一回りするのには数年かかるだろう。計画なしに行って、狙いの名品に出会えることは、奇跡に近いと。
この60万点ですが、次のように言われています。 ウエブ情報です。
数量では北京の故宮博物院(紫禁城)ですが、文化的価値でいえば、台湾の国立故宮博物院のほうが見応えがある、と言われています。 清王朝の宝物は、辛亥(しんがい)革命により清朝が滅んだ後、中華民国政府により保存されることとなりましたが、満州事変や日中戦争などのときに、略奪から守るため、南京や上海など中国各地に分散し秘蔵されてきました。
その後、第二次大戦後の国内の内戦が激化したとき、国民党の蒋介石がこれらの宝物を台湾へ運ぶよう指示し、1949年までに全体の約25%に相当する宝物が台湾へ運び出されました。 この運び出しに当たっては、特に文化的価値の高いものから優先されたため、重要な宝物のほとんどは、現在、台湾の「故宮博物院」に移されてしまっています。 したがって、北京の故宮博物館は「建造物以外には価値の高い宝物は少ない。」と言われています。
中国4000年の歴史の『みっつの故宮』の文化と宝物はの、今後、できる限り調べ続けて、行こうとあらためて思いました。
(20200505纏め #162)
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