今日2月3日は首都圏の東京、神奈川私立中学受験の3日目。やっぱり雪に降られてしまいましたね。でも、交通網の乱れが少なかったことが不幸中の幸いでした。受験生、保護者の皆さん、転んで怪我などされず受験場へ無事到着できましたか?
さて、私立受験も3日目ともなると、そろそろ既に入学手続きを済ませた受験生、保護者の皆さんも多いことであろう。第一志望校一発合格を成就された方はおそらく少数であり、第二志望校、第三志望校、第四志望校… への入学手続きとなった(なる)方がむしろ多数であろう。
かく言う我が家も既にバックナンバー「受験生は神様です!?(その3)」で記述の通り、第二志望校への入学手続きとなった。
第一志望校を2回落ちた後、第二志望校へ札束を持参して入学手続きに向かう訳であるが、ルンルン足取り軽く…、という気分にはなれないものである。やはり、この札束は第一志望校へ納めたかった思いは否定できない。第一志望校入学をずっと思い描いてきている(我が家の場合は小4からの第一志望だったため、もう3年も思い描いてきている。)ので、頭のリセットはそう容易なことではない。
入学手続き後の午後は制服の採寸である。こちらの制服ではなく、第一志望校の制服を着せてやりたかった思いもやはり強い。作っちゃっていいのかなあ、なんて少し後ろ髪を引かれつつの採寸である。制服代も即日現金納入しての帰り道もまだ複雑な心境である。ただ、まだ小学生のあどけない子どもの前ではそんなそぶりは見せられない。親の態度は子どもに大きな影響力を与える。あくまでも入学する学校が一番であることを親が率先して示さなければならない。
3月に入ると入学前の学校のオリエンテーションがある。
このオリエンテーションで印象深い出来事があった。ひとりの参加者の少女が泣き続けているのだ。その涙の訳については推測でしかないのだが、おそらく自分が目指した第一志望校ではない不本意な入学なのであろう。教職員の方々が一生懸命なだめるのだが、少女はただただ泣き続けている。入学手続き後日数が経過しているのに、この子の周囲の大人はまだあどけない少女の頭の切り替えをさせてやれなかったものなのか。私までもがもらい泣きしそうだ。 あの少女は入学したのだろうか、と今でも時々思う。
あれから2年が経過した。
我が子は入学当初より第二志望校の生徒としてその中学校に誇りを持って通学してくれている。制服だって、第一志望校よりこちらがずっと立派だし(本当に仕立てがしっかりしていて格調高い制服なんですよ。)とてもよく似合ってるよ。よかったね!
とにかく、教育理念が徹底してすばらしい学校である。(教育問題にうるさいこの私が絶賛しているのだから半端ではない。)それは受験前の学校説明会時から既に十分把握していたのであるが、何せ、学校長が教育分野のスペシャリストでいらっしゃって文部科学省に物申せる人物なのである。国家に歯に衣着せず食って掛かれる実力をお持ちの校長など滅多やたらと存在するものではない。この私も尊敬申し上げている。
そんな学校長の教育理念の下、当然ながら教職員の皆さんの指導力もすばらしいのだ。この学校の「受験生は神様です!?」対応には賛否両論あることと察するが、並大抵の努力ではこれはやってのけられない事は、客商売経験のある私には痛いほど分かる。
例えば生徒に挨拶せよ、と指導する学校は多い。ところが大抵はそれを言ってる教員はふんぞり返って生徒にだけ挨拶させようという魂胆なのだ。「あんた、何様なの!?」と言いたくもなるでしょ、皆さん。 挨拶して欲しけりゃ自分から頭を下げるのが常識である、たとえ相手が子どもであろうがそんなことは関係ない。
我が子の学校はすばらしい。そういう人間として基本的なことをこの学校はすべての教職員がわきまえていらっしゃるのだ。いつ学校へお邪魔しても、どこで教職員の方にお会いしても気持ちよくご挨拶下さる。お陰様で我が子はこの学校に入学以来、すこぶる礼儀正しい子に育ってくれている。挨拶する喜びを日頃より教職員の方々から教えてもらっているのだ。
挨拶、礼儀はほんの一例である。教職員の方々の教育に対する取り組みには目を見張るものがある。我が子の自主学習力の育ちようは半端ではない。小学校までは子どもの学習につきっきりだった私が、こうやって日々ブログを綴れる程、子どもの学習に対する自主性を育ててもらっている。パンとムチとの与え方がとにかくうまいのだ。 当然ながらこの学校で生き抜いていく教職員の方々の日常はハードであろう。自然淘汰されるようで辞職者も多いようであるが。
とにかく、受験の真価とは入学後に判明するものです。たとえ第一志望校でなくとも自分の子が入学する学校をまずは保護者が信じて、子どもにいい学校であることを伝えましょう。
それ以前の問題として保護者がなすべきことは、たとえ第五、第六志望校であれ合格しても行かせたくもない学校を、塾に言われるままに子どもに受験させないことですよ。
さて、私立受験も3日目ともなると、そろそろ既に入学手続きを済ませた受験生、保護者の皆さんも多いことであろう。第一志望校一発合格を成就された方はおそらく少数であり、第二志望校、第三志望校、第四志望校… への入学手続きとなった(なる)方がむしろ多数であろう。
かく言う我が家も既にバックナンバー「受験生は神様です!?(その3)」で記述の通り、第二志望校への入学手続きとなった。
第一志望校を2回落ちた後、第二志望校へ札束を持参して入学手続きに向かう訳であるが、ルンルン足取り軽く…、という気分にはなれないものである。やはり、この札束は第一志望校へ納めたかった思いは否定できない。第一志望校入学をずっと思い描いてきている(我が家の場合は小4からの第一志望だったため、もう3年も思い描いてきている。)ので、頭のリセットはそう容易なことではない。
入学手続き後の午後は制服の採寸である。こちらの制服ではなく、第一志望校の制服を着せてやりたかった思いもやはり強い。作っちゃっていいのかなあ、なんて少し後ろ髪を引かれつつの採寸である。制服代も即日現金納入しての帰り道もまだ複雑な心境である。ただ、まだ小学生のあどけない子どもの前ではそんなそぶりは見せられない。親の態度は子どもに大きな影響力を与える。あくまでも入学する学校が一番であることを親が率先して示さなければならない。
3月に入ると入学前の学校のオリエンテーションがある。
このオリエンテーションで印象深い出来事があった。ひとりの参加者の少女が泣き続けているのだ。その涙の訳については推測でしかないのだが、おそらく自分が目指した第一志望校ではない不本意な入学なのであろう。教職員の方々が一生懸命なだめるのだが、少女はただただ泣き続けている。入学手続き後日数が経過しているのに、この子の周囲の大人はまだあどけない少女の頭の切り替えをさせてやれなかったものなのか。私までもがもらい泣きしそうだ。 あの少女は入学したのだろうか、と今でも時々思う。
あれから2年が経過した。
我が子は入学当初より第二志望校の生徒としてその中学校に誇りを持って通学してくれている。制服だって、第一志望校よりこちらがずっと立派だし(本当に仕立てがしっかりしていて格調高い制服なんですよ。)とてもよく似合ってるよ。よかったね!
とにかく、教育理念が徹底してすばらしい学校である。(教育問題にうるさいこの私が絶賛しているのだから半端ではない。)それは受験前の学校説明会時から既に十分把握していたのであるが、何せ、学校長が教育分野のスペシャリストでいらっしゃって文部科学省に物申せる人物なのである。国家に歯に衣着せず食って掛かれる実力をお持ちの校長など滅多やたらと存在するものではない。この私も尊敬申し上げている。
そんな学校長の教育理念の下、当然ながら教職員の皆さんの指導力もすばらしいのだ。この学校の「受験生は神様です!?」対応には賛否両論あることと察するが、並大抵の努力ではこれはやってのけられない事は、客商売経験のある私には痛いほど分かる。
例えば生徒に挨拶せよ、と指導する学校は多い。ところが大抵はそれを言ってる教員はふんぞり返って生徒にだけ挨拶させようという魂胆なのだ。「あんた、何様なの!?」と言いたくもなるでしょ、皆さん。 挨拶して欲しけりゃ自分から頭を下げるのが常識である、たとえ相手が子どもであろうがそんなことは関係ない。
我が子の学校はすばらしい。そういう人間として基本的なことをこの学校はすべての教職員がわきまえていらっしゃるのだ。いつ学校へお邪魔しても、どこで教職員の方にお会いしても気持ちよくご挨拶下さる。お陰様で我が子はこの学校に入学以来、すこぶる礼儀正しい子に育ってくれている。挨拶する喜びを日頃より教職員の方々から教えてもらっているのだ。
挨拶、礼儀はほんの一例である。教職員の方々の教育に対する取り組みには目を見張るものがある。我が子の自主学習力の育ちようは半端ではない。小学校までは子どもの学習につきっきりだった私が、こうやって日々ブログを綴れる程、子どもの学習に対する自主性を育ててもらっている。パンとムチとの与え方がとにかくうまいのだ。 当然ながらこの学校で生き抜いていく教職員の方々の日常はハードであろう。自然淘汰されるようで辞職者も多いようであるが。
とにかく、受験の真価とは入学後に判明するものです。たとえ第一志望校でなくとも自分の子が入学する学校をまずは保護者が信じて、子どもにいい学校であることを伝えましょう。
それ以前の問題として保護者がなすべきことは、たとえ第五、第六志望校であれ合格しても行かせたくもない学校を、塾に言われるままに子どもに受験させないことですよ。